37 暗躍
「できればあの男はこちらで保護したかったのだがな……」
ダークエルフの一族が居を構える、エリクシア王国王都南部の大森林『黒き木々』。
その中でも当主が住む最大の集落にある薄暗い建物の中。
間諜の報告を聞いた男が独り言ちた。
男の名は、アリアス=パスティアン。王都の南にある未開の森、『黒き木々』を纏めるヘンリック家に仕える、ダークエルフとしては異形の巨躯を持つ青年だ。
「……まあ、止むを得まい。勝敗は兵家の常だ。ただ、引き続き捜索の手は緩めるな。報告通りならランゴバルトは死んでいる可能性が高いが、アイリーンというダークエルフもかなりの使い手のようだ。誼を結べるならそれに越したことはない」
「承知しました」
アリアスの指示を受け、間諜が頭を下げた。
「さてと、もうひとつ。決闘の前にランゴバルトと会話を交わしたという若い男は、確かに『ムラセ・ハルヒコ』と名乗ったのだな?」
「はい、間違いありません」
アリアスが考える。
……恐らく、あの男に間違いあるまい。ならばこちらからのアプローチ次第で、味方につけられる可能性がある。
「その男に監視をつけろ。場合によってはこちらから直接接触するかもしれん。準備はしておけ」
「はっ!」
間諜が姿を消した後、アリアスが呟く。
「これは、思わぬ手札が手に入ったかも知れんな。だがせっかくの手札、張り時を見据える必要があるか……」
同じ頃、王都アイゼンベルグの王宮。
その一室にて、四人の人間が会談を行っていた。
そのうちのふたりは人間、もうふたりはダークエルフである。
「ようやく財務局から予算が下りたのです。今更計画の変更などできませんな」
やや頭の薄くなった、50前の恰幅のいい人間の男が迷惑そうに言い放つ。
男の名はルドガー=ケインリッヒ。このエリクシア王国の副宰相を務める男である。
「数百年王国が放置しておいたあの地に、なぜ今になって急に開発計画が持ち上がるのです!?」
同席しているダークエルフの若者が声を荒げる。
彼の名はクリフト=ヘンリック。『黒き木々』の領主であるヘンリック家の嫡男である。
「そういわれましてもな……開発計画が決まる時というのは、得てしてそのようなものです。たまたま、としか言いようがありませんな」
ルドガーがクリフトの怒りのこもった声をさらりと受け流す。
「もうよい、クリフト」
もうひとりのダークエルフの男が、クリフトをたしなめた。
200年の寿命のうち、青年期の姿を100年は維持できるダークエルフだが、その男は明らかに初老の人間のような威厳を見せ始めている。
「しかし……」
「今までに幾度となく予備交渉を進めていた話です。この際、腹を割って話しましょう。ホースト殿、ルドガー殿」
もう一人の人間が目を瞑ってしばらく何かを考えた後、静かにうなずいた。
人間の名はホースト=マーキュリー。60は過ぎていると思われる、細身ながらも言いようのない威圧感を持ったエリクシア王国の宰相である。
そして彼に詰め寄ったダークエルフこそ、『黒き木々』のダークエルフたちを取りまとめるヘンリック家の当主、コナー=ヘンリックであった。
「はっきり言いましょう。今になって急にあの森の開発計画が持ち上がったのは、先日こちらが提示した条件を聞き、王宮内の親エルフ派の発言力が低下したからですな?」
「……まあ、そのようなところだ」
ホーストがコナーの話を認めた。
「ホースト殿!?」
ルドガーがホーストの言葉に驚くが、ホーストはそのまま言葉を続ける。
「オリハルコンは戦略物資だ。それをあの量安定供給できるというのであれば、王国は他国に対して大きなアドバンテージが持てる。魔道技術庁に話を持っていったら長官が腰を抜かしたよ。技術革新を100年は前倒しできるとな。ダークドワーフの採掘技術とは全く大したものだ」
ダークドワーフ。
かつてエルフの里を出奔し、全てのダークエルフの祖となった『黒き森の夜の女』がドワーフとの間に成した数人の子、その僅かな種族の末裔だ。
人数がもともと少なかった上、ダークエルフのような多種族の大規模な拉致を行わなかったため、エルフやドワーフからそこまで敵視されているわけではない。
