57 予感
「魔術師は他の人には見えないものが見える。それが強みでもあり、変人呼ばわりされて人が離れていってしまうという弱みでもあるんですよねぇ……」
以前、ミリーナに修行をつける際にグレイが言っていた何気ない一言の思い出が旅路の途中のミリーナの胸中をかすめた。
ハル、ミリーナ、そしてネリアの3人は、同僚に向けた最低限の引継ぎの手紙と、現在の主君であるアレクシスの兄、そして自分を推薦してくれたアレクシスへの詫び状を急ぎしたためて送った後、足早に旅立っていた。
向かう先は『黒き木々』のヘンリック家。いきなりネリアが乗り込むかどうかはその場の判断によるが、取り急ぎ鮮度の高い情報をなるべく多く集めたい、そんな思いを皆は抱いていた。
そして、その行程の中でミリーナの心に浮かんだかつての恩師の言葉を彼女は改めて噛み締めた。
今回のネリアの出奔、ミリーナにとってそれ自体はやろうと思えば無視することもできた。愛する夫であるハルはかつてネリアへの恩よりミリーナの献身を選んでくれた男でもある。
ハルは薄々ネリアの不審な挙動に気づいていただろうが、ミリーナが懇願すればネリアの行動を黙殺してこの辺境の地での自分との平和な日々を続けてくれたことだろう。それくらいには愛されているという自負はミリーナにもあった。
だが、ミリーナはその道を選ばなかった。
ハルやアイリーンと共に『竜の園』へと向かったあのわずかな期間、その帰り道、そしてこの地に根を下ろしてからの日々。
そのすべてが、ミリーナにとってのネリアの評価を変えていった。ハルの好意に縋るだけの邪魔者、次には共に戦う仲間、その次には自分の知らない異世界の様々な知識を教えてくれた先生、そして最後には生活を共にし、何気ない日常を共に生きる友人。
そして孤児院でもやや浮いた存在であったミリーナにとって、ネリアはそれまでの生涯で初めて得た親友だった。日常の平穏を捨ててでも力になってあげたい、そんな存在となっていた。
実際、今回の件でネリアへの助力をハルに願ったのはミリーナの方からである。ネリアへの恩とミリーナへの愛情の板挟みとなって密かに苦しむハルに、ミリーナは最後の一押しをした。
自分も協力する。親友の手助けをしてほしいと。
……そして何より。
魔術師の技術を磨くごとに頭に思い浮かんでくる予感。
自分の師匠であるグレイはそれを『他人に見えないもの』と呼んでいた。
グレイの場合はどのようなものだったかはわからない。だが魔術を修めるものは多かれ少なかれ、そのような直観的な感覚を得るものだと聞いたことがあった。
治癒術師は他人の怪我や病気に関する直観を得ることが多い。攻撃魔法に長けた魔術師は相手の魔力量を読むのが上手い。これはほとんど感覚的なものだが、同時に自分の力を発揮するのには必要不可欠な力でもある。
……同様に、熟練した死霊術師(ミリーナはまだ会ったことはないが)は街中や森林、そして墓地などにさまよい漂う霊体が常に見えていると聞いたことがある。
街中を歩くだけでもそこに根付いた霊体が見え続ける、ミリーナにしてみればそんな霊体に囲まれた生活はご免であったが、それは魔術を修めることにとっての運命みたいなものらしい。
……そしてミリーナがおぼろげながら得たその感覚は、未来予知……らしきもの。
今までは本当におぼろげだった。
……積んである焚き木がこのままではまずい。
……今日の夕食は、川魚を使ったさっぱりしたものがいい。
その程度の予感ではあった。
だが、焚き木の予感を感じた日、それまでの晴天が一転して大雨が降りだした。乾かしていた焚き木を急いで屋根の下にしまわなければ、焚き木が時化ってしばらくは使い物にならなくなっていただろう。
同様に、夕食に魚を準備した日には、ハルが上機嫌で帰ってきた。たまたま近くで猟をしていた狩人が大きな鹿を仕留め、運びきれないのはもったいないからと鹿肉のステーキのご相伴に預かったと。もし夕食に獣肉を出していればハルは内心ゲップを出していたかもしれない。
それゆえに、ミリーナはこの直感を信頼していた。そしてその直観が最大限に騒ぎたてるこれからの未来……ミリーナにとってもここまではっきりした未来予測は初めてだったが……に従うことを決心したのだ。
……ハルとネリアに何か良くないことが起きる。
もし、ネリアの旅立ちをこのまま放置していれば、いかなる経緯かはわからないが、最終的にネリアは死ぬ。
そして、ハルのネリアへの同行を許したのなら、ハルが死ぬ。
