4 救済
「今の話を聞いた後で、こういうことを話すのは気が引けるのだがな……」
また別の老人が言いづらそうに口を開けた。
「強盗のこととは関係なく、あんたはもうすぐ死ぬことになる」
……え?
春彦は自分の耳を疑った。
確かに銀行強盗は重罪だ。だが誰にも怪我はさせていない。実質損害となる500万という金額は決して少ないとは思わないが、それで死刑になってしまうほどのものなのだろうか。
それに、もうすぐという言葉の意味は?
「さっき誰かが言った、『運が悪かった』とのいうのはそのままの意味なんじゃよ。 このバスに乗っている人間は、全員もうすぐ死ぬことになっておる。まあある条件を満たした人間には、アリアドスとかいう目的地で生まれ変われるそうじゃが、あんたはその条件を満たしていない。多分死んでそこで終わりじゃ」
とても信じられない話だが、老人の口調に嘘の気配は感じられない。
さっきのプラガンの件といい、このバスは明らかに異常すぎる。
それに車内をよく見回すと、明らかに今からちょっと旅行に、なんて状態ではない老人もいる。
素人目でも解る。今すぐ病院に行かないと手遅れになるだろう。そんな人がこのバスに乗っているということは。
このバスは、嘘偽りなくあの世への直通便なのか。
「……イヤだ」
春彦が呟いた。
自分が最終的に裁きを受けることは構わない。
だが、それまでの間にでも冬乃にしてやれることはあるはずだ。
「腎臓をもう一つ売ってもいい! 角膜だろうが肝臓だろうがなんだって欲しい奴に売ってやる! 少しでも冬乃の足しになればいい! それもせずに、このまま死ぬのはイヤだ。イヤだぁぁっ!」
春彦は涙を流し、鼻水を垂らしながら号泣した。
「……は、承知しました、お嬢様」
声が聞こえた。
春彦は泣きながら声のした方…バスの後部座席のベッドに目をやる。声はその隣にいる年配の男のもののようだ。
春彦が涙と鼻水を拭いながらそのベッドに近づく。
ベッドには、少女が横たわっていた。
全身はか細く、肌は透き通ったように白い。何かの薬の副作用なのか、髪はすべて抜け落ちている。
重病なのだろう。それも長い間、恐らく生まれてからずっと。肌のあまりの白さがそれを感じさせた。
声を出したのは少女の傍につき従う、いかにも執事然とした男だろう。その男が言葉を続ける。
「妹さんの本名と、入院している病院を教えて貰おうか」
答えを躊躇う春彦に、その男が語気を強くして続ける。
「早くしろ。いつ携帯も繋がらなくなるか解らん、手遅れになるぞ!」
その言葉に、春彦は答えた。
「村瀬冬乃……緑ノ宮総合病院です」
男は手早く電話をかける。電話はすぐにつながった。
「院長か? 私は倉森財閥の筆頭執事、倉田だ。わかるな? そちらに入院している村瀬冬乃という患者に至急最善の措置を取れ。他の医療機関からも最高の医師を手配しろ。倉森の名を出しても構わん。無論費用は度外視だ」
あっけに取られる春彦。
「そして、お前たちが無理と判断したら、つまらんプライドは捨てて狭田に連絡を取れ。患者の身内と話はついている……ああ、あの闇医者の狭田だ。お前らは気に食わんだろうが、確かに奴なら何とかできるかもしれん。手術代は倉森が言い値を払うと伝えろ。判断は躊躇するな、以上だ」
その後、何か所かに連絡を入れた倉田という男は春彦に声をかけた。
「手配はした。狭田が手術するなら、たぶん妹さんは助かるだろう」
……今、聞こえた。
……この男は、狭田を知っている。
……狭田という医者と、その法外な報酬を知った上で手を貸してくれた。それならば。
恐らく、助かる。
冬乃は、助かる。
その言葉を聞き、春彦の眼から再び涙が溢れた。
「ありがとう……ございます。ありがとうございます!」
涙を流しながら春彦は倉田に土下座した。
「礼ならお嬢様に言え。妹さんを助けてあげて、というのはお嬢様の指示だ」
春彦が倉田の傍で横になっている少女に目をやる。痩せ細った、白い肌の少女。
「ありがとうございます!」
春彦は再度土下座した。
痩せ細った、ただ恐らく美人であろう顔立ちの少女は、少し微笑んだように見えた。
