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54 たいせつなひと

 その後、グレイが何か話していたようだったが、その言葉は全てハルの耳を右から左に通り過ぎていった。

 ハルは拳を力の限り握りしめる。その手にはうっすらと血がにじんでいた。


「……あたしにはそんな資格はないの。ハル兄ちゃんにはきっともっとふさわしい人がいると思う。だから、あたしのことなんて忘れて。あたしが勝手についていくだけだから……」


 話が終わった。

 ハルはようやく、それだけを理解した。



「……そのクロードって魔術師は、まだ王都にいるんだな?」


 そう言ったハルの目は尋常ではなかった。



「そいつはいま王都の何処にいる? 今すぐ行ってブチ殺してやる!!」


 ハルが剣を抜き、叫んだ。



「ハル兄ちゃん、落ち着いて!」


 ミリーナが叫び、ハルに抱きついて今にも走り出そうとしているハルを止めた。


「ハル兄ちゃんが怒るのはわかるよ。でも、あたしはそのお陰で魔法が使えるようになった。だからあの男を恨むのは止めて。それに……」


「それに?」


「……結局は、最初にそれを望んだのはあたしだから」



 その言葉にハルは激昂した。女性には手をかけたことがないハルだったが、思わず手を上げ、ミリーナの頬を打ち据えようとした。

 ……だが、その手はハルの頭上で止まる。辛うじて感情を抑え込むことができたハルがミリーナに怒鳴った。初めてのことだった。



「なら、どうしてそんなことをしたんだ! 俺のためか? 俺がそんなことをされて喜ぶと思って「思ってたよ!」」



「……え?」


 予想していなかったミリーナの反論に、ハルが言葉を失った。



「……あたしだって、昔は普通にハル兄ちゃんと一緒にいたいと考えてたよ。ご飯作ったり、お洗濯したり……ひょっとしたらハル兄ちゃんの子供をあやしたりして、普通に側にいられればと思ってた。でも孤児院で、ずっと剣の稽古をしたり闘技場に殺し合いに行ったりするハル兄ちゃんを見てて考えが変わったの。他の人だったら喜ぶようなそんな普通の幸せを、ハル兄ちゃんは望んでいないってことがわかったから……」


 ハルにとって、その言葉は頭を金槌で殴られたような衝撃だった。


「……ハル兄ちゃんが欲しがってるのは、戦い終えて帰ってきて安心できる温かい家族じゃない。目的のために側にいて一緒に戦ってくれる仲間だってことがわかった。でも私じゃ剣や弓ではハル兄ちゃんについていくことはできない。でも魔法なら……だからあたしはそれに一番手が届きやすい方法を選んだ。うん、ただそれだけなんだよ」


 ハルはその場に膝を折って崩れ落ちた。


 確かについ先ほどまでのハルは、自分の幸せなど度外視した生き方をしていた。だが、そのために、自分を愛してくれていた人間を、これ以上ない形で傷つけることになった。

 その事実を突きつけられたハルは絶句した。


 ……自分のやってきたことは何だったのか。

 ……結局は、すべて自分の自己満足にすぎなかったのか。

 ……そのために。

 ……そのために自分の大切な人を傷つけることになったのか。



「う……うぁぁ……ぁぁ……」


 膝を折ったまま、ハルは嗚咽した。


 その様子を見つめていたミリーナが、これ以上ない慰めの言葉、そしてハルにとってはこれ以上ない残酷な言葉をかける。


「……いいんだよ、ハル兄ちゃんは気にしなくて。孤児院にいた時、あたしには将来の夢なんてなかった。でも、好きな人はいた。だからその人のためにできることをやっただけなんだよ。だから悲しまないで。ハル兄ちゃんはこれからも、自分の信じた道を進んで。あたしはその手助けができればそれだけで十分なの。だから……ね?」