……三人が共に行動を共にした時に何が起こるか、そこまでの未来は見えなかった。
だが、ネリアはこのまま指を咥えて運命を見ているつもりはなかった。
……見えない未来なら、全員が助かる可能性はある。その可能性に賭ける。
それゆえの、三人での出立だった。
※ ※ ※
「もぬけの殻って訳だったか。ただ、まるっきりの嘘じゃなかったところを見ると、あいつらの判断が早かったと見る方が正しそうだな……」
エンドルドが密偵の報告書を見ながらつぶやいた。
エンドルドの指示により、ネリアとそれに同行している賞金首「風のハル」の情報を得るためにカウフマン子爵領に潜入した密偵だったが、入れ違いのようにその場を去っていたハルの行き先をつかむことはできなかった。ただし、同僚や上司への引継ぎを多少なりともやっていたところを見ると、この後ここへ帰ってくるとは考えづらい、それが密偵の出した結論であり、その一部始終をしたためた書状をエンドルドに渡していたのだ。
「アリアスの野郎には逃げられた、代わりの賞金首はとんずらした、となっちゃこっちの丸損だ、だが、そうなるとあの金は一体どういうことなんだ?」
エンドルドの下からアリアスが姿を消してすぐ、エンドルドに匿名で膨大な金貨が送られてきていたのだ。
それに付けられていた手紙には簡単な文が記されていた。
『ヘンリック家がギダル家より借り受けた資金、ここにお返しします』と。
実際に送られてきた金貨の総額はエンドルドが手配した金額にほぼ相当するものであったし、それに加えて多少の利子と言えるような金額まで上乗せしてあった。それに加えて書状にはアリアスのサインまである。ここまでされてはギダル家もヘンリック家を糾弾する材料が無くなってしまったのだ。この件をきっかけとして今回の騒動でヘンリック家への多大な貸しを作ろうとしていたエンドルドにとっては大きな誤算であった。
……だが、そうなるとひとつ疑問が残る。
「こんな金蔓を抱えていたのなら、なぜあいつらはわざわざ俺たちに金を借りに来たんだ?」
あの時、ここに金の無心に来たアリアスの顔には、エンドルドが見る限り演技の気配はなかった。ならばどうして……
結論の出ない金を目の前にして、エンドルドはひとり思案を巡らせ続けていた。
※ ※ ※
ハルたち一行が、『黒き木々』まであと少しと迫っていたころ。
「ん……」
長旅の強行軍のせいか、ミリーナが体調を崩した。
近くの村で宿を取り、ミリーナの回復を待つハルとネリアにミリーナが声をかけた。
「ごめんなさい、あたしのせいで……」
「気にするなよ。考えてみれば少々道のりを急ぎ過ぎた、ここらで少し休憩を取ってもいいだろうさ」
森の中や洞窟の中、人目に付きづらいところでの野営を繰り返してここまで来ていたハルたちにとって、多少の危険はあろうともこうやって人里で取る休息は有難いものでもあった。それゆえのハルの心からの本心だった。
「でも、ネリアは……急いでいるんでしょう?」
「彼女も気にしちゃいないよ」
ハルがミリーナにねぎらいの声をかける。
少し考えた後、ミリーナはハルの好意に甘えることにした。
「……わかった。少しでも早く治るように大人しくしてる」
「それがいい。じゃ、俺も少し休ませてもらうよ。ベッドで寝るのは久しぶりだしな」
それだけ言って、ハルもミリーナの部屋を後にした。今回は少々贅沢に皆個室を取っていたのだ。
※ ※ ※
……その夜。
ミリーナはなかなか寝付けなかった。
どうも何かがいつもの自分と違う。
自分の中に何か違和感がある。突然疲れが出たのも多分そのせいだ。
何か病気でも患ったのだろうか。
そう思い、自分に治癒魔法の一種、診断魔法をかけようとしたその時。
「ん……!?」
急激に吐き気を感じたミリーナは、あわててトイレに駆け込んだ。
夕食に無理をして食べた麦粥をすべて吐き戻したミリーナは、ハルたちを起こしはしなかっただろうかと気をもんだ。だが、二人も旅の疲れが溜まって熟睡しているのか、起きてくる気配はない。
「よかった……」
ミリーナが安心した、その直後。
ミリーナの頭……いや、身体に、ある予感が走った。
その予感を確かめるためにミリーナは自分に診断魔法をかける。
そしてその結果を再確認するように、ミリーナは自分の腹部に手を当てた。
……感じる。
自分ではない、何かの魔力の流れを。
……その結果が示す結論、そして今までの生活から考えられるひとつの結論に、ミリーナはひとり戸惑いを感じていた。
「あたしのお腹に……ハル兄ちゃんの……子供が……」




