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41 あの夜の記憶

 あの日の深夜、眠っていたクリフトは、コナーが扉を開ける音で目を覚ました。


「どうされたのです、父上?」


 急ぎ服装を整えながら訪ねたクリフトに、コナーが答えた。


「何者かがこの宿に侵入してきた。万一に備え、お前はここから逃げろ」


「何ですって!?」


 コナーは、予め警備のために自分たちが泊まった宿の周囲に『感知防壁』の魔法を張りめぐらせていた。侵入者がいれば即座にその人数、おおまかな強さまでわかる精度の高いものだ。


「我々を狙った侵入者なら、私も一緒にここで……」


「いや、逆だ。侵入者がいるのは確かなのだが、気配が全く感じられん。恐らく暗殺に特化した相当な手練れだ。お前ひとり手勢が増えたところでどうにもならん可能性がある」


「それ程の相手なのですか……」


「万一に備え、裏口に我々の手の者を待機させている。右腕に赤い腕輪、左腕に青い腕輪をつけたダークエルフの男だ。その者に付き従い、間道を使って『黒き木々』に戻れ」


「しかし……」


 難色を示すクリフトを、コナーが一喝した。


「時間がない、急げ!」


 自らも剣を抜いたコナーは、旅支度を整え終わったクリフトを部屋から追い出すと、護衛たちに手早く指示を出し始めた。


 それが、クリフトが見たコナーの最後の姿だった。



 裏口の木陰には、コナーの言った通りの腕輪をしたダークエルフの男が、馬を用意して待機していた。

 すぐさま馬に飛び乗ったクリフトは、男に付き従って間道を進む。


 数時間走り続け、空がうっすらと明るくなり始めた頃。


「……どうやら追手は来ないようですね。馬も限界です。この近くに小屋がありますので、少し休んでいきましょう」


 クリフトは頷いた。


 そして、さらに少し進んだ所にあった小屋に馬を繋ぐ。


「私は外で見張っております。しばしの間ですが、クリフト様は中でお休みください」


「ありがとう」


 クリフトは男に礼を言うと、そのまま小屋に入っていった。


 小屋のカンテラに火をつけ、備え付けられた椅子に腰かけたクリフトは、コナーの身を案じながらも、深夜の急な逃避行に疲れきっていたこともあり、うつらうつらと舟をこぎ始めた。



 クリフトの目を覚ましたのは、コンコンとドアをノックする音だった。


「入って構わないぞ」


 扉を開けて入ってきたのは、さきほどの男とは別のダークエルフの女。


「お休みでしたか、申し訳ございません。お疲れかと思い、お茶をお持ちしたのですが……」


「ああ、気を使わせてしまってすまない。折角だ、頂こう」


 てきぱきとティーセットでお茶を入れたダークエルフは、早々に部屋を立ち去っていった。



 カップを手にしながら、クリフトは呟く。


「父上はご無事だろうか……?」


 父の身を案じながら、クリフトはカップに注がれた紅茶を口にした。



 30秒ほどの後。

 クリフトが突然激しくせき込んだ。


 先程の茶でむせてしまったのか、と思ったクリフトだったが、吐き出した飛沫がおかしいことに気が付いた。


 ……赤い。


 それが自分の吐き出した血液だと気づいた次の瞬間、クリフトは激しく嘔吐した。

 目の前にびちゃびちゃという音と共に赤い血だまりが広がっていく。

 それと同時に、身体の力が急速に抜けていくのを感じていた。


「……これ……は……いったい……」


 クリフトの頭に思い浮かんだのは、毒。

 先程の紅茶に毒が入っていたのか? ということはあの女は刺客? 既に刺客がこの小屋に……?

