21 力を求めて
さらに一年の時が流れた。
あのトロ-ル討伐以後、ハルは普通に遠征にも参加するようになっていた。
簡単な野獣討伐の依頼では指揮官を任されることもあった。若手のホープとしての地位を確立したといえる。
そんな冬のある日の朝。
「……ねえ、ハルの奴どこに行ったの?」
メリルが『キンタロウの斧』のロビーに顔を出して尋ねた。主要メンバー4人は全員揃っている。
メリルの現在の容姿はいかにも残念美女系。素材はいいが手入れをしていない、そんな感じだ。 少なくとも普段『キンタロウの斧』で凛々しく受付を担当している人間にはとても見えない。
「昨日飲みすぎちゃって頭が痛いのよ。午前中の書類仕事、全部ハルに任せたいんだけど」
「飲み過ぎたお前が悪い。そもそもハルは今日非番だぞ。早朝からどこかに出かけたと聞いている」
アレクシスが即答した。
「だってさぁ、昨日の夜、精がつく甘い蜂蜜酒をたっぷり用意してざぁ。先に始めて相手が来るまでに良い感じで出来上がってさぁ、甘々な言葉を散々囁かれてさぁ、甘々で蕩けそうな思いを散々味わってさぁ、火照った身体を甘々の蜂蜜酒でキンキンに冷やしてようやく眠れてさぁ、それで飲み過ぎのペナルティはちょっと酷過ぎない?」
メリルのジト目が刺す先を、アレクシス達も冷ややかな眼で見つめる。
その先は、あさっての方向を向きながらそ知らぬ顔をして槍の手入れをしている『キンタロウの斧』の副団長、ハインだ。
「……メリルの半日分の給料、お前から引くからな」
「お、おい! ちょっと待て!」
さすがに手を止めて振り返ったハインが、アレクシスに食ってかかる。
「前半はまあいい! でも俺、その後残ってた仕事を思い出したから自分の部屋に帰ったんだぞ! 最後の蜂蜜酒は俺のせいかよ!」
「うん」
「ですね」
「朝までちゃんと付き合ってあげれば飲まずに済んだお酒ですからね」
「俺の味方ゼロ!?」
ちなみにメリルとハインは以上のような仲だが、まだ結婚はしていない。
他のメンバーに言わせると「さっさとくっつけこの馬鹿」らしい。
そもそも、メリルが『キンタロウの斧』に来たのもハインが原因だ。
裕福な商家の長女に生まれ、若い頃から抜群の商才を発揮して父を手伝い、実家を王都有数の商家にまで引き上げた。父親も婿を取らせて後を継がせる気だったのだが、たまたま店に来たハインに一目惚れして家出同然に『キンタロウの斧』に転がり込んできたのである。父親をどうやって言いくるめたのかはハインも知らない。
ハインも一応男爵家の三男だ。きちんと手続きさえ踏めばメリルの相手として全く恰好がつかないわけではない。だがさっさと結婚してしまえばいいものの、恋人以上夫婦未満の関係のまま、ズルズルと今に至っている。今では団の財布を一手に握ったメリルの方がハインを尻に敷いている状態だ。メリルの方も今となってはその関係を楽しんでいるフシがある。
ハインに言わせると「普段の仕事モードとプライベートのギャップがちょっと……」だそうである。
「そこを受け止めてあげてこその男の甲斐性ってものです」
「女性なんてみんなそんなものですよ。人間もエルフもね」
グレイとエミルがぐうの音も出ない正論でハインに追い打ちをかけた。
ちなみにアレクシスとグレイは既婚者である。
アレクシスの妻は家を出る前に父の伝手で紹介された男爵家の次女だ。
『キンタロウの斧』を創設した当時はまだ婚約者の間柄だったため、変わり者の我儘に付き合うことはないぞ、とアレクシスは婚約解消を勧めたのだが、「何があろうと夫を支えるのが妻の仕事ですから」と一歩も引かず、そのままアレクシスについてきた。出来た女性である。
コゼットという娘もいる。
最近でこそ仕事とプライベートをきっちり分けるようになったアレクシスだが、娘が生まれた当初はヒマがあれば不幸な団員を捕まえては写真を見せながら長々と見事な親馬鹿っぷりを発揮していたらしい。
この世界では銀塩写真の原理とそれに使用する各種薬品がすでに発見されており、魔法の併用とも相まって王都に数件ある写真館で撮る程度には写真が普及しているのだ。高価ではあるが。
グレイの妻は元ハンターだ。