 ミリーナが瞳に僅かに涙が滲ませ、微笑みながら崩れ落ちたハルの頭を撫でる。かつて自分が泣いていた時、よくハルにしてもらったように。


 ……そしてその手が、ハルに残った最後の理性を吹き飛ばして感情を決壊させた。



「ごめん……ごめん……なさい…………」


 ハルが泣きながら、膝立ちのままでミリーナを強く抱きしめた。

 最初は戸惑っていたミリーナだったが、数秒の後に優しくハルを抱きしめ返す。

 その右手は涙に震えるハルの頭を撫で続けていた。



 ……これ以上の言葉は不要だろう。

 そう判断したグレイは、そっと部屋を出た。


「……雨降って地固まる、という言葉がありますが、あの雨とは涙のことを言っているのですかねぇ」


 何となく頭に浮かんだ仮説をぼやきながら、グレイはそのまま小屋を後にした。



 ※ ※ ※



 ……翌朝。

 うっすらと太陽が影を出し始めた夜明け前、ミリーナが眠りから覚めた。

 これ以上ないほど気持ち良い疲れの後の目覚めた顔を、最愛の人が微笑んで見つめていた。


「可愛いな、ミリーナは」


 ハルが微笑みかけた。

 昨晩のことを思い出し、ミリーナの顔が瞬時に真っ赤に染まる。


「恥ずかしいよ、ハル兄ちゃん」


「ハル、でいいよ」


「……それも嫌だな」


「じゃあ、何て呼びたい?」


「……あなた」


 殺し文句を言われ、ハルはぐうの音も出なかった。



「……正直なことを言うと、どっちが気持ち良かったかって言えば、あの男の方がちょっと上だった。でも、どっちが幸せかって聞かれたら、今の方がずっと幸せ」


「両方とも今の方が上だって言ってもらえるように努力する」


 そのハルの一言に、ミリーナの顔がさらに一段赤くなった気がした。


「……あと、テレポートの魔法、もう使えなくなっちゃうかも」


「え?」


 突然魔法の話を切り出したミリーナに、ハルが意外そうな声を出す。


「昨日の晩にグレイさんが言ってたでしょ。『血渡し』は複数の人と行った場合、使えた魔法が使えなくなったりすることがあるって。今まではあたしの魔法はあの男……クロードさんの純粋なコピーだった。だからテレポートも使えたの。だから、血が混じっちゃったら、ひょっとして……んっ!?」


 ミリーナの口を、ハルが塞いだ。


「その時は、ミリ-ナを付与魔術のプロフェッショナルにしてやるよ」


「……意地悪」


 ミリーナは、その口付けに応えるように目を閉じた。



 ※ ※ ※



 そして、日は昇る。

 何かを決断したようなハルとミリーナの顔を見て、状況を察したアレクシスがふたりに問いかけた。


「……ふたりとも、腹は決まったと考えて間違いないな?」


 ハルが力強くうなづいた。


「はい。俺はこの世で一番大事なものを、あまりに乱暴に扱ってきてしまいました。それこそひょっとしたら何かの拍子に壊してしまうほどに」


 そして、断言する。


「そんな失敗は、もう二度と繰り返しません」



 ミリーナもうなづく。


「ハル兄ちゃんは言ってくれました。たとえ私が魔法を使えなくても、傍にいてくれるだけで自分は何でもできるような、何も怖くなくなるような力が湧いてくるって。それなら……私はハル兄ちゃんに、自分のできる最高のお手伝いをしたいと思います」



 ふたりの言葉に、アレクシスが満面の笑顔で答えた。


「いい言葉だ、そしてふたりとも……いい目をしている」



 そうしてネリアを含めたハルたち一行は、『黒き木々』を後にした。



 ※ ※ ※



 数日後、王都に再び大きなニュースが飛び込んできた。

 火龍『ホリヴィス』が再び現れ、王国の町を襲ったというのだ。

 今回の標的となったのは、王国の北西部にあるローレンツ公爵家の主都市、バルセルグの外れにある領主の別宅、今は前領主のアルベルトが住んでいる屋敷だった。屋敷は完膚なきまでに蹂躙され、使用人たち数十人が『ホリヴィス』の吐く炎の中に消えた。

 勿論、それだけで被害が住むはずもなかった。


 『ホリヴィス』の翼は市街を蹂躙し、多数の建物が倒壊した。さらにアルベルトの別宅を襲った火球の飛び火は周囲に燃え広がり、別宅だけではなくその周辺の屋敷、そしてその外に広がる下級層の住宅にも及んだ。


 死者、重軽傷者を含めておおよそ200人。

 それが今回『ホリヴィス』が起こした災害である。


 ただひとつ奇妙なことに、襲われたローレンツ家別宅にいたアルベルト=ローレンツ前公爵は、その炎で焼かれることはなかった。

 目撃者によると、アルベルト前公爵は着の身着のままで屋敷から這い出してきたところを『ホリヴィス』に捕まり、炎で炙られて苦しみもなく一瞬で灰にされることも許されず、『ホリヴィス』の鋭い爪により、まるで猫が鼠を弄ぶるようにじわじわと嬲り殺しにされたという。


 ただ、その行為の意味を察することができた者……アルベルト前公爵がホリヴィス、いやアイリーンの最愛の人であったランゴバルトを間接的に死に追いやった張本人であったということを知る人間は、王国には数えるほどしかいなかったのだが。



 ※ ※ ※



 ……さらに時は過ぎる。


 王都からの街道を行くのは、夫婦者と思われる男女と、深くフードを被った女性。

 ただ、注意深いものならばフードを被った女性の長い耳に気づくだろう。

 人間の男女とエルフの女性ひとり。あまり見ない組み合わせの一行が街道を北へと進む。


 彼らの目的地は北方の国境近くにあるカウフマン子爵領。

 言わずと知れた、アレクシスの実家である。



 そして、その道中にあった名も知れぬ小さな村。そこにあった小さな教会。

 ゲストはただ一人、エルフの女性がいるだけの教会で。



 人間の男女……ハルとミリーナは、お色直しも披露宴も二次会もない、ささやかな結婚式を挙げた。

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