 しかし、あの男が見張りをしていたはずだ。いつの間にこの小屋に……。


 クリフトは鉛のように重い体を引きずりながら小屋の扉を空けた。


 そこには、先程の男が倒れている。そして、その身体には首がなかった。


「……何……だと……」


 ほぼ同時にバチリという激しい音と共に、周囲に火の手が上がった。

 小屋のそばに繋がれている馬が激しくいなないている。


「火……まずい……逃げなければ……」


 かろうじて馬を綱から解き放ち、その背にしがみついたクリフトに、激しい勢いで燃え上がる樹木が倒れこんできた。

 その炎は、容赦なくクリフトの服や肌、髪を焼き焦がす。


「ぐぁぁぁっ!」


 クリフトはかすれる喉で、心臓から絞り出したような悲鳴を上げた。


 しがみついた馬も完全に混乱しているらしく、クリフトを背に乗せたまま激しく燃える森に突っ込んでいく。


「何……」


 森の炎が容赦なくクリフトと馬を焼き焦がし続ける。だが馬の疾走は止まらない。


「……どういう……ことだ……」



 だが次の瞬間。

 クリフトは、野生の勘に従って馬が取った行動に感謝した。


 激しく燃える炎の音の中に、わずかに水音が聞こえてきたのだ。

 恐らくこの先に河がある。馬はそこまで逃げ延びるつもりだ。


「……頼む……ぞ……」


 間もなく、かずれるクリフトの目の前に河が見えてきた。かなり大きな河だ。

 クリフトは王都から逃げてきた方向と、この周辺の地理を薄れていく意識の中で整理する。


 ……恐らくこの河は、『黒き木々』に流れ込んでいる、はずだ。



 河に勢いよく飛び込む馬。

 それと同時に、クリフトは馬の背から勢いよく放り出された。


 全身の感覚が鈍くなっていく中で、水の中をもがくクリフトの手が何かに当たった。

 クリフトは全身に最後の力を込めて、右手に当たったもの……流木に身体を預け、水の中から顔を上げた。


 正直、このまま流木につかまっていられる自信はない。

 河には魔物もいる。見つかれは戦うことなどとてもおぼつかないだろう。


 ……だが、逃げなければ。


 その生存本能だけが、クリフトの身体を動かしていた。


「……父上……」


 最後にかずれた声でそう呟くと、クリフトはそのまま意識を失った。




※ ※ ※




 ……そこから先、クリフトの記憶は途切れているそうだ。


 どこかで河から上がり、自力で森を抜け、屋敷に戻ってきたはずだが、その記憶は全くないという。



 クリフトの話を聞いた皆は、一様に黙っている。


 その沈黙を破ったのは、クリフトの次の一言だった。


「……そうだ……、思い……出した……」


「どうされたのです?」


 尋ねるネリアに、クリフトが聞き返す。


「……父の……遺品は全て……返されたのか?」


 意外な質問にネリアが答える。


「ええ。一応、あの時父上がお持ちだったものはすべて王都から返却されています……全て父上の血で血塗れですが」


「……では……あの時父上が着ていた……外套を持って……きてくれ……」


 ネリアが目くばせすると、頷いた侍女はすぐに部屋を出て行った。

 間もなく、ネリアたちの所に血塗れの外套が届けられる。



「……これは……逃走中に手引きを……してくれた……あのダークエルフの話なのだが……」


 クリフトの話によると、外套の首の部分に、大事な書類が縫い込まれているとのことだった。

 クリフトは逃走中にそれをコナーから渡されたのかを聞かれるまで、その事を知らなかったという。当然、ネリアやアリアスにも初耳の話だった。


 渡されていないと答えたところ、ダークエルフの男はそうですか、とだけ言い、それ以上詳しい話をしてこなかった。

 今になって思えば逆に幸運だったという他ない。あの火災の中でクリフトは無事にそんな書類を持って逃げられたとはとても思えなかったからだ。


 アリアスの指示で外套が調べられたところ、確かに襟に何か折った紙らしきものが入っているという。

 アリアスはそれを取り出して一瞥し、驚愕した。


 それは今回の領土交渉の鍵となる、『黒き木々』の地下に広がるオリハルコンの精緻な鉱脈図だったからだ。



 そして同時に疑問がわいた。本来この図に記されている鉱脈図は、基本的に皆の頭の中にしか入っていないものだ。こんなものを形にして残しているのは、鉱脈を発見したダークドワーフの部族、その族長だけのはずだ。実際、コナーもアリアスも、族長を交えた話し合いの際に見せてもらっただけのものである。


 その時に記憶した内容をコナーが書き留めていたとしても、なぜそんなものを王都に持って行ったのか……。



 また、同時にひとつの疑惑がアリアスの頭をかすめた。


 ……王国は、本当にこの書類に気づかなかったのだろうか?


 見つかっていなかったのであればそれでいい。だがもし、書類の存在が知られていたのだとしたら……。

 この書類の写しを作って手元に残し、本物は戻して何食わぬ顔でこちらに返してきた……そんな可能性が否定できなくなったのだ。


 もしそうだとすれば、こちらの最大の切り札を失った以上、領土交渉そのものが完全に成り立たなくなってしまう。

 たとえ、もうひとつの切り札『亜人の太陽』があったとしても……。



 無数の可能性がアリアスの頭を駆け巡る中、ネリアが強い声で言った。


「……私が王都に向かいます。いったいあの地で何があったのか、父を殺し、兄をこのような目にあわせたのはいったい誰なのか、それを自分の目で確かめなければ……」

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