プロローグ【いけ好かない親友は一体どこへ行ったのか】
ゆるゆると投稿して行こうと思います。
――あれは確かいつだったか、小学校四年生の時。ある秋晴れの日のことだった。
「おーい、静かにしろー」
朝、ホームルームの始まりを告げる鐘が丁度鳴り終わると共に止める気があるのかも怪しい、いたってやる気のない声が教室の中に響いた。ポンポンとクラス名簿で四十肩を慰めながら、担任の池本が教壇に立つ。が、しかし。当然のことながらその程度の制止で静かになるのはよほどの優等生か、あるいは最初から一言も話すことなく静かにのんびりと、見事な秋晴れの空でも眺めながら時間が経つのを待っていた俺のような暇人くらいだ。
そんなことは百も承知と、先生はポリポリと今度はクラス名簿を頭掻きに使いながら何か秘策ありと言った様子で笑った。
「今日は転校生がいるんだけどなあ。皆が静かにしないと転校生も入ってこれないなあ」
ああ、そういうこと。
その声を耳聡く聞き取ると、教室の中で箒を振り回していたやんちゃ小僧も黄色い声で噂話に精を出していた女子生徒も、誰も彼もが瞬く間に席について、ピシリと背筋を伸ばした。最初から、僕たちは静かにしていましたよとでも言わんばかりのふてぶてしい態度だ。さながら嵐を待つ規則正しく並んだ街路樹のような静けさ、これから転校生という嵐を得た途端に騒ぎ始めるのは目に見えている。
あまりの現金さに呆れたように、先生は「普段からそうしてれば俺も楽なんだけどなあ。そうすれば今頃きっと彼女だって」などと自分が今まで独身であることをさも生徒の所為であるかのように恨みがましく呟きながら溜息を零した。
先生がモテないのは自分の所為だろう、多分この時のクラスの心はその一心で運動会の時でさえもこうまではいかないというくらいのまとまりを見せていた。
「入ってこーい」
今か今かと教室中が嵐が来るその時を待ちわびる。ガラガラといつからなのか夏休みの改修工事を経てもなお立て付けの悪い引き戸を引きずって、檻の中に放たれるべく転校生が教室の中に入って来る。
――転校生か。これほど面倒くさそうなものって、そうない。小説とか漫画の世界だと、きっと面倒ごとを運んでくる。
極力関わらないようにしよう。そう心に決めて、視線を再び青空へと旅立たせた。
「………………ん?」
いつまでたってもあれほど待ちわびていたクラスメイト達が騒ぎ始める様子がない。
時間でも止まったのだろうか? 空に向けられていた視線を転校生がいるであろう教壇へと向けた。
「へえ」
転校生にこれっぽっちの興味もない、むしろ避けようとすら考えている俺でさえ声を漏らさずにはいられなかった。一体転校生何某はどれほど恐ろしい形相をしているのかと、うるさすぎるクラスメイトを黙らせるほどの顔をしているのかと思えばとんでもない、その真逆。
海外の血が混じっているのか、日本人ではあり得ないような色素の薄い灰色掛かったミルク色の柔らかそうなゆったりと波打っている髪。教室に差し込んだ朝日を目いっぱいに取り込んでガラス細工のような不思議な光り方をしている赤紫色の瞳。まるでおとぎ話の中から飛び出してきた王子様のような作り物めいた中性的な顔立ち。クラスの、いいや学校にいるどの生徒よりも何歩も先を行っているかのような大人びた、いや気取って芝居掛かっている表情。窓辺で本でも読んでいるのがこれでもかとお似合いな、それこそ俺が小学一年生くらいだったのなら本当にどこかの国の王子様と勘違いしてしまいそうな――そいつは驚くくらいの美形だった。
