51 復讐の始まり
……時は少し遡る。
ケインリッヒ伯爵家の西端にある、領で一番の港町、カルナック。
王国でも大規模な街のひとつに数えられるその港の片隅に、目立たないような中規模の船が係留してある。
そして、その船に荷物を運び込む労役夫が多数。荷物は小さいがずいぶん重いようであり、皆額に汗を流しながら荷物を船に運んでいた。
「急げ!」
彼らの音頭を取るのはケインリッヒ家の騎士、オルバス。
主に領内の裏仕事を担当する、伯爵直属の懐刀だ。
彼の指示に従い、あらかたの荷物を船に積み込み終わって出向の準備を整えている最中、オルバスは港の様子が何かおかしいことに気づいた。よく見れば街のあちこちで火の手が上がっている。
「何が起こった?」
オルバスは手近にいる部下を呼びつけ、様子を探るため街中へと走らせた。
そして10分強の後、顔色を青くして戻ってきた部下がオルバスに告げる。
「街中のあちこちで火の手が上がっています。死傷者もずいぶんと出ているようでした」
「盗賊か? それとも魔物か?」
オルバスが眉をひそめる。
盗賊ならまずいことになる。今から彼が出港させようとしている船には、恐らくこの港のどの船よりも高価なお宝が積んであるのだ。見つかれば厄介なことになるのは明らかだった。
「それが……」
部下が言葉を続けた。
「なんでも、『龍が出た』と言っている者がいるようで……。街中の火事も、その龍が放った火の玉のせいだと言っておりました」
「何だと?」
オルバスは自分の耳を疑った。
龍。
確かにこの世界には、何匹がそう言われるにふさわしい魔物が存在する。だがそれらの龍は全て、国家の下で行動を厳重に監視されているはずだ。
強大な魔法で無理やり行動を抑え込んでいる国もあれば、切り開けば良質の開拓地となるような豊かな餌場を提供してそこに縛り付けている国もあるという。
確かエリクシア王国も、そんな龍をどこかに抱え込んでいるという噂は聞いたことがあったが……。
そんなことを考えるオルバスに、さらに部下が言葉を続けた。
「それで……その龍ですが、何かを探しているように街の上空を飛び回っていた、とも……」
「龍が探し物だと?」
その言葉をオルバスが放った次の瞬間、船の外で巨大な爆発音が起こり、無数の悲鳴が上がった。
「何事か!」
急ぎオルバスが船の外に駆け出す。
そしてオルバスは見た。
激しく炎を噴き上げて沈みかけている多数の船。
元は人間だったと思われる炭化した黒い塊。
……そして、ホバリングしながら小山ほどの巨体を宙に浮かせている異形の存在。
「ば、馬鹿な……」
オルバスはようやくそれだけを口に出し、絶句した。
『龍が宝物の匂いに敏感だって噂、本当だったとはね。感覚を掴むまでちょっと手間取っちまったよ』
……龍が、喋った。
『その船の積み荷、あたしには判るよ。悪いが……いや、悪いのはあんた達だが、その荷物は渡さない。まず最初の一発目は、あたしを拾ってこの力を与えてくれた、恩人への恩返しさ!』
何を言っているか分からず混乱するオルバスの視線が、龍の口に集まる光を捕えた。
「あれは……」
それが騎士オルバスがこの世で最期に放った言葉、そして最期に見た光景だった。
※ ※ ※
「皆さん、どうしてここに!?」
「そりゃこっちのセリフだ、この馬鹿!」
笑顔をあっという間に怒り顔に変えたアレクシスが駆け寄り、ハルの頭を小突いた。
よく考えてみれば、確かにこの状況で事情を説明すべきなのはハルたちの方である。アレクシスたちに頭を下げた後、ハルはネリアに尋ねた。
「……どのあたりまでなら話していいんでしょうか?」
その問いにネリアが答える。
「構いません。ハルさんが知っていることを全部、話していただいて結構です」
その言葉を受けて、ハルは『キンタロウの斧』から抜けた後の一部始終をアレクシスたちに説明した。