「これでもう思い残すことはありません。皆さん、ご迷惑をおかけしました」
春彦はバスの皆に深々と頭を下げた。
良く分からないが、ここにいる人々と、自分はもうすぐ死ぬらしい。だが冬乃が助かるなら、もう死ぬことに悔いはない。
だが、皆の厳かな死出の旅に、トラブルを持ち込んでしまったのだから。
見たところ、その事に腹を立てている人間がどうやらいなさそうなことは、春彦にとって救いだった。
「……ガイドさん。このツアー、当日参加も可能だったかな?」
白い髭を蓄えた、いかにも企業の総帥、という趣を感じる老人が尋ねる。
「ええ、戴くものを戴けるのなら」
「ではこの金でこの青年を当日参加させてやってくれ。少し足りんかな、これでは」
老人が足元の鞄から帯封のついた札束を10個出した。
「足りませんね。ご存じの通り、ツアーの参加料金は最低4千万ですから」
「じゃのう……」
そのやり取りを見ていた別の男が席を立ち、手に持った鞄から札束を同じく10個出した。
「これで2千万だ。誰か他におらんか?」
「では、私が」
上品な物腰の老女が席から腰を上げる。同じく手にした鞄から1000万。
「このツアーはとにかく何でも現金主義だからな。地獄の沙汰も金次第、ってので一応持ってきたんだが、本当に役に立つとは思わなかった。ついでにそんな変わり者が他に3人もいたとはな」
別の老人が同じく1000万。
4000万円を前にして、老人4人が笑った。
バスガイドの前に4000万の札束の山が積み上げられる。
「ついでにその男が頑張って取ってきた500万も足してやれ。こっちに請求が来たら何とかしてやれるだろうよ」
最初に電話をしていた水谷という老人が笑いながら言う。
「しめて約4500万、端数はそちらで数えてくれ。これで当日参加1名追加、問題なかろう?」
「はい確かに。ではツアー参加者1名追加、承りました」
バスガイドが満面の笑顔で答えた。
次の瞬間、バスガイドの目の前に積まれた札束が一瞬で消えてなくなる。
「ごめんなさいね。このツアー、参加費は現金で渡さないとダメなのよ。口座振込や小切手でいいのならいくらか融通してあげられたんだけど」
別の老婦人がすまなさそうに言った。
「いえ、お気持ちだけで十分です」
春彦は頭を下げながら老婦人に答える。
答えながら春彦は、心に浮かんだ疑問を抑えることができなかった。
「……ところで、ツアーって、このバスはどこに行くんですか?」
最初に1000万を出してくれた老人が答える。
「予定ではこのまま異世界、先程出ていた、アリアドスとやらに行くことになっておる」
「異世界……アリアドス?」
「話によると魔法があったりモンスターがいたりする中世ヨーロッパみたいな世界らしい。あんたみたいな若いモンの方が馴染みがあるんじゃないか?」
まるでゲームみたいだ。春彦の脳裏に以前やったRPGが浮かんだ。
「まあ、見ればわかるだろうが、このバスに乗っているのはみんな先行き短い年寄りばかりじゃ。他にも重い病で治療の見込みがない娘さんやらとにかくこの世界で先が見えた連中ばかりが乗っておる。儂も含めてな」
そうか、あの後部座席の女の子は……。
「で、このツアーに参加した者は、この世での意識や知識を持ったまま別の世界で別の人生を生きることができるらしい。儂も半信半疑なところはあるがの」
春彦は言葉を失った。今時、詐欺師でももうちょっと信憑性のある嘘をつくだろう。
「……信じられるんですか?」
「まあ正直五分五分じゃな。どこぞの宗教団体にお布施するのと大して変わらんかもしれん」
老人の話は続く。
「だがあんたも見たじゃろう?このバスにはもう、あんたの常識ではわからないような力が働いておる。ここの人間は大方、あれに近いものを見せられてこのツアーの参加を決めたんじゃ」
「確かに、あんなことは普通じゃできない……」
「そのツアーの参加費が、さっきの金じゃよ。正直な所、あんたみたいな健康で若いモンがこのツアーに参加するのは気が乗らん。あんたが博打やらで作った借金だったら無視するつもりだったが、どうもそうではないようだ。となるとあんたも参加せんと死んでしまうからな」
