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7 祈り

 傭兵団『キンタロウの斧』。

 それに関して、ハルも大まかな評判は聞いていた。


 どこぞの貴族のボンボンが立ち上げた組織らしい。

 徹底的な実力主義で、箔をつけるために入団を希望したどこぞの伯爵家の次男が入団試験でボロボロにされたらしい。

 団員は少数精鋭、試験は団長が直々に行うらしい。

 耳にした様々な噂を思い浮かべながら、ハルはその傭兵団『キンタロウの斧』の本拠地を尋ねる準備をしていた。


 何やかやと準備を整えている間に、ハルは15歳の誕生日を迎えようとしていた。

 この国では15歳は成人とされる。孤児であるハルにとっては、この孤児院を初めて訪れた日、それが誕生日となる。

 そして成人となったハルは、この場所を出ていかなければならない。ハルにも旅立ちの時は来たのだ。


 その前日。荷物を片付け、ようやく床に就いた夜。


 部屋に少女が入ってきた。

 雑魚寝の孤児院に鍵なんて洒落たものはない。ただ、さすがに男女は別の部屋で寝ていたが。

 

 ハルは彼女を良く知っている。

 彼女の名はミリーナ。

 孤児院の中でも一番ハルに懐いていた、この孤児院で数えて12歳の少女だ。


「……今晩、一緒に寝てもいい?」


 ミリーナがためらいがちに尋ねる。


「うん、構わないよ。でも明日からはちゃんと一人で寝るんだぞ」


 ハルが答える。

 その声を聞くや否や、ミリーナはハルの寝床に飛び込んできた。



 正直、ドキドキしていた。

 中身は通年で30過ぎのオジサンとは言え、身体は15歳、そして隣に寝ている少女は12歳。

 意識しないといえばウソになる。


 だが、ハルはひとしきり泣き続け、泣き疲れて寝てしまったミリーナの寝姿を見て、頭に手をかけ、撫でてやった。

 柔らかな茶色の髪の毛の感触が手に伝わる。


 

「……そういえば冬乃も、こうして頭を撫でられるのが好きだったなあ」


 ミリーナに以前の妹の影を重ねたハルの思いは、あのバスの中で『参加者』に話した内容と、かつての自分……村瀬晴彦の思い出に飛んでいた。



※ ※ ※



 村瀬春彦は、幸せな家族を絵に描いたような一家に生まれた。

 父親、母親、春彦、そして2歳年下の妹の冬乃。

 

 その幸せが失われた……父と母を交通事故で失ったのは、春彦が中学3年の時だった。

 持ち家もあったし、諸々の賠償金や保険でとりあえずは生活に困ることはなかった。

 冬乃を守り、父母の代わりに見守っていこうという晴彦の決意は、いともたやすく砕かれた。


 冬乃が病に侵された。冬乃14歳の時である。


 難病だった。

 しかも、保険の効く認可済みの薬品ではどうしようもない、非認可の海外の薬をどうにかして手に入れてようやく「病状の進行を遅くする」ことができるような病。

 春彦はあらゆる伝手を辿って様々な医者からその薬を手に入れ、冬乃に注ぎ込んだ。目を丸くするほどの金額が医療費に飛んでいき、父母の貯金通帳の数字は、物凄い勢いで減っていった。

 春彦は学校を退学し、必死に働いた。だがその額は、治療費を補うにはとても足りなかった。


 そして、春彦20歳の時。

 売れるものは、家族の思い出が詰まった自宅も、腎臓一つでさえも売り飛ばした。

 発病当初から申し込んでいた臓器移植の適合者にしても、もう順番待ちの時間は残されていない。その他の対処法は全て一時凌ぎに過ぎない。

 あと半年後に冬乃は死ぬ。

 絶望の淵にいた春彦は、ある噂を聞いた。


 冬乃を治せる医者がいる。

 冬野の患部を、外科手術で完治させることができる奇跡の腕を持つ男がいる。

 ただし法外な料金を取る闇医者だそうだが……。


 その噂に、晴彦は賭け、細い伝手を頼ってその医者、狭田にコンタクトを取った。



「まあ、何とかなるだろう」


 カルテを見た狭田のその言葉は、晴彦にとって神の救いに等しかったが、次の言葉は悪魔の誘惑に等しかった。


「7000万だな。ただしこのカルテからして、切ってなんとかなるのはあと2か月だ」


 発病直後ならば払えた金額を耳にし、春彦は後悔した。もう少し早くこの医者と出会えればと。



 だが、話によると『いかなる理由があっても』『いかなる事情のある金であっても』狭田は受け取ってくれるそうだ。どうもそういう金をロンダリングして綺麗な金にする伝手を狭田は持っているようだった。


