新たな出会い
地下鉄の駅から地上にのぼると、目に飛び込んできたのは桜並木だった。
わたしの新たな門出を祝福してくれているようで、思わず目を細めてしまう。
着なれないスーツの襟をさっと直して、早くも靴擦れ気味の5㎝ヒール・パンプスをコツコツと鳴らし、歩き出す。
長かったな、ここまで来るのに……。
物理的な意味ではなく、時間的な意味だ。
苦手な英語を合格ラインに押し上げるのに手間取ってしまい、最初の受験は全滅。
二年目、先が見えない不安に押しつぶされそうになりながらも、なんとか第一志望の大学に合格した。
合格発表の掲示板に自分の番号を見つけたときは、喜びより先に、安堵感が先にこみあげてきた。
この目をふさがれたような一年が、無駄じゃなかったという証をようやく手に入れられたのだから。
思い思いの服装で進む学生に混じり、わたしはオープンキャンパスのとき何度か目にした大ホールを目指す。
今日は、わたし、高宮いのりの、記念すべき美桜大学入学の日だ。
次々と学生が、大ホールに吸い込まれていく。
わたしもあとに続き、その規模に圧倒された。
でかい!
何人収容できるんだ……!
ちょっとしたロックコンサートが開けてしまいそうな大きさ。
新入生とその父母、教員、合わせて……数千人!?
さすがマンモス私学、羽振りがいい!
わたわたしているわけにもいかないので、学部別になっている席順を確認し、席に着く。
すでに顔見知りになっている人たちも多いみたいで、おしゃべりに花を咲かせているグループもある。
こういうシチュエーションを苦手としているわたしは、背を丸めるようにして座っている。
だって、よっぽどの共通項がない限り、初対面の人と仲良くなんてなれないよ……。
ひたすら、スマホとにらめっこして、時間をやり過ごす。
やがて、定時になり、式が始まった。
校歌斉唱で起立が求められ、しぶしぶ席を立つ。
聞いたことのない歌が流れる。
へえ、美桜の校歌って、こんなきれいなメロディーなんだ。
そして、学長の訓示が始まる。
正直言って、周りは全然人の話を聞く雰囲気じゃない。
「このあとどうする~?」
「お腹すいた~。駅前でなにか食べよう」
的な話が、垂れ流されている。
わたしもさすがに、退屈になってきた。
話が長いのは、大学の先生でも同じなんだな……。
「それでは、各学部の先生方に、具体的なお話をしていただきます」
「まず、文学部の、長谷川真先生」
そこで、半分眠っていたわたしの意識が、くわっ! と覚醒した。
壇上に、すらっとしたスタイルの、スーツ姿の男性が上がる。
「ご紹介にあずかりました、長谷川と申します」
その落ち着きのある美声に、女子学生の一部からざわめきが起こる。
「ぼくの担当は、日本文学全般です。
ご存じないかたもいらっしゃるとは思いますが、本業は、小説家です。
この中には、小説家になりたいという夢をお持ちになっているかたもいると思います。
小説を書く上で、必ずしも大学で勉強した知識が必須になるかというと、実はそんなことはありません。
ただ、先人がどのような経緯を経て、どのような作品を遺してきたかという事実は、知っておいたほうがいいと思います。
私たちは、結局のところ、先人たちの書いたものに、現代の風俗を付け加えてなぞる作業しかできないのですから。
その中で、いかに新しい文学の可能性を模索していくか。
そういったことを、講義でお話ししていければと思っております。
ご清聴、ありがとうございました」
しっかりとした拍手が起こった。
わたしも、慌てて手を叩く。
「長谷川先生、素敵……」
隣の子が、ため息とともにつぶやくのを聞いて、噴き出しそうになる。
「ねえ、そう思わない?」
手を取られたので、わたしはびっくりして彼女の顔を見る。
うわぁ、お嬢様っぽい、かわいい子……。
セミロングの染めた跡もない髪を背中に流して、色白で、メイクはナチュラル。
リップはパールピンク。
レースをあしらった白いワンピースに、グレーのジャケットを羽織っている。
「あ、あなたは……?」
「あ、ごめんなさい。つい興奮しちゃって」
女の子は、こほん、と口の周りを手で覆って咳払いをし、
「西園寺綾乃と申します。
文学部日本文学科の新入生です」
「あ、わたしは高宮いのり。
おんなじ学部なんだ。よろしくね」
ところで……と、わたしは声を潜めて、
「長谷川先生のファンなの?」
「もちろん!
先生の作品は、全部読んだわ」
仲間だ……!
ドキドキしながら、わたしもそうなの、とカミングアウトする。
「わぁ……! 嬉しい!
今まで周りにそういう人がいなかったから!」
「わたしも!」
大学に入ってよかった……!
「ねえ、メッセージ交換しよう!」
「しましょうしましょう!」
登録完了!
こんなに簡単に友達ができるなんて、奇跡だ!
「改めて、よろしくねーっ!」
「こちらこそ!」
握手した手をぶんぶん振っていると、さすがに周囲から咳払いをされてしまった。
ふたりしてしゅんとなって、おとなしくする。
「式が終わったら、どこかでおしゃべりしましょうね」
綾乃ちゃんがこそっと言った言葉に、何度もうなずく。
前途は、明るいように見えた。
少なくとも、この時点では。