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先生の秘書になりました。  作者: 佐島楓
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葛藤

 ケーキは半分だけカットしていただき、ふたりで食べた。

 ラム酒がきいていて、ふわっと溶けるような触感。


 残りは包んでもらって、持ち帰る。


 お勘定の間、わたしは落ち着きをなくしていた。

 さっきの態度で、せっかくお祝いしていただいたところに水を差してしまったのではないかと恐れたのだ。


 先生はさすがに大人で、そんなことはおくびにも出さない。

 けれど、どこかで引っかかっているのだったら、申し訳ない。


 わけを話さなくてはならないだろう。

 きわめて個人的な理由なのだ。


 お店でタクシーを呼んでもらった。

「あと五分ほどで到着するようです」

 電話をかけてくれたお店のひとがいう。


 先生は、プリントアウトされた私の写真を受け取り、胸ポケットに入れていた。


 少し耳を澄ませた。

 隠れ家的なこのお店にも、顔を合わせないだけで、ほかのお客さんがだいぶ入っているようだ。

 ひとの低い声や、気配がする。


 ここを出たら、魔法が解けてしまうのだろうか?


 隣の椅子に座る先生を見た。

 口元に微笑を浮かべていて、ほっとする。


 ふと、視線がぶつかる。

 刹那、それが意志を持ち、激しく絡まった。


 ここに意味合いを見出さなければ、大人ではないだろう。


 デート……。

 そうだ、誰が見たって、このふたりがしていることは、デートなのだ。

 単なる小説家、もしくは大学教授とその秘書ではない。なくなってしまった。


 このまま、進んでもいいのだろうか……。


 ワインのせいで、こんな気分になるのだ、とわたしは額に手をやる。

 今日は明らかにおかしい。こんなの自分じゃない。


 媚薬でも混ぜられたか、と勘繰りたくもなる。


「お車、到着しました」

 お店のひとが、知らせる。


 ああ、魔法が解ける。


「ありがとう」

 先生は、先に乗りこんでしまう。

 ということは、方向からいって、わたしをこのまま帰そうとしているのだ。


「先生」

「うん?」

「このケーキ、一緒に食べちゃいません?」


 声が、不自然に震えたのは、先生もきっと気づいたはずだ。


「それはいい」

 先生は、口元で笑って、ご自宅の住所を告げた。


 夜道を走り出すタクシー。

 先生は、車窓に目を向け、ときどきまぶたを閉じている。


 ふたりの間には、ケーキの箱。

 丁寧に保冷剤が同梱されている。


 わたしの手。

 指先に神経を集中させる。


 この手を、こちらに伸びている、先生の手に重ねたなら……。


 転がり落ちるように、わたしたちは、そうなってしまうだろう。

 しかも、先生はそういうことを望んでいる。

 

 確信があった。

 女に備わった嗅覚だ。


 しかし、わたしは、ぴくりとも指を動かすことができなかった。


 自分の心の動きを、懸命に追うのだけれど、

 先生に焦がれる気持ちと、それにあらがう気持ちとが、どうしても喧嘩をしてしまう。


 そして、最後に、抵抗する気持ちのほうが勝つのである。


 本意ではないように思う。

 だけれども、わたしは、怖がっていた。

 まるで子どもだ。

 自分で自分を嗤ってしまう。


 先生とわたしの間の均衡を崩す勇気もない。

 ある程度以上、もう壊れているのに……。


 先生は、わたしの葛藤を見透かしているように感じられ、とても憎くなる。


 しょせん、手のひらの中なのか……。


 今のわたしなら、一押しされたら、倒れてしまうだろう。

 そのカードは、先生が握っている。


 ふわふわとした気持ちで、とりとめのないことを考えながらも、

 タクシーは、見覚えのある景色に移っていく。










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