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35 真名

「おい、ハル! しっかりしろ!」


 アレクシスの声も、残念ながら今のハルには届かない。



 アレクシスの声が響く戦場は、不気味なほどに静まりかえっている。


 ……不死身のはずの、あのかすり傷さえ負わなかった頭目が倒され、血を流して横たわっている。

 その光景をランゴバルトの部下たちは信じられないものを見たような目をしたまま、茫然としている。

 それは副頭目のアイリーンも同じであった。


 ……何故だ?

 ……ダーリン、いやランゴバルトには『危機回避』のスキルがあったはずではないのか?

 ……それが何故こうして、恐らくは致命の一撃を受けて横たわっているのだ?


 ある意味で、この場で一番混乱しているのはアイリーンだったかもしれない。



 駆け寄ったグレイがなけなしの魔力を使ってハルの状態を調べる。


「外傷も内傷もありません、身体自体は健康そのものです。確かなことは言えませんが、恐らくは精神が損傷を受けているのでは……」


「どうやれば治るんだよ!?」


 ただの怪我より数段やっかいな状態になっていることを理解したアレクシスが声を荒げた。


「……あの方法を試してみるしかないですね。今の僕の魔力でうまくいくかは分かりませんが」


 グレイは先程後ろに下がった後、魔力回復の水薬を飲んでいた。

 ただしこれも飲んだらあっという間に魔力が満タン、というような便利な代物ではない。あくまでも自然回復していく魔力の回復スピードを速めるだけのものであり、おまけに恐ろしく高価だ。こんな状況でなければとてもではないが使えない。

 それを飲んでしばらくたった現在でも、恐らく魔力はピーク時の6分の1もない。上手くいく可能性は高くはなかった。



「あたしがやってやろうか?」


 腕の傷を治して駆け寄ってきたアリエルが提案する。確かに現時点の魔力量ならアリエルの方が上だろう。


「あなたにあの治癒方法が使えるのですか?」


「一応あたしもそこそこの治癒魔法が使えるんだ、当然やり方も知ってるよ。それに男のあんたがやるより、あたしがやってあげた方がこの坊やも嬉しいだろう?」


「……そうですね、お願いします」


 アリエルにハルの治癒を任せようとしたグレイに、割って入る声があった。


「あたしがやります! やらせて下さい!」


 声を上げたのはミリーナだった。


 グレイは考える。

 確かにここにいるメンバーでは、魔術師であるミリーナの魔力量が一番上だ。それに加えて彼女は状態回復魔法が得意、治癒できる可能性は高い。だが。


「ミリーナはあの方法を知っているのですか? かなり高位の魔術修行をしなければあれは使えないはずですが……」


「……以前にお師匠様から教えていただきました」


 その言葉が意味するところを知るのは、この場ではグレイしかいない。

 だが、できると彼女は言っている。ならばそれに賭けるしかない。


「分かりました。ミリーナ、お願いします」


「はい!」


 そうしてグレイはミリーナに腰のボトル……アルコール度の極めて高い酒を渡した。水よりもこちらの方が魔力を込めやすいのだ。

 ミリーナはそれを口に含むと詠唱を始めた。詠唱の省略を行わない完全詠唱。効果は高いが、時間がかかりすぎて戦闘中には使われない方法だ。


 そして詠唱を完了したミリーナが、ハルの口を自分の唇で塞いだ。

 ミリーナはそのまま含んだ酒をハルに口移しで飲ませる。

 ゴクリという音とともにハルの喉が微かに動いた。


 ……媒体治癒。


 直接患部に触れることができない負傷や病気の治療の際に行われる方法だ。

 患部に触りながら魔法を唱える通常の魔法とは異なり、水やアルコールといった媒体に魔力を込め、それを相手に飲ませる。症状にもよるが、通常の魔法よりも高い治癒効果が望めるのだ。

 ただし、口に媒体を含んだまま詠唱を行い、媒体に魔力を込めるのには相応の技術が必要となる。少なくとも駆け出しの魔術師にはできない芸当だ。


「へぇ、若いのにたいしたもんだ」


 それを知るアリエルが感嘆の声を上げる。


「……ですね」


 ミリーナがその技術を身につけている理由をおおよそ察しているグレイは、浮かない声で返事をしていた。



 そして数秒の後。


「がはっ!」


 大きな咳を上げながら、ハルが目を覚ました。


「ハル!」


「ハル兄ちゃん!」


「気が付きましたか!」


 皆の声が響いた。



「……ランゴバルトは?」


 朦朧とした意識の中、ハルがアレクシスに尋ねた。


「ああ、うまくいった。致命傷を与えたのは間違いない」


 アレクシスは倒れているランゴバルトにちらりと目をやる。まだ胸は上下に動いてはいるが、あの出血では助からないだろう。


「……そう……ですか……」


 ハルの声は暗い。

 ある意味、無理もないことであった。かつての自分の恩人を殺すことになってしまったのだから。


「……気にするなとは言わんが、今は助かったことを喜べ。お前がいなければあいつを倒すことはできなかった。有難う」


「団長……」


 その言葉に、ハルはほんの少しだけでも救われたような気がした。



だが、その直後。


「うあぁぁぁぁぁっ!!」


 絶叫と共に駆けてくる騎馬の影があった。

 その馬に乗っているのは、ダークエルフのアイリーン。

 完全に虚を取られた状態のアレクシスとハルをキッと殺意を込めた目で睨みつけた後、アイリーンは倒れていたランゴバルトの体を馬上に引き上げ、そのまま踵を返して逃走しようとする。