まるでドラマのような一場面。主人公の転校生が颯爽と、何の変哲もない田舎の一地方都市に色々な事情を抱えてやって来る。まさにそんな場面。
「昨日、この町に引っ越してきたばかりです。宇佐美兎乃です、よろしくね」
表情だけでなく口調や身動き一つでさえも芝居みたいに作り込まれているその転校生が、恭しく頭を下げて見せる。息遣い一つすら聞こえてこなかったさっきまでが嘘のように、窓を開けて居なかったらガラスが割れていたんじゃないかというくらい大袈裟な声が溢れた。
俺はその中で黒板に綺麗な文字で書かれた宇佐美兎乃という名前を、何だか女みたいなヘンテコな名前だとおかしな名前を持っている者同士の共感を覚えていた。
「宇佐美くん質問!! 宇佐美くんってどこから来たの!?」
こんな時、真っ先に騒ぎ始めるのタイプの人間っていうのはそれほど多くない。クラスの人気者の中でも特別明るい奴か、物好きで好奇心が旺盛な映画だとすぐ死ぬおちゃらけた奴か、それともあらゆる弊害を押しのける女子か。
この場合、女子だ。
それも一人の質問で調子づいたのか、やれ誕生日はいつだとか、やれ好きな食べ物はなんだとか、やれ趣味はなんだとか。挙句の果てには好きな女の子のタイプなんてものまで。
答えなんて待つ間もなく、質問だけが次々と。
そして、次の質問を考えるほんの僅かな隙間に、転校生が口を開いた。
「えっと、困ったなあ。質問は一つずつじゃないと、僕には難しいかな」
苦笑いで宇佐美は頭を搔く。微妙に逸らされた目、その仕草を見てそうなんだと確信した。
芝居みたいな仕草も、張り付けられた仮面みたいな胡散臭い笑顔も、多分全部が人と距離を取るためなんだろう。芝居掛かっているんじゃなくて、そのまんま全部が芝居で作り物。教室に入って来てから今の今まで、何一つとして転校生のことが分からない。
女子の質問だってそうだ、普通自己紹介くらいする。けど、転校生は昨日引っ越してきたことしか話していない。だからどこから来たのかも、誕生日も、好きな食べ物も趣味も分からない。この中の一つも分からない、だからきっかけを作るために質問したんだと思う。
意識していたかどうかは分からないけど。
胡散臭い奴だ。そう思った俺は転校生から目を逸らそうとする。
「っ」
目が合った気がした。いや、気がしたんじゃなくて間違いなく目が合ったんだ。ほら、その証拠に転校生は俺を見て一瞬笑うと片目を瞑って見せる。
――やっぱ、気が合いそうにない。
ヘンテコな名前同士なんて考えていたちょっと前の自分を責めたくなった。
――うん、関わるのはやめておこう。絶対に。
騒がしさに収集が付かないと思ったのか、先生が手を叩いて無理やり切り替える。
「転校生、お前の席はええっと…………一番後ろだ。しまった、席を出すのを忘れていたなあ」
一番後ろ? 何だか嫌な予感がする。
「おおそうだ。おい狩生、お前の隣になるから一緒に机を持ってこい」
嫌な予感が的中して、思わず「うげっ」と声を漏らす。
「なんだあ? 何か文句があるのかあ?」
――こんな時だけ教師らしく強気に振る舞いやがって! そんなんだからいつまでたっても独身で、隣のクラスの佐々木先生にこっ酷くフラれるんだ!