女だてらに若いながらも二つ名を持つほどの凄腕だったのだが、数年前に複数パーティによる大規模な盗賊の合同討伐任務を行った際にグレイと知り合い、ハンターを辞めてグレイの押しかけ女房となった。その後の変貌ぶりといえば、結婚前の彼女を知る者が今の彼女と会った際には、全員が全員、自分の眼を疑うほどだという。
エミルはともかく、貴族となれば見合い結婚が当たり前のこの世界では、やはり『キンタロウの斧』は変わり者揃いということなのだろう。
「まあそれはともかく、ハルがこのところ自主練をサボッてるような感じは確かにあったな」
「以前はこっちが出した課題に加え、非番の日にも訓練していたようですが、最近は……」
「単に怠けているのか、もしくは」
「女でもできたか?」
「今、その方向に話を持っていくのはちょっと勘弁してもらいたいんだが……」
ハインがすっかり萎びた口調で嘆願した。
「ああ、そういえば最近、ハルに変な事聞かれましたね」
メリルが口を挟んだ。
「変な事?」
「はい。ここ最近、亡くなった王族や大貴族、大商人とかがいたか、とか……」
「何だそりゃ?」
「さあ? あと、亡くなった方々がどこかに旅行とかしていなかったか、とか。そんな偉い人のスケジュールまで全部解るわけないんですが、ざっとした噂は教えてあげましたけど」
場を沈黙が支配する。
「……何でしょうね?」
「見当もつかないな」
「まあハルのことですから、別に悪だくみを立てているわけではないでしょうけど」
3人が頭を捻っている中、アレクシスはその行動の理由にひとつ心当たりがあった。
「……ハルが戻ってきたら、俺の部屋に来るように伝えておけ。ちょっと確認したいことがある」
「わかりました」
話しているうちに酔いが抜けたのが、仕事モードに戻ったメリルが答えた。
夕刻、団に戻ったハルは、早速団長の部屋に呼び出された。そこにいるのはアレクシスとハル、二人だけである。
「答えろ。何のために、何を調べていた?」
アレクシスの問いに、ハルは少し口ごもった後、答えた。
「……王都や近郊の大都市で亡くなった王族、貴族、そして富裕な方々の亡くなる直前の行動を調べていました。彼らの死の直前に共通点があったのではないかと」
ハルは観念したように答えた。
「理由も教えてもらえるな?」
「はい。俺たちがこの世界、アリアドスに転移したときに、あのバスガイトが言っていた一言。その裏を取るためです」
アレクシスはこの世界への転移時の、あの時の言葉を思い出していた。
※ ※ ※
「なお、危機回避能力のスキルや抵抗能力とは別に、異世界で頑張った方には特典として別の能力を用意しております。張り切って探してくださいね」
※ ※ ※
「その『別の能力』を今になって探していたわけか。何故だ?」
「俺は団長や他の皆さんと違って、残された時間があまりありませんから……」
……やはりか。アレクシスは頭を抱えた。
元々イレギュラーな参加だった上にほぼ最低額に近い参加費しか払っていなかったハルに、この世界での平均寿命以上の『危機回避能力』のスキルが与えられる訳はなかったのだ。そうなればスキルは近いうちにその力を失う。その前に別の能力を取得しておきたい、というのは当然だ。
「そこまではわかった。ではなぜ王都の王族や貴族の行動を調べていた?」
「あの時のバスガイドに会うためです。地球でお金を取って団長を含む富裕層の皆さんを転移させていたなら、こちらの世界でも同じことをやっていてもおかしくはない。そもそも『特典能力』に関しての手掛かりは彼女以外にありません。ですので彼女に会うために、こちらの世界で似たような話……死期が近づいた人間が突如姿を消した、そんな事例がなかったかを調べていたんです」
「……アプローチとしては正しいな。俺があのツアーに参加した時もそうだったからな。それで、何かわかったのか?」
「アイゼンベルグの北東、リューニコスという町で亡くなった方が比較的多いというところまでは掴んでいます。ただ、王族や貴族といった高貴な方々の行動を洗いざらい調べるのは不可能なので、あくまで可能性でしかありません。亡くなった方が全員別世界に転移したとは限りませんし、そもそもリューニコスは温泉が数多くある病気の療養所として有名な町です。裕福な病人が出かけても不思議ではありません」
「雲を掴むような話だな」
