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先生の秘書になりました。  作者: 佐島楓
20/26

先生の時間を、わたしに

「申し訳ありませんでしたっ!」

 

 昼下がりのしゃれたカフェ。

 暑さを避け、それぞれにくつろいでいたお客たちが、突然響いた声に、なにごとかとこちらを見る。

 

 視線の先には、わたしと先生。

 先生は、半身を倒し、両手と額をテーブルにつけている。


「せっかくのきみの誕生日に、あんな醜態を……!」

 わたしは頭を抱えている。

 どういう羞恥プレイなんだ、これは。


「あの、先生」

 先生にささやきかけると、彼はすっと頭をあげ、上目遣いにわたしを見る。

「お気持ちは嬉しいんですが、みんな、見てますから……」

 その言葉に我に返ったのか、姿勢を正す先生。


「なんだ、痴話げんか?」

「あの男のひとのほう、見覚えがあるなあ」

「もしかして、長谷川真?」

「えー誰それ、知らない」


 ……ますますいたたまれなくなる。


 誕生日から一晩が過ぎ、改めてわたしは先生と落ち合った。

 確かに夕べの先生のリバース劇は予想外だったけれど、ギリギリ最悪の事態は回避できた。

 先生もさすがに酔いがさめて、自分で始末をしていたし。


 だから、わたしのほうには、あまり問題はなかった。

 もともと、そんなことを引きずる性格ではない。


 ……ただ。

 先生のほうが、よっぽど気にしているようだった。


 それはやはり、今でもあの告白が、有効ということなのだろうか?


「いや、やはりね」

 先生は自分のシャツの襟を正しながら、

「きみの二十歳の誕生日は、昨日の一日しかないわけでね……。

 それをぶち壊されたという印象は、一生残るわけだからさ……」


「だから、本当にわたしは、気にしてないんです」

 面倒くさい性格だなー、この先生。知ってたけど。


「でもこれでは、ぼくのほうの気持ちが収まらないんだよ」

 結局、自分のことなのか……。


「だから、命を賭けるとか、ぼくが破産するレベルの無茶でなければ、

 きみの言うことをひとつ、なんでもきくよ」


 極端なひとだ……。

 なかば呆れながら、わたしは少し考える。


 これが先生だったら、サディスティックなことを山ほど思いつくのだろうけれど、

 あいにくわたしは、そんな邪悪さを持ち合わせていない。


 先生は、目を伏せて、おとなしくなってしまっている。

 刑の執行を待つ、囚人のようだ。


「……じゃあ、先生」

「うん」

「これからの先生の時間を、わたしに少しください」


 行きたいところがあるんです、とわたしは微笑んだ。


 先生の前に立ち、地下鉄の駅を目指す。

「どこに行くの?」

 先生の問いに、微笑みで返す。

「到着するまでの、秘密です」


 先生はこういうシチュエーションに慣れていないみたいで、多少不本意そうだ。

 でも、リードされるばかりでは、こちらもつまらない。


 地下道に下り、複雑な通路を解読し、空いても混んでもいない車両に乗る。


 ふたりが座れるスペースを見つけ、腰かける。

 先生の体温が伝わってきて、どきりとする。


 距離が近い。

 思えば、ここまで接近したことは、ほとんどなかった。


 先生は、相変わらず読めない表情をしている。

 なんだかそれが悔しい。


 わたしの視線に気づき、先生が、

「キスしようか」

 と、投げ出すようにいう。


 さすがに、からかわれているのがわかるほどには大人になった。


「セクハラ」

 ささやき返すと、先生は、まいったなというふうに口元をゆがめる。


 それがさまになっているものだから、かえってわたしの心が揺れる。

 ……イヤだな。苦しいな。


 駆け引きができるほどには、大人になれていない。


 車内の中づり広告に目をやって、自分をごまかした。

 ……ああ、先生の新刊の広告が出てる。


「ありがたいな」

 同じところを見たのだろう、先生もつぶやく。

「けっこう、こういうプロモーションも、ばかにならないんだ」


「それだけ、先生に期待がかかっているってことです」

 わたしは、先生に視線を向けずにいった。

「……まあね」

 かすかに、うなずく気配があった。


 地下鉄を二回乗り換えて、精算し、地上に出る。

 ずいぶん遠いところまで来たような気がする。


 わたしも、数えるほどしかこの駅に降り立ったことはない。

 先生なら土地勘はありそうだけれど、なにもいわずわたしについてきている。


「確か、こっちに……」

 うろ覚えの地図を頼りに、曲がりくねった道を進んだ。




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