そう言ってやりたかったけど、口には出さず。渋々と頷く。
「ええと、狩生くんって言ったよね? うん、是非ともよろしく頼むよ」
転校生が俺に手を出す。俺はその手を取ることもなく、一瞥だけすると教室の引き戸に向かって歩き始めた。
「あはは」
困ったような笑い声が耳に届く。
「ついでにこれからしばらく面倒も見てやってくれな」
「…………どうして、こんなことに」
「あははっ」
俺ががっくりと項垂れると、今度は面白そうに転校生が笑っている。きっと腹でも抱えているんだろう、なにがなんでも後ろを見てやらない。
これが俺と、宇佐美兎乃の初めて会った時の話。この時の俺の転校生に対する第一印象は間違いなく『胡散臭くて信用ならない奴』で。
――この時はこの胡散臭い作り物みたいな転校生が親友とお互いに呼び合うようになるなんて思いもしなかった。
………………
俺、狩生九麓はまあどこにでもいるようなつまらない人間だと思う。
髪の色も目の色も日本人であればそう珍しくもない黒。容姿もどちらかと言えば普通、もしかしたら普通よりも悪いかもしれないけれど普通よりも上ということはないだろう。勉強も運動も、さして得意というわけでも不得意というわけでもない。特技はと尋ねられて真っ先に昼寝と答えてしまうあたり、特別な特技もなし。昔から俺のことをよく知っている人は、俺のことを理屈っぽくて昔から変に難しい言葉を使う面倒くさい奴――と言うけれど、それは俺の親友に言って欲しいことだ。
俺の変わったところなんていうのは、精々時代と逆行している九麓なんていうじじ臭い名前くらいだろう。
たった一人、親友と呼べる関係にある奴がいる。
そいつは普通何て言うどうとでも取れる曖昧な言葉では表しきれない奴で。容姿端麗頭脳明晰、何をやらせても大体そつなくこなしていつもいつも飄々と無駄に様になった作り笑いを浮かべているような、世の中の奇抜を全部詰め込んだみたいな個性の塊のような奴。
その親友が、どういうわけか三日前から学校に来ていない。
何の連絡も寄越さずに休むような、そんな奴ではないと思う。たまに学校をサボってぶらり温泉一人旅とかリアルぶらり途中下車の旅とかをしでかすような奴だけれど、そういう面白そうな遊びを見つけた時はまずは俺を巻き込む――誘おうとするだろう。
身体が弱く、体調を崩しがちで月に一日二日は病欠していた昔とは違って、今はスポーツ万能の健康優良児。風邪なんて一年に一回引くか引かないか。
心配になった俺は帰りのホームルームもそこそこに親友の、宇佐美兎乃の家へと直行することにした。
………………
宇佐美家宅はこの綾柴市でも一際大きくて立派な家の立ち並ぶ、所謂高級住宅街にある。その中でも特に宇佐美家はどこかの大金持ちが気まぐれに建てた別荘をそのまま使っている豪邸で、外観が一昔前のそれということもあって長らく空き家になっていた時からずっと、近所の子供たちからはお化け屋敷などというあだ名で呼ばれていた。
宇佐美家が引っ越してきてからも一時、とうとうお化け屋敷にお化けが住み着いたなんていう噂が流れたくらいだから、噂話にやたらと敏感な田舎町恐るべしである。
俺の家がある住宅街と高級住宅街は隣接していて、徒歩五分ちょっとと比較的近所ということから昔はよくプリントを届けたりお見舞いに行ったりしたものだ。お見舞いという理由がなくなった今では、足を踏み入れ難いこの場所に来ることはめっきりなくなってしまった所為か、近所だというのに道順は曖昧だ。
溜まりに溜まった連絡のプリント三日分を手に、曖昧な道なりを辿って何とか宇佐美家の前に辿り着く頃には既に夕日が差し込んでいた。
「……完全に迷ったもんな」
高級住宅街というのはなんというかその、金持ちオーラのようなものが立ち上がっていて一般庶民には入りがたいものがある。高級住宅街のマダムたちの品定めするような視線を掻い潜るだけでも相当の精神的疲労があったが、それに加えて道に迷ったものだから余計に疲れ果てた。
「こんなことならたまに遊びに来ればよかった――いや、でもなあ」
小学校の時はあれだけ気楽に入って行けたというのに、中学生になった辺りからは空気を読むことを覚えてからは遊びに行くのを躊躇うようになったのを思い出す。
「さて」
兎乃の部屋がある辺り、二階の一角を見上げると二重でカーテンが閉め切られていて中の様子を伺うことはできない。それに加えて家中のどこもかしこも電気が付いていないのか真っ暗だ。夕日を浴びたその姿はまさにお化け屋敷と呼ぶに相応しい、重苦しい雰囲気を醸し出している。
