『松事件』その一
1935年9月3日火曜日午後1時
呉発ハワイ行き船団 通称『クハ32船団』
この船団は呉を出発し、マリアナ諸島とクエゼリン島にある帝国海軍基地に立ち寄った後にハワイ王国に向かう船団である、船団には護衛として、艦上戦闘機17機と艦上爆撃機13機を搭載した軽空母一隻・最新鋭の対空軽巡洋艦二隻・最新鋭の対潜駆逐艦四隻・最新鋭の対空駆逐艦三隻の計十隻の護衛艦隊が同行していた、そしてこの艦隊はハワイ到着後、扶桑で解体される予定である旧式の軽巡洋艦三隻と旧式の駆逐艦七隻と任務入れ替わり、帝国海軍ハワイ駐留艦隊に配備される予定となっていた、艦隊編成は
椿型軽空母(椿型輸送艦の空母バージョン)一隻
菊型対空軽巡洋艦(量産型の護衛軽巡洋艦、椿型同じように命名される)二隻
松型対潜駆逐艦(量産型の護衛駆逐艦、椿型と同じように命名される)四隻
梅型対空駆逐艦(量産型の護衛駆逐艦、椿型と同じように命名される)三隻
となっており
艦隊陣形は、旗艦である椿型軽空母とその前方に布陣する菊型対空軽巡洋艦一隻の周りを輸送艦五隻と油槽艦三隻と民間の輸送船二十隻が取り囲み、更にその周りを残りの護衛艦で守る形になっていた
始めこの陣形は守る対象が多すぎて厳しいという意見があったが直哉が
「まだ我が国はどことも開戦してないから警戒するのは海賊位だけだから大丈夫。」
と反対する者を説き伏せて組ませている
そして船団は三週間の航海も大半消化し、残すはクエゼリン島とハワイまでの航路三日間だけだった
しかしその日に歴史を揺るがす事件が起きた...起きてしまったのである
その日護衛艦隊旗艦である椿型軽空母一番艦搭載の艦上爆撃機海竜第一小隊の早川拓海(はやかわたくみ 22歳)大尉は甲板上で昼食として支給された航空弁当の海苔巻きとサイダー片手に最早日常となっていた合衆国軍機の編隊が行う低空飛行をのんびり見ていた
「いやー、やっこさん飽きないねぇー。」
「いや、なんで大尉のんびりしてるんですか。」
海苔巻きを齧りながら呟いた早川の言葉に、早川機の通信士兼航海士をしている扶桑系ポリネシア人の栗林イリマ兵長(21歳)がそう突っ込んだ、それに続くように
「そうですよー、おかげでイチャイチャしてた時間があの馬鹿共に潰されたんですから落としに行きましょうよー。」
と後方機銃を担当している扶桑系ポリネシア人の早乙女ナル兵長(21歳)はかなり物騒な事を言い放った
イリマは
「ナルお前は何アホな事言ってんだ...まあ気持ちはわからんでもないが。」
と半ば同意しながら突っ込んだ
早川は
「そうだねー、こっちも昼飯食う直前で邪魔されたから結構イラついてるのよね。」
と目を細めながら返した
扶桑では男女の割合が4:6程なので、互いの合意があれば一夫多妻の家庭を持つことが許されている
幼馴染であるイリマとナルも所属した先で知り合ったのんびりな性格の早川の事が好きになったので両者同時に告白し、すでに婚姻関係になっている
早川はイリマとナルの言葉の掛け合いを聞きながら低空飛行をしている編隊の中のフラフラしている機体に注意しながらのんびりと過ごしていた
ただそんな平和な光景は十五分後に崩れる事になる
因みにこの艦隊はどの船も比較的高速船で構成されているので、かなり余裕をもって航海しています




