5 スキル、そして恩人
「さてと。当日参加者が加わったわけだし、ガイドさん。もう一回今回のツアーの概略を説明してやってくれんかな?」
「はい、承知しました」
バスガイドが満面の笑みを湛える。
春彦の心に疑問が浮かんだ。そもそもこのバスガイドは何者なんだろうか?話からするに、ただの人間ではないようだが。
「では、今回のツアーの行き先と、概略について再度説明させていただきます」
バスガイドが話を切り出した。
「先ほどのお話に出ましたように、このツアーの行き先は異世界となっております。文明の程度は産業革命が始まる前の近世のロンドンをご想像ください」
さらに話は続く。
「そして、この世界には魔法や魔物が存在します。また、政治形態も国ごとに王制や帝制を取っており、状況によっては戦争も発生し得る状態です。治安も現代の日本より悪く、長距離の移動であれば途中で盗賊や魔物の襲撃などもあり得ます。ご注意ください」
さらっと流された言葉の中に、春彦は危惧を抱いた。けっこうとんでもない世界のようだ。魔法の存在には少し心惹かれる物はあったのだが。
「転生先は、事前にお支払い頂いた金額を加味した上で、さまざまな地位の現地の4歳児の身体を借りる、ということになります。その際に元の人間の知識は現在の皆様の知識に追記されますので、言葉が喋れなくなるということはありません。その点はご安心ください」
知識に追記。今持っている意識や知識、経験はそのままというのは本当らしい。この点には春彦は安堵した。だが疑問もわく。
「それはつまり、転生先の世界の子供の精神を乗っ取るってことなんですか?」
バスガイドが答える。
「結果的にはそうなりますが、皆さんの憑依先として選ばれるのは、5歳を経ずして何らかの原因で命を落とす子供たちに限定されております。アリアドスは病気や事故による子供の死亡も日常茶飯事ですので」
難しい問題だった。自分たちが憑依するせいで命を長らえても、その心は最終的に自分たちが支配してしまう。それが良いのか悪いのか、ハルにはすぐに結論を出すことはできなかった。
「なお、皆様が転生する世界は同じですが、転生する時間には多少幅があります。プラスマイナス5年、その期間に皆様は異世界にて新しい人生を始めることになっております」
全員が一緒にというわけではないらしい。確かにこれなら、別の転生者を探すのも難儀だろう。
「また、転生特典……スキルとして、『危機回避能力』が付与されます。そちらの当日参加の方以外はご存じでしょうが、もう一度サンプルを出してみますね」
……スキル?
その言葉が終わった直後、急に周囲の時間がゆっくりと動くようなうな感覚を感じた。
それと同時に、春彦の脳裏に赤い「!」、すなわちアラートマークと「右に逃げろ」という何かの指示が頭に浮かぶ。
それに従い、春彦は思わず右に飛びのき、バスの床に倒れ伏した。
その直後、時間が再び動き出す。
「はい、お分かり頂けたようですね。こちらのアラートマークは、皆様に命の危険が迫った時に自動的に発動されます。それと同時に指示された行動をとることで、その危険を回避できるようになっております。また、このアラートが発動した後、5秒間は主観的な時間の流れが極端に遅くなり、判断を実行できる時間の猶予が与えられます」
起き上がりながら春彦は何となく理解した。このアラートマークの指示に従っていれば、とりあえずは死なないということらしい。
「こちらのスキルを、転生した皆様全員に期間限定で付与させていただきます。期間は申し込みの際にお支払いいただいた金額によって異なりますが、そちらの当日参加者の方以外は、全員人間年齢で言う70歳までは保障されているとお考えください。あちらの世界の平均寿命は人間年齢で50歳ですので、十分以上に2度目の人生を楽しめるものと思います」
……70歳までは生存を保障される能力。これはは確かにとてつもない。何千万…もしくは何億でも払う価値があるだろう。
春彦はツアー参加者の気持ちを少し理解できた気がした。
「また、皆様には病気や毒物に対しての高い抵抗力を付与させていただきます。ただし完全な耐性ではありません。致死量の毒が入った食物を口にしようとしたら、先ほどの能力が発動します。その際はご注意を」
この点にも春彦は感謝した。事故はさっきの能力で防げても、病気はどうしようもないからだ。
「なお、先ほどのスキルが無効になっても、病気や毒物への抵抗力は失われません。その点はご安心ください」
その言葉に春彦は安堵した。そして、覚悟を決めた。
恐らく、最低料金に毛の生えた程度で参加した自分にはさっきのスキルも長くは与えられないだろう。だが、それでもいい。
保証とやらが切れたら、あとは異世界とやらで普通に生きるだけだ。
普通に生きて、その上で恩を返す。
冬乃を助けてくれた「アリス」。
俺が転生するためのお金を出してくれた4人。
「モモタロウ」。
「キンタロウ」。
「カグヤ」。
「ウラシマ」。
この5人に、異世界で恩を返す。それが今からの自分の生きがい……いや、使命だ。
「なお、スキルや抵抗能力とは別に、異世界で頑張った方には特典として別の能力を用意しております。張り切って探してくださいね」
満面の笑顔で付け足すように言ったバスガイドの一言が、春彦の心に引っ掛かった。
「あとは、皆様が追加料金をお支払いいただいた際のご要望はできる限り反映させていただいております。長寿を望む方は相応の種族に、高貴な暮らしをご所望いただいた方には代金相応の地位をご用意しておりますので」
……気づくとバスは、見たこともないような場所を走っていた。
フロントガラス越しに見えるのは、巨大な活火山の火口。
普通に考えれば、あれに飛び込むのは自殺行為でしかない。
だが、恐らくあれが異世界とやらの入り口なのだろう。春彦は目を閉じた。
「間もなく転生を開始します。皆様ご注意ください」
緊張感のないバスガイドの声が聞こえる。
「それでは皆様、良い旅を」
次の瞬間、重力がおかしくなる。多分バスが火口に飛び込んだのだろう。
バスは火に包まれ、バスの中を炎が駆け巡る。
そこにバスガイドの声が聞こえる。
「あなたの能力は、あと……」
その中、春彦は驚くほど平穏な心境で、意識を失った。
※ ※ ※
緑ノ宮総合病院。
「これより、術式を開始する」
思いもかけぬ倉森財閥からの依頼に、闇医者である狭田は戸惑った。
この患者の手術はあの村瀬という青年からの依頼だったはずだ。
元々、狭田が法外な手術料を取る理由はひとつ。その人間の命に対する依頼人の覚悟を見るためだ。
依頼人が命懸けで用意した金なら、一千万や二千万足りなくとも手術はするつもりだった。
だが、あの村瀬春彦という青年はどうやったのかは知らないが、倉森財閥まで巻き込んで手術料を工面してきた。
そしてもうひとつ。彼は二度と狭田と患者の前に姿を現すことはない、とも聞いていた。
色々な疑問はあったが、どのような手段にせよ彼が狭田との約束を守り、報酬をきちんと用意した時点で、彼の心は決まっていた。
何があろうと、目の前の患者に全力を尽くす。
麻酔で眠る患者、村瀬冬乃を前に、狭田はメスを手にした。
恐らくは世界で狭田だけにしかできないであろう外科手術。
そして、狭田は聞こえないはずの冬乃に声をかけた。
「どんな魔法を使ったのかは知らんが、誇っていいぜ。あんたの兄貴は世界一の妹思いだ」