 その言葉で、春彦の覚悟は決まった。

 何をしてでも2か月で7000万を作ってみせる。そう、何をしても。

 冬乃が回復した後、生活に必要になるであろう金額を残して、すべてを清算した。


 残り4000万。後は逆さに振っても1円も出ない。

 何処かから借りるという選択肢はなかった。返済の請求が冬乃に迫るのは間違いなかったからだ。


 ……あとはもう、非合法な手段に頼るしかなかった。


 春彦は必死に計画を立てた。できるだけ手近に。できるだけ被害者を出すことなく。

 経てた計画は銀行強盗。この方法なら、運が良ければ怪我人を出すことなく成功が見込める。あとは奪った金をあの医者に渡せば、契約は成立する。


 身勝手な理由なのはわかっている。身勝手な事情なのはわかっている。

 ただ、春彦にはそうするしかなかった。世間に迷惑をかけてでも、数千万という多額の金をすぐに用意する方法を思いつかなかったのだ。 


 しかしそうなった時、冬乃は幸せでいられるだろうか?

 ただ一人の肉親である兄が、自分の命のために犯罪に手を染めた。あの優しい妹が、そんな現実を直視できるだろうか?


 だが、春彦には確信があった。


 瀬田洋介。


 中学1年からの冬乃の同級生。顔も、頭も、運動もそこそこ。絵に描いたような平凡な男だが、少なくとも誠実ではあった。

 冬乃に一目ぼれした洋介に押されまくって、とりあえず近所で評判のアイスをふたりで食べに行くことになったデートもどきの最中に、春彦はばったり2人と出くわした。

 硬直した洋介は、数秒後いきなり冬乃との交際を許してくれるよう土下座した。繁華街のど真ん中で。

 春彦もあまりに突然な言葉に固まりながら、生温い了承の言葉を返したのを覚えている。


 それからの2人の関係はゆっくりと前進し、誠実で真面目な洋介に、冬乃も徐々に惹かれていったようだった。

 父母の死に落ち込んでいる冬乃を春彦は全力で慰めていた。自分だけなら無理だっただろうと今でも思っている。

 冬乃が発病した後も、洋介は2日と空けずに見舞いに来てくれた。冬乃を笑顔にさせた回数は、間違いなく春彦より洋介の方が多かったと思う。


 あの男の冬乃への気持ちは本物だ。

 自分がいなくても、冬乃には洋介がいる。だからきっと大丈夫だ。

 洋介は、春彦にその確信を抱かせてくれる、頼もしい男であった。

 だから、春彦は決断できた。


 決断の結果、まるで神が応援してくれたかのように計画は成功した。

 春彦は神に感謝した。

 ただそれは、銀行強盗の失敗を聞いた瞬間までだった。


 そしてその直後、『アリス』と名乗る少女の助けで、冬乃は助かった……らしい。

 確かめる術を持たない今の春彦には、もはや信じるしかなかった。


 そんなことを考えているうちに、村瀬晴彦……ハルも眠りに落ちていった。



※ ※ ※



 翌朝。


 隣でミリーナが寝息を立てているうちにハルは目覚めた。


「……頑張れよ」


 冬乃の寝姿をミリーナに重ねたハルは、ミリーナと、今はもう会うことのできない妹、村瀬冬乃の幸福を神に祈った。



※ ※ ※



「みんな、俺はここでお別れだけど元気でな。勉強もしっかりするんだぞ」


 目の前には共に暮らした少年・少女たちが並んでいる。

 その姿を見ながら、ハルはミリーナを含めた子どもたちの顔を改めてひとりひとり眺める。

 皆、何年も同じ家で過ごした自分の弟や妹のようなものだ。別れが辛くないといえば嘘になる。


 この10年弱、ここにはほとんど眠るために戻っていたようなハルであったが、たまの休息日には皆に簡単な稽古をつけ、勉強も教えていた。

 そこにはとても町の私塾で教わるようなものではない内容も含まれていたが、ハルは意外に物を教えるのが上手かった。

 この中には並みの商人見習いを超えるような計算ができるようになった者もいた。剣でも、そこらの駆け出し冒険者なら相手の手加減なしでも2~3撃は打ちあえるような腕になった者もいる。