「俺にそんな価値があるんですか?」
「さあな。我々は大体のところは申し込みの段階で聞いておるが、あんたが別の世界でどんな人間になっているかは、向こうで会ってみないとわからん」
「……あなたたちは、冬乃を助けてくれました。その上で、死ぬはずだった俺も助けてくれるそうです」
春彦はいったん言葉を止め、改めて言った。
「俺は、あなた方に恩返しがしたい。いったい何をすればいいんでしょうか?」
その言葉に、老人たちが苦笑を浮かべる。
「何をって言っても……私たち、向こうでどういう人間に生まれ変わるのか、まだ分からないのよ」
お金を出してくれた上品な老婦人が答えた。
「だから今ここで注文をつけてもしょうがない、まず向こうに行ってからだな」
最後にお金を出してくれた別の老人が言う。
「まあ今は気にするな。ただ、せっかく恩を返してくれるというのなら、お言葉に甘えたいところではあるな」
2番目にお金を出してくれた壮年の男が言う。その姿はまだ元気そうで、病気などしていないように見えた。
そして、最初にお金を出した老人が言った。
「じゃあこうしよう。儂らは向こうで名を成したら、あんた方にわかる名前を名乗ることにする。あんたはその名前を聞いたら、そいつに手を貸してくれ」
「うん、悪くないアイデアだな」
「結構かと思います」
「いいんじゃないか」
皆、老人の提案に賛同した。
「では、儂は『モモタロウ』と名乗ることにする。この名前ならさすがに向こうでも被らんじゃろう」
最初にお金を出した老人が言った。
「そいつはいい。じゃあ俺は『キンタロウ』だな。まあ、向こうではよろしく頼むぜ」
2番目にお金を出した壮年の男が笑いながら言った。
「それなら私は『カグヤ』ね。いろいろあると思うけど、力を貸してくれると嬉しいわ」
老婦人が言った。
「となると儂は『ウラシマ』とでもするか。どういう出会いになるかはわからんが、まあ仲良くしてやってくれ」
最後にお金を出した老人が言った。
「では、俺は……」
そこまで言いかけたところで、白い髭の老人が言葉を止めた。
「いや、いい。あんたが名前を言う必要はない」
春彦は一瞬あっけに取られた後、老人に尋ねた。
「どうしてですか? 俺はあなた方に……」
その問いに老人が答える。
「正直、儂らも向こうでどんな立場に立たされるのかは分からん。あんたがその時に名前を公にしていれば、いざという時に無理を推してあんたに助力を頼むかもしれん。それは儂の望むところではない」
続いて、老婦人が先ほどの老人の意図を察したかのように話し始める。
「あなたはまだ若いわ。人生の楽しみの、10分の1も知らないでしょう。こういう形になったのは残念だけど、あなたにはせめて向こうの世界で『人として生きることの喜び』を知ってほしいのよ」
「俺たちがいざピンチとなった時、あんたの名前を知っていれば、あんたを名指しで助けを求めるかもしれない。あんたは多分それに応じるだろう。それこそあんたが向こうで築くかもしれない、平穏な生活やら、温かい家庭やら全てを犠牲にしてな……」
「元々あんたを助けたのは俺達の道楽の一環だ。見返りを求めてやってるわけじゃない。もしあんたが俺たちの名前を聞いて、その時あんたの抱えている物と俺たちの恩を天秤にかけ、天秤が俺たちの方に傾くのなら……」
「その時は、お願いする」
「その時は、頼むぜ」
「その時は、期待していますよ」
「その時は、あんたの恩義をありがたく頂戴するよ」
「……皆さんのお名前、決して忘れません。何があろうと、皆さんに受けた恩、命を懸けて返させて貰います!」
決意の籠った答えを返した春彦は、バスの後部座席に走り、横たわる白い肌の少女に声をかけた。
「冬乃を助けてくれた恩は、この世では返しきれません。せめて向こうではあなたのお役にたちたいと思います。向こうでのお名前を教えていただけますか?」
「……『アリス』……」
その問いに、少女は弱々しく、だが笑顔で答えた。