車両紹介
三六式重戦車 オイ車
全長 11m
全幅 4.2m
全高 2.5m
重量 110t
速度 前進時15km/h 後退時25km/h
武装 100mm長砲身対戦車砲1門 50発
47ミリ短砲身対歩兵砲2門 80発
三六式軽機関銃2門 1200発
装甲 前面装甲:80mm
側面装甲:45mm
乗員 11名
エンジン 飯島重工製900馬力ガソリンエンジン二基
この戦車は激戦が行われると予測されるシャム地方防衛の為に、直哉近衛武官から提供された試作戦車のデータを元に移動できる重トーチカとして開発された物
速度は前進時は遅いが後退時はそれなりに速度が出る様に設計済みである為、防衛時は心配無し
現地で簡単に組み立て出来る様に設計されているので、現地までは分解して運び現地到着後に組み立てる事でどんな場所でも展開可能
後の扶桑帝国軍重戦車の元となった
三五式中戦車チハ
全長 8.5メートル
全幅 3メートル
重量 34トン
武装 主砲 長砲身75ミリ対戦車砲 弾数70発
副武装 主砲同軸型三六式軽機関銃1丁
車体搭載型三六式軽機関銃2丁 弾数3000発(3丁合わせて)
前部装甲 80ミリ
側面装甲 60ミリ
後部装甲 50ミリ
上部装甲 30ミリ
時速 40キロ
行動可能距離 200キロ
乗員数5人
エンジン 飯島重工製400馬力ガソリンエンジン
史実のチハよりも3倍程値段が高くなっているが、量産が進めば安くなるので問題は無い
といっても値段以外に問題があり、現場からは
『機動性は良いがエンジンが不機嫌な事が少々多い。』
『ガソリンを使っているから引火しそうで恐い。』
との意見がでている
終戦まで活躍し、戦中及び戦後の主力戦車に色々と受け継がれた
三六式主力戦車『チリ』
全長 8.5m
車体長 6.9m
全幅 3.3m
全高 2.8m
重量 45t
速度 46km/h(整地)
31km/h(不整地)
行動距離 250km
武装 主砲 三四式90mm対戦車砲
副武装 三六式軽機関銃×2
乗員 5名
エンジン 飯島重工製550馬力ディーゼルエンジン
使い勝手の良かった『チハ』の設計を元に、現場からの意見も反映させて作り上げた主力戦車
三六式支援戦車『オ二車』
全長 10m
全幅 4m
全高 2.1m
重量 88t
速度 前進時20km/h 後退時30km/h
武装 三六式100mm長砲身対戦車砲改1門 60発
二八式37ミリ短砲身歩兵砲1門 80発
三六式軽機関銃2門 1500発
装甲 前面装甲:90mm
側面装甲:50mm
乗員 8名
エンジン 飯島重工製900馬力ディーゼルエンジン二基
重すぎた『オイ車』を再設計する事により軽量化させたもの
武装を重い対歩兵砲から比較的軽量である旧式の歩兵砲を在庫処分も兼ねて変更、主砲も『オイ車』の物から軽量化させた三六式100mm対戦車砲を搭載させる事により、かなりの軽量化に成功した
軽量化してエンジンに余裕が出来た為、その分を少し弾薬庫と装甲の大型化して全体的な高性能化に成功した
九式主力戦車『シロ』
全長 8m
車体長 5.9m
全幅 3.3m
全高 2.8m
重量 44t
速度 48km/h(整地)
37km/h(不整地)
行動距離 300km
装甲 前面 75mm
側面 50mm
後部 40mm
武装 通常型 主砲 三六式90mm対戦車砲(三四式よりも貫通力を高めた物)1門 60発
副武装 三六式軽機関銃×2
対空型 主砲 三六式20mm四連装機関砲 2000発
副武装 三六式軽機関銃×2
水陸両用型 主砲 短砲身75mm榴弾砲 1門 70発
副武装 三六式軽機関銃×1
非武装派生型 野外炊事型 汎用輸送型 野戦陣地作成型
乗員 4名
エンジン 飯島重工製550馬力ディーゼルエンジン
『チリ』を更に改良し生産性と性能向上を図ったもの
一日で5台出来る程生産性が高く、派生型も含め大量生産された
名前の由来は主力戦車のシと主力戦車としては二番目に開発された事からロ
九式支援戦車『オロ車』
全長 9m
全幅 7m
全高 2.1m
重量 59t
速度 前進時20km/h 後退時35km/h
武装 主砲 三六式120mm長砲身対戦車砲改1門 60発
副武装 三六式軽機関銃×2
装甲 前面装甲:100mm
側面装甲:50mm
乗員 8名
エンジン 飯島重工製700馬力ディーゼルエンジン1基
対戦車自走砲として『オイ車』の設計図を参考に開発された支援戦車
主砲として固定式の高火力超射程の120mm砲を搭載しており、M26パーシング重戦車を一方的に撃破させることが出来る
3号戦車
史実においては国防軍が主力戦車として設計製造した20トン中戦車だが、この世界では戦死した先代のバルクホルン公爵ディートフリートとゲルマン連邦帝国陸軍が計画した装甲戦力整備計画において製造された高機動で歩兵部隊を支援する戦車として、バルクホルン公爵領にある試験工場において他の試作車輛と一緒に試作量産された
史実との違う点で、火力は初め25ミリ機関砲という低火力で高い機動性を叩き出しており、将来的には各歩兵師団に20両単位で配備し対歩兵戦力として装甲車扱いで正式採用された
しかしガリア侵攻の際にその高い機動力を見込まれ即応部隊として配備運用された、後に火力不足と車輌不足から25ミリ機関砲から50mm60口径砲に換装され合衆国参戦前まで奮闘した、M4シャーマンが出てくるようになると戦車戦からは4号以上の主力戦車や突撃砲等の車輌に譲り、火炎放射器を装備して対歩兵戦力として復帰し戦い続けた、ゲルマン連邦帝国の不屈の闘志を現した車両となった
因みに1号と2号は試作されたが3号が優秀過ぎて正式採用されなかった