「おい待て! もう勝負はついた、お前たちは無罪放免だ、逃げる必要はない!」


 アレクシスが声をかけるが、アイリーンからの答えはない。



 ……いや、返答はあった。

 ランゴバルトの交渉も、王国の譲歩も、すべてをご破算にする破れかぶれの返答が。


「アイリーン・カグヤ・ロウンフェルトが真名をもって命じる! ランゴバルト・カストーリアの忠実なる部下たちよ! 理性を捨てて獣となり、死兵と化して主の時間を稼ぐための礎となれ! 魅了!!」



 次の瞬間、騒めいていたランゴバルトの配下たちの眼の色が変わった。

 森の中で人質を取っていた分隊のメンバーすら、人質を打ち捨てると共に、その場を離れようとするアイリーンと王国軍との間に立ちふさがり、人の壁と化した。



「ちっ、本気の魅了ってわけか!」


 アリエルが吐き捨てながら剣を構える。


「どうやら王国の皆様方が立てた計略は見事に無駄になったようだ! 正面からのぶつかり合いになる、怪我人は下がってな!」


 ミリーナに肩を担がれながら後ろに下がるハル。


 だが、ハルは先程のアイリーンの詠唱にひとつ、聞き逃すことのできない単語が混じっていることに気づいていた。


 ……アイリーン・カグヤ・ロウンフェルト?


 ……カグヤ?


 ハルは以前にエミルから聞いた、エルフの『真名』のことを思い出していた。



※ ※ ※



「エルフには、成人したら名乗る『真名』というミドルネームがあるんですよ。これは自分が決めることができます。大体は自分の夢や目標になぞらえたものが多いですね」



※ ※ ※



 ……では、あのダークエルフが……カグヤさん!?


「待っ……」



 だがその声は、もはやアイリーンには届かない。


 死兵と化したランゴバルトの部下たちと、王国騎士団・『キンタロウの斧』・『ネメシスの戦乙女』の連合軍との正面からのぶつかり合いが始まっていたのだ。


 遠くからは、叫ぶように『ヒーリング』の魔法を唱え続けるアイリーンの声が聞こえる。

 だがその声は次第に涙声になっていき、やがて聞こえなくなった。



「う、うわぁぁっ!」


「何なんだこいつら!」


 斬っても斬っても向かってくる死兵の群れを前に、騎士団が恐慌状態に陥っていた。


「くそっ、どいつもこいつも肝っ玉の小さいやつばかりだね! 騎士様が聞いてあきれる!」


 乱戦の中、襲い掛かってくるランゴバルトの部下たちを切り伏せながらアリエルが愚痴る。


「こいつら、手足を斬りつけたくらいじゃ怯みもしない! 旦那方、頭を切り落とすくらいの覚悟でやりな!」


「おうよ!」


「分かりました!」


 体力を温存していたアレクシスが襲いかかる敵の首を撥ねる。

 膂力を強化したエミルの弓から放たれた矢が、剣を振り上げた敵の頭を射抜いて砕く。

 この期に及んでは、さすがにオスカーも剣を抜いて必死に向かいくる敵に相対していた。


 当初は数で押されていたアレクシスたちだったが、途中で意識を取り戻して参戦したハインの活躍もあり、次第に形勢は逆転していく。

 死兵とは言え、理性を失って統率のとれた行動ができなくなったランゴバルトの部下たちは、訓練された精兵のコンビネーションの前に次々と討ち取られていった。


 そして激戦の末。

 アリエルの部下が最後の一人の頭を叩き割り、戦いは終わった。



 王国軍、重軽傷者多数、戦死者31。

 『ネメシスの戦乙女』、重軽傷者6、戦死者なし。

 『キンタロウの斧』、重軽傷者9、戦死者1。


 そして、『ランゴバルトの一閃』、行方不明2、戦死者86、重軽傷者……なし。



「……トーマスは確か、嫁と子供が2人いたな」


 アレクシスがエミルに確認する。


「3人ですよ。この間、新しい子供ができたってはしゃいでましたから」


「……そうか」


 アレクシスは目を閉じて天を仰ぐ。


「弔慰金を2割増しでつける。子供が成人するまでは最低限の衣食住は保証しろ。あとは……そうだな、嫁になにか仕事を見つけてやってくれ。手を動かしている方がいくらか気も紛れるだろう」


「わかりました、メリルと相談してそのあたりの手配はしておきます」


「頼む」



 戦死者への手配を一通り済ませた後、アレクシスは意気消沈しているハルに声をかけた。


「……辛いか?」


「はい。俺は恩人をふたりも裏切ってしまった。水谷さんに……カグヤさんまで」


 沈黙があたりを支配する。


「逃げたカグヤさん……いえ、アイリーンさんはどうなるんでしょう? やはり追手がかかるんでしょうか?」


「だろうな。無罪放免ってのもあの約束が果たされればの話だ。こちらが用意した王様お墨付きのちゃぶ台をひっくり返したのも向こうだ、全部なかったことになるだろうさ。面子を潰された王国が追手を増やしてくる可能性まである」


「……うまくいかないものですね」


「この世の中、生きてれば、みんな仲良くなんてそうそう簡単にはいかないもんだ」


「ええ、ランゴバルトさん……水谷さんも言っていました。この世の中はままならないことばかりだと」


「この世の中はままならない、か。本当に……そうだよな……」


 ハルとアレクシスは、今は馬上の人となっているであろうアイリーンとランゴバルトに思いを馳せていた。


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