だが、『黒き森の夜の女』の眷属であるという事実と、それを証明する黒い肌は、やはりドワーフの中でも忌み嫌われていた。その結果、彼らは極めて閉鎖的なコミュニティを作り、世間から隠れ住むように細々と生き続けていたのである。
コナーは、様々な文献と伝承、そしてドワーフからの情報の末、そのダークドワーフと接触することができた。そして長年の交渉の末、彼らの持つ優秀な採掘技術を借りて、オリハルコンの大規模な鉱脈を発見した。そしてそこから得られるオリハルコンを、王国に安定供給すると申し出ていたのである。
「し、しかし! 問題はそれだけではなかろう! 第一……」
ルドガーが食い下がる。だが。
「その他の条件は、すでに以前の予備交渉で解決可能との結論が出ておりましたな。ルドガー卿はお忘れか?」
「ぐっ……」
ルドガーは言葉に詰まる。
そしてそこに、ホーストが口を挟んだ。
「……しかし、何度聞いても理解に苦しみますな。クリフト殿の仰る通り、今になって急に『黒き木々』の再開発の話が出たのは、コナー殿の動きがあったからです。しかし逆にその動きがなければ今まで通りあの地でのあなた方の居住を黙認するつもりであったのもまた事実」
ホーストは続ける。
「そして『黒き木々』を王国が再開発するとなれば、他の領主の手前、そこに不法居住しているあなた方を追い出さざるを得ない。正直コナー殿の今回の動きは、藪を突いて蛇を出した、としか思えませんな」
そして、ホーストは今まで何度となく問いかけた質問を、再度コナーに叩きつけた。
「……コナー殿、いえ、あなた方ダークエルフにとって、『王国からの『黒き木々』への正式な居住許可と自治権の保証』というのは、そこまで大切なものなのですかな?」
「はい、私はそう考えています。今のダークエルフには……多少の対価を払ってでも、胸を張って生きていく上での基盤となる場所が必要なのですよ。我が領民はいつ終わるとも知れない未来の見えぬ生活や、人間社会に溶け込むことのできない差別された環境で生きることに疲れ切っています」
いったんコナーが話を止める。
「……勿論それは、我々が過去に起こした過ちの代償であることは否定しません。だが、私はそんな彼らに救いの光の片鱗でも見せてやりたいのです。自分がダークエルフであることを呪わずに生きていける場所を作ること……それが可能であることを示したいのですよ」
「……あなたの変わらぬの志の高さ、王国の為政者の全てが見習うべきですな。敬服いたします」
ホーストはコナーに最大の賛辞を贈った。
「……しかし、少し気になる点がありますな」
「父の志になにか疑う点があるとでも?」
クリフトがホーストに尋ねる。
「いえ、お父上のお言葉を疑うわけではありません。ただし、このタイミングで再度我々と話し合いを持ちたいと仰った、その真意が気になりましてな」
「……真意ですと?」
ここでホーストは話を変えた。
「コナー殿は今まで、エルフ族との過去の柵を解いて自治権を得るため、大変な努力と譲歩をされてきました。おわかりですな?」
「はい」
「自治領を得るには爵位が必要ですが、王国が手を出せなかった『黒き木々』を自力であそこまで開拓した功は大きい。王が決断されれば王国の発展に寄与したとして襲爵も可能でしょう。各地のダークエルフの部族が秘密裏に攫っていったエルフたちも、生存している者に関しては、できる限り魔法を解除した上で返還すると仰られている」
「……だが、その努力も、あのオリハルコンも王国内の親エルフ派を完全に沈黙させるには至らなかった。その結果が『黒き木々』の開発計画です。あれは正直、王国内の親エルフ派の最後の一手と言えます」
「……まあ確かに、あの話が潰れればしばらくはダークエルフにちょっかいを出そうとする人間は大分少なくなるでしょうな」
明らかに親エルフ派であるルドガーもそれを認める。
「そうです。あの計画はこちらとしても最後の手段。コナー殿は聡明なお方です、ただの陳情で計画を潰せるとは考えておられないだろうし、そのためにわざわざ王都まで足を運んだとは思えない」
「……何を言いたいのです?」
ホーストが一瞬の沈黙の後、言った。
「……コナー殿はまだ何か切り札を隠している、私にはそう思えるのですよ」
沈黙が部屋を支配する。
しばらく瞳を閉じて考えにふけっていたコナーが、決断したように目を開いて言った。
