風雷作戦 その1
やっとこさ色々時間が出来てきたぜ!
1937年6月1日午前6時30分
サンディエゴ戦線 最前線
『サクラサクラ』
この通信を受信してすぐサンディエゴに待機していた扶桑軍は動き出した
初めに野戦重砲隊が合衆国軍砲兵隊に対し砲撃を開始したのである
当時合衆国軍は対空偽装等によって重砲の隠蔽を行っていたが、正直な所ド素人も良いとこで約80%の砲台や砲が壊滅し、残った砲も対砲射撃で反撃したが、既に対砲電探を標準装備していた扶桑帝国軍の重砲隊や航空隊によって壊滅したのである
そして砲兵隊を黙らせた扶桑軍は機甲部隊を中心とした突撃部隊を編成し、合衆国軍の防衛線を砲撃火力と航空支援で突破したのである
この動きに対し合衆国軍も機甲部隊を中心とした即応部隊を展開し迎撃に移ったのである、扶桑軍はこの即応部隊に対し機甲戦力のみで交戦したのである
暫く戦闘を行うと扶桑軍は撤退を開始し始めた、負け続きだった合衆国軍は直ちに追撃を開始した
そして追撃していた彼らが見たものは...
「よく来たないらっしゃい、そしてくたばれヤンキー共!」
隠蔽していた多数の簡易対戦車陣地に籠る突撃部隊の姿だった
扶桑軍自身も攻勢は苦手だと重々承知していたので、だったら攻勢する姿勢みせて合衆国軍の即応部隊を誘き出した後、防御陣地に籠り引きずり込んで叩こうという腹積もりだった
この思惑に一部のヨーロッパ帰りの将兵は気付き警告を出したが、彼らは合衆国軍の中でも負けて帰って来た連中と呼ばれ、立場が低かった為聞き入れられる事は無かったのである
そんなこんなで抵抗を排除した扶桑帝国軍は前進、メヒカリ基地を目指したが
「こっちだって暇してた訳じゃないからな。」
基地の守備を担当していた大佐...ジョンストン・D・マクドウェル大佐とハワード中将の指揮の元、破損したり乗員が到着していなかった戦車の砲を下ろし陣地間物資移動用の大型トロッコに据え付ける事で対戦車砲としたり、メヒカリ基地全体の地下を掘り抜く等で要塞化していたのである
この事を知った扶桑軍司令部は敢えて包囲するだけして放置する戦略をとり前進していった
そして1ヶ月後前線は北から農業都市フレズノ・交易中継都市ラスベガス・国境都市ツーソンの半月型に構築されていた
合衆国軍は昼間多数の航空機を使い移動する扶桑軍を補足し攻撃しようとしたが、扶桑軍は航空機の少なくなる夜間に高速道路を資材を積んだトラック部隊を月明りや苦労して開発量産した車載式赤外線カメラを搭載した装甲車や対空戦車を中心とした先導の元通称『キャラバン』と呼ばれる車輌部隊が高速道路を爆走し、夜明け前に陣地を構築し空襲に備えるという力業で展開したのである
合衆国軍はこの動きに対し、既存の双発攻撃機に野戦装備を搭載するなどして対応しようとしたが
「敵機来襲! 迎撃しろ!」
赤外線探照灯や車載式電探を装備した装甲車に捕捉され、野戦戦闘機隊を呼ばれたり攻撃態勢に入ったところを多数の対空戦車部隊の対空砲火により失敗する事が多かった
そしてロサンゼルスは洋上に展開した扶桑帝国海軍第3・第4艦隊の空母航空隊や艦砲射撃の支援を受けた陸上部隊の攻撃により陥落したのである
さすがに両国とも前線一帯に塹壕を構築するだけの力はないため防衛に適した地点を保持し拠点化し防衛、侵入してきた部隊に対しては機甲部隊を中心に機動戦を展開する事になった
そして毎度の如く拠点は要塞化され、前線では従来とは比較にならないほどの戦車戦が勃発する事となる