「はい。ですが俺が調べた中でも、その町で湯治をしたうちの何人かが、それ程有名でもないある宿に泊まっていたのが分かっています」
「ほう?」
「ここから先は現地で調べるしかありません。近いうちに少々休暇をいただいて、現地に向かってみようと思います。その時にはどうかよろしくお願いします」
ハルが頭を下げた。
「まあ今はちょうど暇だし構わないが……お前がそんなことを調べる伝手を持っていたというのは意外だな」
「孤児院にいたころに勉強を教えていた子のうち、手広く商売をしている商人に奉公できた子が何人かいるんです。その伝手で色々と」
「成程な」
アレクシスは意外そうな顔をした。ハルにそういった諜報の仕事が出来るとは思っていなかったからだ。自分はまだこの男を過小評価していたか、と少々反省した。
「ところであの女に会うとなると、ツアー参加時みたいにまとまった金が必要になる可能性もあるぞ。そこは考えているのか?」
「これでも地下闘技場で10年チャンピオンをやっていたんですよ?」
ハルが珍しく鼻高々に答えた。
ハルの話によると、地下闘技場で稼いだ金から学費と孤児院への寄付を除いた残りと、『キンタロウの斧』に入ってからの給料の殆どを手つかずのまま貯めていたそうだ。合計は日本円にして約3800万円。
「あの時のツアー参加費は最低4000万だった。ちょっと足りないんじゃないか?」
「可能性はあります。だから少し早めに動いているんですよ。いくら足りないか分かればそれはそれでやりようがありますから」
いざとなればまた地下闘技場で稼ぎますよ、とまで言い切った。
「……」
アレクシスはしばらく考えた後、少し待っていろ、とハルに言い残して部屋を出て行った。
数分後、アレクシスが戻ってくる。ずっしりとした革袋を手にしていた。
「メリルと話をつけてきた。日本円で500万くらいある。余裕を持たせて多めにしておいた、持っていけ」
「え!?」
ハルが心底驚いたように目を丸くした。
「こ、困ります! ただでさえ地球では1000万お借りした身です、これ以上貸してもらうわけには……」
「勘違いするな。あの時と違って今回は返してもらえる当てがちゃんとあるからな。使わなければそれで良し、使ったとしても毎月の給料から天引きして返してもらう」
給料の前借りと聞いて、ハルの心は少し楽になった。
「金の事より、あまり何度も長い休みを取られちゃそっちのほうが困るんだ。ちゃんと1回で終わらせて来い」
その言葉を聞き、若干心に引っかかっていた疑問が確信に変わる。ハルはその確信を口にした。
「……団長、『別の能力』について何か知っているんですか? そもそもリューニコスに何か手掛かりがある、というのだって推測の一つでしかありません。無駄足に終わる可能性も大です。それなのにこんなお金をすぐ用意してくれるなんて……団長はまるでそれが正解だと知っているように思えますが」
「……まあその通りだ。結論から言うと、俺もこっちの世界に来てから、あの町であの女と一度会っている。お前の言う『別の能力』のためにな」
「なっ!?」
ハルが再び目を丸くして驚いた。アレクシスが言葉を続ける。
「ハル、年寄りをあまり甘く見るんじゃないぞ。お前の考えていることくらい俺たちにも思いつくさ。人生の年期ってのが違うんだ」
「じゃあ、団長はもう二つ目のスキルを?」
「いや、持ってない。取れなかったというよりは取らなかったというのが正しいか」
「どうして……」
「悪いがそれには答えられん。他の参加者にはこのスキルの取得方法や内容を言っちゃいけない決まりになっているんだ。今回はお前が自分で調べた調査結果だから教えてやったが、答え合わせをしてやるのだって相当なグレーゾーンだ。正直冷や汗が出るぜ」
「そういうことだったんですか……」
「まあ、出張の名目は俺がどうにかして誤魔化しといてやるよ。準備が整ったら早いとこ出かけることだな。でかい仕事が入ったときにお前がいない方が困る。さっさと済ませてこい」
「はい、ありがとうございます!」
ハルが再び深々と頭を下げた。
……2週間の後。
全財産を懐に抱えたままの乗合馬車の旅は正直心臓に悪かったが、それはともかく。
ハルは、薄く雪の積もる北の町、リューニコスの土を踏んでいた。