ネリアが自分の恩人である『アリス』であることをアリアスから教えられたこと、アリアスの指示で魔法にかかったふりをしてネリアたちを逃してここまで連れてきたこと、アリアスがアイリーンを匿っていたこと、彼女を連れて『龍の園』に行ったこと。
……そして、アイリーンが自分の命と引き換えにして、古龍『ホリヴィス』を支配したことも。
「案の定か……」
「予想が当たってしまいましたね。それも、最悪の報告に」
苦い顔で何かを考えるアレクシスとエミルに、ハルが声をかける。
「あの……それで、団長たちの方は? ネリアさん捜索の件はどうなりました? それにそもそも、団長たちはなぜここに?」
「まあ、順番に話すか……」
「まず、そこの姫さん捜索の件は、一応お前の芝居のおかげで何とかただの『依頼失敗』で落ち着いた。『お前の部下は魔法への抵抗もロクにできんようなボンクラ揃いだな』とかさんざん嫌味は言われたがな。じゃあそのボンクラ一人に叩きのめされたお前らは何だっての、って言い返したくなったぜ」
「すいません」
ハルが頭を下げた。
「まあ、そりゃもういい。ハルが魅了にかかって姫さんを連れて逃げた、って話を聞いた時点で俺たちはまず疑った。あいつらがただの『魅了』にかかる訳はない、こりゃ何か裏があるな、ってな」
「やっぱり気づかれてましたか……」
「当たり前だ。その上で考えた、お前が団を裏切るようなこんな無茶をするんだから相当な理由がある。そしてお前に関して言えばそんな理由はただ一つしかない。例の恩返しだ」
「……はい」
「お前の残りの恩人は3人、『モモタロウ』『カグヤ』『アリス』だ。誰の依頼でやったことかは断言できなかったが、俺は『アリス』絡みの線が強いと考えた。お前の『モモタロウ』と『カグヤ』への恩は俺と同じ1000万、それに対して『アリス』への恩は妹さんの命だ。お前にとっての一番の恩人は『アリス』だろうと踏んだわけだ。つまり『アリス』への恩を返すためなら……いや、それくらいの動機がなければ、お前は俺たちを裏切ろうなんて思わないだろうからな」
「……ある意味で信頼されてるんですね、俺は」
「おうよ」
ハインが笑って返した。
「その後、私たちは『ハルが自分の意志で姫様を助けて行動している』という前提で、あまり動かずに主にダークエルフ関連の情報を集めていました。表向きは国からの依頼に失敗したことの責任を感じての自主謹慎、という形でね」
グレイがアレクシスの言葉を補足する。
「そしてしばらく経ったころ、とんでもない情報が入ってきました。ハル、あなた大失敗をやらかしましたね」
「え?」
「お前が姫さん、ミリーナ、そしてアイリーンと一緒に『黒き木々』の奥に向かうところを、王国の間諜に見つけられたんだよ」
「「え!?」」
ハルとネリアが同時に声を上げた。
「この状況だぜ、王国が『黒き木々』の周辺を警戒してないわけないじゃないか。密かに王国が森に放っていた間諜がお前を見つけたのさ。まあ、見つからなかった間諜の腕も良かったんだろうが、これくらいのケースは事前に想定してほしかったな」
「迂闊でした……」
ハルがガクリと頭を下げる。
「ただ、なにしろ場所が場所だ、あまり大人数は送り込めないし、魔物も強いってんで追跡は見送られた。だが姫さんの逃亡幇助だけならまだしも、その時一緒にいたのが王国が賞金を懸けている盗賊団の生き残り、アイリーンだってことが決め手になって、お前の有罪が確定した。今王国ではお前の首に懸賞金をかける手続きが進んでいるらしい」
「賞金首……」
さすがにそこまでの事態は想定していなかったハルは愕然とした。
「くっ……」
ネリアが突然泣き出した。
「……謝って済むことではありませんが、本当にごめんなさい。私たちがあなたを巻き込まなければ、こんなことには……」
