6 ドラゴンスレイヤー、そして…
両親を流行病で失い、孤児院に引き取られた黒髪黒目の少年。
ミハエル=ヴォルカー。
それがこの世界『アリアドス』の都市であり、エリクシア王国では紛れもなく最大の規模を誇る王都である『アイゼンベルグ』に転生した春彦に与えられた新たな命だった。
春彦……いや、前世の綽名を借りて「ハル」と名乗ることにした少年は考えた。
どうやればあの5人に恩を返すことができるだろうか?
見たところ、あの老人たちは皆、社会的には「成功者」と言われるものだったと思える。
最低参加料金が4千万円のあの如何わしいツアーに参加したこと、あのツアーに参加する伝手を得たことも考えると、まあ相応に社会的地位も高かったのだろう。
恐らく地球で得られたような知識や経験では、自分は敵わない。
だが、常に最前線で命を張るような経験ならどうだろうか?
自分が今から死ぬ気で挑めば、その点だけは比肩し得るのではないか?
幸いにして、自分はしばらく死ぬことはない。あのアラートに従いさえすれば。
だが、その能力に甘え、ただ生き延びることを目的に日々を過ごしていたのなら、いざという時にあの5人の役に立つことはできないだろう。
なら、そのスキルを最大限に使い、自分を鍛える。
そして選んだのが、この場所……剣闘士だった。
転生後に子供の身でいろいろ調べたところ、この世界には「ハンター」と言われる職業があることが分かった。
ギルドと呼ばれる組織に所属し、治安を乱す都市周辺の魔物を狩ったり、都市で必要となる食肉や薬草を採取したり、街道で盗賊から要人や商隊を守るための護衛となる。要は命を懸けたなんでも屋だ。
だが、それでは不十分だ。
魔物にしても盗賊にしても、道を歩けばすぐに出会えるという存在ではない。
1週間かけて商隊を護衛しても、何事もなく終わることもしばしばある。まあ本来はそれが望ましいのだが。
ハルは自分が普通の日本人であることを認識していた。
つまり、人どころか動物を殺すことも躊躇うような平和な人間である。だが、その甘さを捨てなければこの世界で生きていく。いや、生きていくのは重要であって重要ではない。それより、あの5人の役に立つことはできないだろう。
だからハルは、剣闘士の道を選んだ。
少なくともここでは、自分の覚悟が決まりさえすれば毎日命を張る経験ができる。
そして、闘技場で命を張りながら……まあ実際は命が保障されているのだが、相手の技を盗むことに専念する。
実際、それには成功していた。
運良く得られた伝手により、子供同士が真剣を振って殺し合うという、一部の好事家以外には反吐が出るような悪趣味な試合に参加することができた。
この世界の孤児院には案外そういったスカウトが来ることも多い。
死んでも誰も文句を言わないのだから。ハルはそれに乗ったのである。
幸いながら、ハルはまだこのスキルを持っていた。
あとは順番だ。生き残れば次の試合のオファーも来る。当然前よりも強い相手だ。そういった相手からは、実に多くの技を盗めた。
戦いの最中、思わぬところでアラートが鳴る。
それに従って回避行動をとったところ、見事にその位置から予想もしなかった一撃が飛んできた。
そしてハルは学習する。
あの前の一撃はフェイントで、こちらが本命だったのかと。
確かにこの太刀筋なら初見の相手は躱せないだろう。これは使える、自分も身につけなければ。
こうしてハルは、戦った相手からあらゆる技術を吸収していった。
勿論、場所が場所である。試合の結果、相手の命を奪うことも数知れずあった。
最初の頃は試合後に道端で嘔吐していたものだが、いつの間にかそれにも慣れた。
殺さなければ自分が死ぬ、その覚悟を固めていくことができた。
実入りも良い。
収入があれば、この世界で一般人が受けようとすれば何かと金がかかる文字の読み書きや法律といった教育を受けるのにも役立った。
昼は闘技場で命を張り、午後には町の私塾で読み書きやこの世界の知識を習い、夜は孤児院に戻り、裏庭でとことんまで自分を苛め抜くような鍛錬をし、その後ようやく泥のように眠る。
ハルはこの生活を10年近く続けていた。
まあ、闘技場の戦いにしても、常に勝つのであれば賭けが成り立たない。
そのあたりは空気を読んで、致命の一撃や後遺症が残るような一撃を避けつつ攻撃をわざと食らって負けたり、といったこともしていたのだが。
痛みを我慢できるというのも、能力の一つだと考えていたからだ。
どう動けばいいかは、アラートと鍛錬を重ねた身体が教えてくれる。
ハルはそれに従った。
それを成しうる技量さえあれば、素人でも長年の経験を積んだベテランと同じ動きができる。
これがアラートと毎日のように付き合っていたハルが得た結論だった。
だが、着実に勝ちを重ねたハルは、若干14歳にてこの地位。『ドラゴンスレイヤー』に挑む者となった。繰り出される相手の必殺の一撃を風のように躱していく姿から「風のハル」という二つ名を得て。
そして思い出す。あの時にバスガイドに釘を刺された、このスキルの制限についても。
※ ※ ※
「但し、この危機回避能力のスキルにはある程度の制限が付きます」
制限?