「兎乃の母さんはいないのか」
宇佐美家は兎乃とその母親との母子家庭だ。なんでも兎乃の母親は有名な学者様らしく、しょっちゅう泊りがけの仕事をしていて一週間に一度帰ってくればいい方なんだと、半ば一人暮らしのようになっているんだとやけくそなのか自慢げに語っていた。俺も小さい頃は何度か会って話したことはあるけれど、いかにも大人な美人と言った感じで母親に縁がない父子家庭の俺は緊張してどんな人だったかなんてあまり覚えていない。
ただ、息子が三日も学校をサボっているのに家に帰っても来ていないなんて。少し冷たいんじゃないかと思わないでもない。
「まあ、その辺は家庭の事情だもんな」
俺と兎乃、家のことについてはほとんど話すことはない。その辺りは無言のルールになっていた。
カメラ付きのインターホンを押して、カメラレンズを凝視しながらしばらく待つ。
「出ないな」
寝ているのか、それとも居留守でもしているつもりなのか。そんなことをする奴じゃない。
少し待ってみても出る様子もなく、何となく胸騒ぎのようなものを覚えていた俺は門に手を掛けてた。ほとんど抵抗もなく、少しの運動量を得た門がタイヤをコロコロと転がして人一人が通れる程度に開く。
そのまま玄関口まで歩き、ゆっくりとドアノブを捻る。
「開いてる……な」
流石にここは閉まっているだろう、そう思っていたのに何の抵抗もなくドアは開いた。
「おいおいおい」
綾柴市は確かに田舎町だ。けれど国内でも珍しい研究施設がいくつかあることもあって、無駄に都会かぶれしている地方都市でもある。人口密度はそこそこ、自然豊かではあるものの休日の街中は人混みが苦手な俺がげんなりするくらいで。つまりご近所は皆友達、みたいなそう言う風に扉を開けておいても問題などないドの付く田舎ではないわけで。
ドアの向こうはひんやりとした暗い廊下が続いていた。靴を見ると、乱雑に脱ぎ捨てられているものが一足。何か慌てているような印象を受ける。
特に荒らされているようなことはない、強盗ではなさそうだ。
「邪魔するぞ」
一言だけ声を掛けて、靴を脱いで家に上がる。ついでに乱れていた兎乃の靴を直しておく。
家の中は真っ暗だ。人気が全くと言っていいほどにない。家の中が荒らされているというわけでもなかったが、それでも俺には廃墟じみた雰囲気をしているように見えた。
ちらりと部屋を一室ずつ確認しながら、階段を上がる。
「………………」
UNOとカードゲームみたいなネームプレートの下げられた部屋のドアをノックする。
「兎乃、いるんだろ」
少し大きめに声を投げかけると、部屋の奥でガタンッと何かが崩れたような音の後に何か息を呑むような声が聞こえた。
「大丈夫か?」
返事はない。だけどどうやらこの向こうに兎乃がいるのは間違いなさそうだ。
ドアノブに手を掛け、少し心を落ち着けてゆっくり確かめるように少しずつドアを開けていく。
隙間から部屋を覗くと外から見た時にも分かっていたが真っ暗だ。カーテンが閉め切られている所為か家のどこよりも暗く淀んだ空気が流れている。小さい頃と変わらずに本塗れな部屋は両壁に本棚が張り付けられていて、そこにはびっしりと本が詰まっている。所々お洒落なことに小さな観葉植物が飾られていて、大人の書斎のような雰囲気があった。
部屋の奥、大きなベッドの上。シーツで身体を覆い隠しながら人を警戒する猫のような仕草で、兎乃は俺を待ち構えていた。
「生きてるなら連絡の一つくらい入れてくれよ、心配するだろ」
あまりの警戒っぷりに、俺の足取りも獲物を追うハンターのように一歩一歩確かめるようなものになる。一歩進むたびにビクリと身体を驚かせるものだから、何だかこっちが虐めているような嫌な気分にさせられた。
そして、いよいよ暗がりの中でも顔が見えて来たその瞬間。
「っ!?」
驚きのあまり声は出なかった。ベッド一面に広がる灰色掛かったミルク色の長い髪。くりくりと大きな涙の痕の見える赤紫色の瞳。真っ白な肌に北欧人のような整った顔立ち。
「…………クロ」
「兎乃、なのか」
クロ。俺をそう呼ぶのはこの世界でただ一人。俺の唯一の友達にして親友の宇佐美兎乃ただ一人のはずだ。
けれど。
俺の目の前にいるのは。
「誰なんだ……」
きゅっとシーツが引き寄せられる。ベッドの上で震えていたのは――――とんでもないくらいの美少女だった。