 この経験と知識は、きっと皆がこれから生きていくのに役立つだろう。ハルには魔法の才能がそれほどなかったので、基礎鍛錬以外を教えることができなかったのは少々の心残りではあったが。


「最後にひとつ言っておく」


 ハルが皆に声をかけた。皆、ハルの眼を食い入るように見つめている。


「俺は皆にいろんなことを教えた。剣もそうだし、読み書きも計算もそうだ。だけどその経験は、悪いことに使おうと思えばいくらでも役に立つ力だ」


 実際、孤児院を出たところで働く当てもなく、すぐに犯罪に手を染めてしまうような子供は少なくない。誰かがごくりと唾をのみこむ音が聞こえた。


「俺の最後のお願いだ。みんな、その経験を笑顔になるように使ってくれ。途中で誰かを泣かせてしまうこともあるかもしれない。だけど最後にはみんな笑顔になれる、そんな人生のために努力してくれ。そうして生きていれば、きっと神様が見守ってくれる。いや、神様じゃないかもしれないが、俺がきっどどこかでお前たちを見守っている。できればそれを忘れないでくれ」


 とうとう我慢の限界を超えたミリーナが、大声で泣きながらハルにしがみついた。


「ハルにいちゃぁぁぁん!!」


 他の子供たちも、耐えきれずに涙を流しながら抱きついてくる。


 ハルはその子供たちの頭を、優しい目で一人ずつ撫でてやった。


 そして、少し離れた場所に立っている年配の女性……

 10年の間自分たちの親代わりになってくれた院長に声をかける。


「10年間、いろいろとご迷惑をかけ通しだったことはわかっています。怒られたこともありましたけど、それでも俺がやっていることを許してくれた。その事には本当に感謝しています、ありがとうございました」


 ハルは深々と頭を下げた。



 院長は、正直このハルという少年をある意味で不気味だと思っていた。

 まだ親も恋しいであろう年頃に、憑かれたように夜中に密かに剣の稽古を続けているのを知っていたからだ。その理由の一つがどうやら地下闘技場で金を稼ぐためであることがわかると、院長は火のように怒った。


 自分の命を危険にさらして金を得る。そしてその上で時には相手の命まで奪う。彼女にとってはとても許されることではなかった。


 だが、ハルは闘技場での戦いと夜の鍛錬を止めるつもりはない、と言い切った。


「良くないことだとは分かっています。でも俺にはやらなければならないことがある。技を磨き、力をつけ、経験を積む……俺にはそれが必要なんです」


 恐ろしいほどに強い意志を感じさせる目だった。


 結局、院長はハルの行動を黙認することとなった。

 何が彼をそうさせているのかは分からない。だが自分が止めたところでその意志はゆらぎもしないだろう。それが分かったからだ。


 ハルもまた、その院長の慈悲に多少なりとも答えるようになった。

 闘技場で稼ぎ、私塾の学費を払った金の一部を、院長に渡すようになったのだ。

 支援者からの僅かな寄付、それだけではとてもやっていけない状況にその援助は大いに助けとなった。



「それでは」


 ハルは僅かな荷物の入った鞄を肩に背負い直し、ゆっくりと孤児院を去っていった。


 子供たちの泣き叫ぶ声を聞きながら、院長は考える。

 みんな笑顔になってくれ。そしてみんなを笑顔にしてくれ。

 先ほど子供たちに説いた言葉の意味を。


 あれは、「自分のようになるな」という意味だったのではないだろうか。

「何かに縛られるような生き方はするな。自分の進みたい道を自由に生きてくれ」

 そういう意味だったのではないか。


 あの子が何のために体を張っていたのか、それは結局わからずじまいだった。

 だが、あの子はそれを背負って生きている。恐らくは自分一人で。

 その道に同行者が現れ、あの子の助けになってくれるように。


 彼女は、神に祈った。

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