「結論から言いましょう。ホースト卿の予想は正しい」
「父上……」
あれのことを話してしまうのか、と眼で尋ねたクリフトに対し、コナーは頷いた。
「私はダークドワーフの協力を取り付け、各地の鉱山を探っていた際、あるものを見つけています。使い方によってはこの世界のパワーバランスすら変えかねない代物ですよ」
「いったい何を見つけたというのだ?」
苛ついた口調でルドガーがコナーに尋ねる。
「『亜人の太陽』と呼ばれる魔道具はご存知ですな?」
予想もしない単語が出てきたことに、ホーストもルドガーも意外そうな顔をした。
「あの呪われた古代の魔道具がどうしたというのだ?」
「あれの完動品を見つけました」
「「何だと!?」」
ホーストとルドガーが同時に叫んだ。
「真偽をお疑いでしょうから、こちらでできる限り調べた資料も後日お渡ししましょう。魔道技術庁ならある程度はお分かりになるはずです」
「……まさかあれが残っていたとは……」
ホーストが声を絞り出す。
「そしてもうひとつ、お約束しましょう」
コナーが続けて発した一言に、二人はさらに言葉を失った。
「あれを『黒き木々』で稼働させます。当然我々も、『黒き木々』に移り住んだダーウエルフもその影響を受ける。それが意味するとことは……お分かりになるでしょう。ある意味でエルフの方々にとっては、これ以上ない形でのダークエルフへの敵討ちとなるでしょうな」
ルドガーが震える声でコナーに問いかける。
「……そなたらは……人間種を辞めるというのか……」
「……これくらいしなければエルフの皆さんの恨みが晴れることはないでしょうからね。それに別にダークエルフが滅亡するわけではありません。世界にはダークエルフは沢山いますから」
コナーはさらに言葉を続ける。
「それと合わせて、我々が『亜人の太陽』を浴び続けた結果、どういった変化を起こしていくかといったデータも提供しましょう。欲しがる亜人の方々は沢山いらっしゃるでしょうからね」
「……確かにな……」
欲しがる、どころの話ではない。もし『亜人の太陽』の研究が進み、『亜人の太陽』の効果を消す方法が判明すれば、社会は大混乱に陥るだろう。だが、その技術は逆に亜人に対する絶対的なアドバンテージになる。
文字通り、社会が変わる。
取り急ぎ、コナーが出した新たな条件を王に報告して判断を仰ぐということになり、その日の折衝は終了した。
宿に戻る馬車の中、クリフトはコナーに尋ねる。
「……私には分からなくなってきました」
「何がだね?」
「我々には、あれほどの譲歩をしてまで自分の領地が必要なのでしょうか?」
「…………」
少し考えた後、コナーが答えた。
「ネリアには、必要だと思ったんだよ」
「ネリアですか?」
意外なコナーの回答に、クリフトが尋ね返す。
「そうだ。先程の話でも出たが、ダークエルフはあまりに多くの恨みを買いすぎた種族だ。どんな生き方をしようが差別されるのは免れ得ない。そんな中で生きていくダークエルフは、早々に笑いや喜びの感情を失っていく。私も、クリフトもそうだった」
今度はクリフトが沈黙する。父の言葉には確かに説得力があった。
自分が最後に心の底から笑ったのは、果たしていつのことだっただろうか。
「だがネリアは違った。いろいろ事情があったとはいえ、お前にとってはずいぶんと年の離れた妹になってしまったわけだが、あの子は私やお前とは違う」
「……いったいどこが?」
「ネリアは、生まれながらに生きることに対する喜びと感謝を持っている。世界の困難や不条理さえも、自分の人生の一部だと取り込んで笑いに変えてしまう力を持っている」
「……そうですね、確かに……」
「身内の贔屓目かも知れんが、あんな子供が生まれるのであれば、ダークエルフという種族もまだまだ捨てたものじゃない、そう思えるんだ。あの子が胸を張って生きていけるような世界を作る、そのためには俺にできることは何だってやってやるさ」
「父上……」
宿に戻った一行は、早々に次回の予備会談が3日後に行われるという王宮からの返答を受け取った。
そして3日後。
王宮からの使者が見たものは、惨殺された数多くの護衛の死体。
そして、自らの剣を胸に突き立てられて事切れた、コナー=ヘンリックの姿だった。




