シャム地方攻防戦その三
1936年4月15日
シャム地方天朝国境都市モンラ付近第一防御陣地
増援であるチハ4両が到着した直後、天朝軍7千が第一防御陣地に攻撃を仕掛けて来た
防御についている扶桑帝国軍の将兵達は即座に配置に付き、最新鋭の三六式小銃や三六式軽機関銃を始めとする歩兵火器や中隊に配備されている三六式100mm榴弾砲(オイ車に搭載されている対戦車砲の対戦車徹甲弾も撃てるように設計された物)2門に最新な上に信頼性の高い三一式軽迫撃砲(史実の九七式曲射歩兵砲に相当する物)4門で数の暴力で攻撃を行ってくる天朝軍に対して反撃を開始した、また他にも狙撃銃代わりにもなる三六式軽狙撃機関銃(史実の九九式軽機関銃)4丁が狙撃兵に支給されており、支給された狙撃兵たちは今まで使用していたニニ式小銃改(史実の三八式改狙撃銃)からスコープを取り外し付け替えて装備して攻撃を行った
三一式軽迫撃砲と三六式軽狙撃機関銃の性能諸元は
三一式軽迫撃砲
性能諸元
口径: 81,3mm
砲身長: 1,269mm
重量: 67kg
俯仰角: +45度~+80度
旋回角: 左右各3度
砲口初速: 196m/秒
最大射程: 2,900m
発射速度: 20発/分
砲弾・装薬
弾薬: 81mm迫撃砲弾・装薬
砲弾: 三一式榴弾
三二式毒ガス榴弾
三六式軽狙撃機関銃
口径 7,7mm
銃身長 483mm
使用弾薬 7.7×39mm弾 三五式実包
装弾数 30発
全長 1,190mm
重量 11,4kg
発射速度 700~800発/分
銃口初速 670~715m/s
有効射程 1,100m
となっている
スコープ付きの三六式軽狙撃機関銃を装備した狙撃兵達は、その狙撃銃にも負けない高い射撃精度と通常の狙撃銃と違い連射できる点から、護衛付きの督戦部隊や砲撃部隊に対し護衛も纏めて薙ぎ払うという芸当を行っている
まあそんなこんなで兵士達の錬度こそ普通ではあるが様々な強力な兵器を操る扶桑帝国軍であるが、対する天朝帝国軍は悲惨な状態だった
まず一つ目に歩兵の錬度が御粗末過ぎた事があげられる
天朝帝国軍の正規軍は皇帝直属の5個近衛師団と10個歩兵師団に2個戦車師団だけなのである、その理由としては『我が天朝は内乱の心配が無い為この規模で十分』という表の理由としてあるが、実際はこれ以上増やしたら給金の横領や武器の横流し等の不正や反乱が蔓延する恐れがある為である
その為天朝帝国軍では有り余る程いる自作農(実際は農奴)の国民達を武装させただけの突撃兵を主力とし、突撃兵のみで構成されている突撃隊を一気に突撃させた後その攻撃によって消耗した敵軍を正規軍の突撃によって粉砕する人海戦術ドクトリンを採用している
二つ目は武装が貧弱過ぎるという事があげられる
天朝帝国では何とか産業の近代化には成功したものの不正が横行して工業レベルが低かったのと、兵器の無断コピーによる諸外国からの技術封鎖や限られた者達しか学校に行けないという状態によって技術研究が進まないといった状況の為技術レベルが低すぎたのである
兵器の無断コピーについては約46年前である1890年頃に起こった『シュパンダウ事件』等があげられる
主な内容としては、『シュパンダウ事件』は1890年代に天朝帝国軍がゲルマン連邦から輸入したMG08重機関銃を『98式重機槍』として内部構造を無許可でパクった事件である
他にも様々な兵器を無許可でパクリまくった為、どの国も兵器輸出等を渋ったのである
そして大学等に通えるのは一部の特権階級だけであったり、そもそも内容が低かったので研究レベルが低かったのである
この二つがあった為、歩兵の主力火器が五発装填式で低性能なボルトアクションライフルと低火力の破片手榴弾に同じく低火力の対戦車手榴弾に火炎瓶といった有様であり、戦車も最近では合衆国から提供されたM3軽戦車が入ってくるまでは機関銃のみ搭載した旧式の対歩兵戦車といった状態であり、航空機に関しては複葉機が主力と言った有様だった
一番マシな部類である砲に関しても諸外国と同じ性能の37mm砲といった状態だった
そして最後に戦術や士官である
戦術は人海戦術ドクトリンだが、その内容は『とにかく多数の歩兵を同時に突っ込ませる、砲撃はその前か途中で行う』という事だけである
しかしこんなに御粗末ながらも数が多い為脅威であることには変わりなかった
士官に関しては特権階級や採用担当に金を抱かせて採用された人間ばかりであり、有能な人間が出てきても冤罪を掛けられて除隊処分にされたり暗殺されたりで無能で保守的な者達ばかりがなっている為、どの国よりもレベルが低かった
そんなこんなで逆に同情してくる有様だったが、その兵数から放たれる弾幕は驚異の一言に尽きなかった
現に第一防御陣地にはライフル弾の弾幕が降り注ぎ、扶桑軍は塹壕に隠れながらチハや迫撃砲等の砲撃でひるんだところで弾幕射撃を行う戦法しか取ることが出来なかった
戦局は膠着状態に陥ったが、事態は扶桑側に傾いた
要塞に設置された三三式40センチ重要塞榴弾砲から放たれた榴弾が降り注ぎ始めたからである
たまらず天朝軍は浮足立った、そしてその隙を中隊長の佐藤は見逃さなかった
佐藤は三六式軽狙撃機関銃を装備している狙撃兵達に督戦隊を狙うのを指示したのである
それにより督戦隊は狙撃銃並みの精度で飛んでくる弾幕に壊滅し、天朝軍は更に浮足立った
そこにとどめを刺したのは超重戦車であるオイ車である
始めて怪物の如きオイ車を見た天朝軍は潰走したのである
この戦闘は扶桑帝国軍の勝利で終わったのである