ネリアが涙を流しながら、膝をついてハルに謝った。
「ネリアさん、頭を上げてください。そりゃ結果的には最悪に近い形になりましたが……それも俺が決めたことです。俺のミスも重なってのことですし、あなたが全部の責任を感じることはありません」
「ですが……」
「あー、取り込み中のところ悪いんだがな。イヤな話はまだ続くんだ」
ゴホンと軽い咳をして二人の会話に割って入ったアレクシスが、さらに話を続けた。
「……んでだ、その情報が入った直後に俺たちはここに向かう準備を始めた。もちろん極秘裏にな。結果としては、ハルが賞金首になったことでその居場所が分かったわけだから却って動きやすくなった訳だが……その準備が整って俺たちが出発する寸前に、お前のことなぞどうでも良くなるようなとんでもない情報が入ってきたんだ」
「とんでもない情報?」
「ハル、お前カルナックって港町を知ってるか?」
「ええと……」
すぐに名前を思い出せないハルに代わって、ミリーナが答えた。
「確か、この森の西にあるケインリッヒ伯爵家の西端にある、かなり大きな港町でしたよね。西の海運の要衝のひとつだと聞いていますけど」
アレクシスは頷くと、少し間をおいたあと、再び話し始めた。
「……そのカルナックが、『龍』に襲われた」
「「「ええっ!?」」」
今度はハル、ネリア、ミリーナの3人が同時に声を上げた。
「街中を数か所と、港に係留してあった船を数隻火だるまにしたそうだ。そしてその中にはケインリッヒ家所有の輸送船があった。そしてその積み荷が問題でな」
「……まさか!?」
何かを察したネリアが呟いた。
「そう、お察しの通り、大量のオリハルコンだった。龍の炎は銅くらいなら蒸発させてしまうらしいが、さすがにオリハルコンは溶ける程度で済んだらしい。沈んだ船の周囲の海底が目も開けていられないくらいピカピカと輝いていたそうだ。こうなっちゃさすがに隠し通すこともできなかったのだろうな」
「そのオリハルコン、『黒き木々』で採掘されたものですよね? なぜわざわざ船便で? 位置的には陸路で王都に運んだ方がよほど早そうですが?」
「……これは推測になります、ケインリッヒ家はオリハルコンの出所を隠したかったのだと思います」
『黒き木々』の開発を始めました、すぐにオリハルコンの鉱脈を見つけました、当初の約束に従い自分のものとして売り出します、ではいくらなんでも都合が良すぎて他の貴族家から目を付けられると考えたのだろう。だからわざわざ海路を使い、自領のどこから採掘されたものか分からないようにして王都に流していたのではないか、というのがグレイの推測だった。
実際、今回見つかったオリハルコンの出所はどこなのかと問い詰められたケインリッヒ伯爵は、どうにも言葉を濁しているらしいとのことだった。
「そこまでして……」
ネリアの声が怒りに震えていた。
「……度々悪いが、話にはまだ続きがある。むしろ肝心なのはここからだ」
「まだ何かあるんですか……」
さすがに嫌な話を続けて聞かされたハルが、うんざりした声で答えた。
「カルナックの被害だがな、街中に落ちた火球が大火事を引き起こした。大きな宿屋や相当数の民家が巻き添えになったらしい。勿論、港の船に乗っていた連中は全滅だ。一人も残らず消し炭になった」
誰かがゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。
「まだはっきりしてはいないが、死者は恐らく1000人を超える。重軽傷者や家財を失った人の数はその3倍はあるだろう」
……そして、アレクシスはネリアを見つめて、言った。
「悪いが姫さん、あんたへのハルの恩返しはここまでだ。これ以上、ハルに無関係な虐殺の片棒を担がせるわけにはいかん」