『危機回避』のスキルの凄さに舞い上がった春彦の気持ちに、僅かな水が差された。
「危機回避というのは常に連鎖したものです。例えば、とても勝てないような怪物の巣に徒手空拳で乗り込んだら、死は確実ですよね? その場合、怪物の巣に乗り込もうとした時点でアラートが発動します。つまり、死の直前でなくてもアラートは発動するということです」
春彦は理解した。理屈は分かる。
「そういった状況も含め、アラートが発動してもそれを無視した場合…」
一呼吸おいて、バスガイドは言った。
「以降の危機回避能力は、すべて無効となります。すぐに死ぬかは状況によりますが、少なくともそれ以降の生存時間は事前に保障された期間と異なってきますし、なおかつ以降の生命の危機に際してアラートが発動しなくなります。この点はくれぐれもご注意ください。ただし……」
バスガイドが続ける。
「アラートを守り限りにおいては、そちらの当日参加者の方以外は、全員70歳までは保障されているとお考えください。あちらの世界の平均寿命は50歳ですので、十分以上に2度目の人生を楽しめるものと思います」
一度保障されたルートを外れたら、後は自己責任。
春彦が、心にひとつわいた疑問を尋ねた。
「アラートを無視したからって、必ず早死にするというわけじゃないんですね?例えば俺が転生直後にアラートを破ったとして、それでもやりようによっては60歳や70歳まで生き延びる可能性はあるんですね?」
「あります」
バスガイドは即答した。
「そこは本人の才覚と能力、そして運によります。ただし現代の日本より厳しい世界での生存は、それほど容易くないことをお忘れなきよう」
※ ※ ※
新たな『ドラゴンスレイヤー』の誕生に、闘技場に響き渡る観衆の歓声を聞きながら、ハルは思い浮かべる。
凄腕の者が集うと聞いた、幾度となく耳にしたある名前。街中で幾度となく、凄腕の者が集うと聞いたある名前。そのために、自分はドラゴンスレイヤーの地位を得たのだ。
今の自分の力と名声があれば、多少なりともあの人の役に立てるだろう。新興ながらも急速にその名声を高めつつある傭兵団。
『キンタロウの斧』その団長に。
まずはあの人に恩を返す。今までに得た経験と知識の全てをもって。それに費やした10年が長いとは思わなかった。
あの人たちは、自分が一生賭けても購えない金額で、自分と冬乃の命を買い取ってくれたのだから。
合わせて思い出す。この世界に転生する直前に聞いた一つの言葉。
「あなたのスキルは、あと……」
自分に残された時間は限られている。自分の命を助けてくれた『キンタロウ』や他の老人たち。
そして何より冬乃の命を助けてくれた『アリス』。
彼らに報いるためにはこれからどう動くべきか。ハルは考え続けていた。
※ ※ ※
王都近くの森。
そこで、1人の少女が剣を振り、魔物……ホーンラビットの群れと戦っていた。
浅黒い肌と少し長い耳を持つ、100人いれば99人が視線を向けるであろう美貌を持つ少女。ダークエルフである。
そしてその様子を見つめる2人の男。彼らも同じくダークエルフだ。
「頼もしいな」
年配の男が言った。
「女性でなければ1万の兵を任せられる将軍になるでしょう。まあ、女性であってもその役目を十分に果たせる妹、と私は見ていますが」
若い男が答える。
「そうだな。何より、どのような訓練であっても全く嫌がる素振りを見せない。我が娘ながら大したものだよ」
「ええ、この実戦訓練もまるで楽しんでいるようです。その上、あいつは魔術や戦略学や政治学、農学に至るまで卓越した能力を見せている。正直、父上はあいつが後継者であれば、と思っているのでは?」
「冗談を言うな。ネリアの資質は確かにすばらしい、だからと言ってお前を切り捨てるような真似は勿体なくて出来んよ。儂は良い子供たちに恵まれた、ただそれを感謝するだけだ」
その声が聞こえているかはわからない。ただ、少女は心の底から幸福を感じていた。
自由に動く身体とは、こんなに素晴らしいものなのか。
全身に浴びる太陽の光とは、これほどまでに眩いものなのか。
生まれてからずっと、ベッドに横たわりながら診察と投薬を受け続ける、それがどんなにつまらない人生であったのか。
全身の筋肉を駆使して、ホーンラビットを屠っていく快感。
いや、それは正確には間違っている。
ホーンラビットを倒すために剣を振う、その行為自体。
かつて病床で読んだ、「不思議の国のアリス」。
どれだけ彼女に憧れただろうか。
自由な体で見知らぬ世界に行き、そこで仲間と共に冒険を続ける彼女を。
そして彼女は今ここに、自由に動かせる体そのものに半ば魅了されていた。
剣を振って潰れる手のマメの痛みさえ、彼女とっては最上の快楽でしかなかった。