出版社にて
一瞬意識を失ったと思ったら、またしても激しい着信音で叩き起こされた。
「いのりちゃーん、起きなさーい!」
「ふぁ、ふぁーい……」
せんせ……、先生?!
「大変失礼しました!
……って、今日は先生もわたしも、講義はないはずですが?」
「ぼくは毎日仕事があるの!
きみ、マスコミ志望だったよね?」
「いえ、まだはっきりと決めたわけでは……(ごにょごにょ)」
「出版社に行くよ!
新刊の打ち合わせ!
しかも天下のS新社!」
「……!
お供させていただきます!」
……というわけで。
一時間後には、わたしはS新社の社屋の前に立っていた。
「すごいでしょう」
先生は、自分の手柄みたいに、社屋を見上げるわたしに威張ってみせる。
「……すごいですね」
こういうのって、建造するのに、いくらぐらいかかるんだ……?
何億? 何十億?
「行くよー」
先生は颯爽と、入り口に向かう。
わたしはひたすらその背中を追いかける。
「おはようございます」
受付には、二人の受付嬢。
美人さんだなー……。
「あ、長谷川と申しますが、文芸部の有森さんお願いします」
先生は、いつもよりまじめだった。
……それもそうか。仕事先だもんなぁ。
受付嬢は、手元にある電話をかけて、
「少々お待ちください、とのことです。
すぐに参ります」
にっこりと、ルージュに彩られたくちびるを見せつける。
先生と一緒に、置かれたソファーに座る。
新刊案内のポスターなどを、見るともなしに見る。
書かれているのはだいたい知っている、ビッグネームばかりだ。
吹き抜けになっている、おしゃれなビルで、なかなか落ち着かない。
ここで働くというイメージがわかないわたしは、まだ子どもなんだろうか。
どこからともなく、ひとりの男性が歩み寄ってきた。
先生はぱっと立ち上がり、一礼する。
わたしもそれにならい、男性を観察する。
年齢は五十歳前後くらいだろうか?
どこか、油断のならない感じがする……。
「お久しぶりです、長谷川先生」
「いや、久しぶりといっても、年内にご一緒しましたよね、有森さんとは」
「あ、そうですね。忙しいと、時間の感覚がね……。
ところで、こちらのかたは?」
わたしのほうをじろりと見る目が、ちょっと怖い。
「あー、これは、ぼくの親戚で……。
出版社志望だってことで、仕事を見せてやろうと思ったんですが」
先生がフォローしてくれ、少し肩の力が抜ける。
「なるほど……。
まあ、そういうことでしたら」
「こちらにどうぞ」と、有森氏に導かれ、会議室に入る。
三人で、大きな机の前の席に座った。
「読んでいただけましたか」
先生が、前のめりになっている。
「うん。よかったですよ」
「本当ですか!」
有森氏の好感触に、パッと顔を輝かせる先生。
「ここ数年では、一番じゃないですか?
特に、あの主人公のせりふとか。
絶望の中に、希望を見出すという……」
しばらく、わたしにはわからない会話が続いた。
でも、わたしは静かに興奮していた。
長谷川先生の、本がつくられる現場に、わたしはいま、立ちあっている。
これに喜びを感じない愛読者が、どこにいるだろう。
「……で、出版の日取りですが……」
「初版は……」
ハッとして、我に返る。
いかんいかん、どういうことが話されているのか、きいておかないと。
「そうですね……」
有森氏は、ひげでザラザラしていそうなあごをなでて考えるそぶりを見せる。
「うーん……。
とりあえず、五千部というところでしょうなあ」
「五千部……」
先生は、明らかに落胆している。
「まあ、いまの出版状況だと、これが限界ですね」
有森氏の言葉は、どこか投げやりに聞こえた。
「また、ご連絡しますよ」
「はい、ありがとうございます」
有森氏は、背を向けて去っていく。
先生は、悄然とした態度を隠さない。
「……あっ、そうだ」
先生は、なにかを思い出したように動きを止めた。
「ちょっと、別の編集者に用があるから……」
ここで待ってて、とわたしを留め置き、受付に走っていってしまう。
「あ、先生……」
わたしは、十歳くらい時間を巻き戻された気分になる。
とりあえず、さっき待っていたソファーのところまで行って、待つことにした。




