20 変わるもの、変わらないもの
「正直に言いましょう。昔のエルフ、まあ今の一部のエルフもそうですが、貴方たち人間『ヒューマン』を下らない存在と見ていました」
エミルが再び話し始める。
「寿命も短く、魔力も低い。唯一誇れるのはその馬鹿げた繁殖力だけ。特権階級である自分たちの手足となって雑事をこなして死んでいけばいい。そう考えていたエルフは多かったのですよ」
アレクシスが口を挟む。
「その態度を隠そうともしなかったお前たちにも問題があるぜ。人間との遣り取りではあからさまな上から目線だ。嫌味なやつを指す『耳長』って蔑称はずいぶん前からあったそうじゃないか」
「返す言葉もありませんが、やはりその呼び名は聞いて気持ちの良いものではありませんね」
エミルが答えた。
「だが人間には、何も持たない故の底知れぬ貪欲さがある。そしてその結果、自分たちは将来人間に駆逐されてしまうのではないか、と多くのエルフが気づき始めたのは、つい最近……ここ100年ほどの話です」
「人間がエルフを駆逐ですって?」
「ええ。先ほどの話でも出ましたが、基本的にエルフは『血を混ぜることによって損をする』種族です。それゆえに閉鎖的になる。だが人間にはそれがありません。エルフと交わろうがドワーフと交わろうが、その子供たちは皆長い寿命を得ることができる。何も持たないが故に、何をやっても得をする。それが人間の一番の強みなのです。ダークエルフの件で種族としての力を大きく損なっていたことに加え、この気づきはエルフにとって大きな転機となりました。結果的にエルフは、人類種の盟主であることを諦めたのですよ」
「どういうことです?」
ハルが尋ねる。
「一部の古老や昔の考え方を捨てられない者を除いて、森で崇め奉られる存在であり続けることを止め、森を出て人間社会の中に溶け込んでいったのです」
エミルのように傭兵をやっている者はさすがに珍しいらしい。
だが、魔法の能力や長年蓄えた知識を生かして政府の要職についている者もいるし、商人として成功し、莫大な資産を成した者もいるそうだ。
自治権を国から認められたエルフの都市もあるという。
「そういえば王都にも、エルフがまとまって住んでいる地区がありましたね」
王都のやや外れ、森の木々の伐採を最小限に抑えながら住居を建造し、エルフが集団で棲みついている場所があった。エルフの優れた薬師や治癒術師、魔道士、弓師などが数多くいるので訪れる人間は多い。地球における中華街のような感じだ。
「混血の方も、まあ男は女よりはいくぶん自由ですしね」
「あー、そういやお前、前に『イカロス亭』で店の姉ちゃん口説いてたな。結局首尾はどうなったんだ?」
ゴホン、と大きな咳払いをしたエミルがアレクシスの振った話題をそらそうとする。
「まあ、何かあればちゃんと責任は取りますよ。何かあれば、ね」
ふたりのやりとりを見ながらハルは考える。
かつて、人間とエルフはこのように冗談交じりに語り合うことはできなかったのだろう。
だが、きっかけは何であれ、エルフは変わることができた。
それは良かったことなのだと思う。
そして、ハルはポツリと言葉を漏らした。
「エルフが変われたのなら、ダークエルフも変われるかもしれませんね」
「無理です。いや、変わることなんて許さない」
急に表情を硬くしたエミルが即座に言い切った。
「先程も言いましたが、ダークエルフの連中はエルフを浚っては自分たちに取り込んでいきました。その被害を受けたものは数知れません。そう、私の親戚たちにもね……」
ハルは問題の重さを改めて痛感した。
そう、長年を生きるエルフにとって、人間にとっては歴史上の出来事であったとしても、昨日起きた出来事とそう違いはないのだ。
時間は憎しみや恨みを薄れさせてくれるかもしれない。
だが、1000年を生きるエルフがその恨みを忘れるには、一体どれほどの時間がかかるのだろうか。
「父方の叔父は剣の上手い人でした。だがそんな叔父も突然姿を消してそれっきりです。今でも理性を奪われて黒耳長の女相手に腰を振っているかもしれない。また母方の妹は幼い頃から将来を誓い合っていた許嫁をダークエルフに奪われた後、自ら首を吊りました……。そう考えるとあの黒耳長どもを絞め殺してやりたくなりますよ」
エミルの言葉に明らかなダークエルフの蔑称が混じった。本当に怒っているのだろう。
「私だけが特別、というわけではありません。エルフなら大抵誰でも、身近な人間をひとりやふたり、奴らに奪われています」
「……迂闊なことを言いました。すいません」
ハルが頭を下げる。
「ハルが悪いわけではありません、気にしないでください」
エミルが答えた。
「ですが、我々エルフにとってダークエルフは魔物と同じです。エルフを好んで食らう肉食獣のようなものですよ。ですから我々もそれなりの対応をしています」
「というと?」
「例えば、先程の依頼を受けたダークエルフが住んでいた『黒い木々』。あそこの統治者を名乗っていたヘンリック家ですが、国が認めた領主ではありません。あの森は王国の直轄地、そこに住みついた不法居住者という扱いなのですよ」
「え!?」
「あの森は深く、広い。開拓をしようにも金も時間もかかるし、リターンがそこまで望める場所ではない。だから放置されているのです。他にもダークエルフの大きな集落はいくつかありますが、国が正式に認めたダークエルフの領地というのはこの世界に存在しません」
実際、人間社会に溶け込もうとしたダークエルフもいなくはなかったらしい。
だがその願いを人間社会に溶け込んだエルフはことごとく潰していった。
ダークエルフの利になるような法律は芽の出る前に潰す、彼らが持ち込む魔物の素材を買い叩き、彼らに売る食糧には高値をつける。
そう動いているエルフは相当数いるらしい。
エルフたちのように人間の街に移り住んだダークエルフも、ろくな職には付けず、結局ハンターとして命を張る生活の果てに磨り潰されるか、スラムで夜を鬻ぐ商売につくか、それが関の山だそうだ。
「そこまでしているのですか」
「人間にとって、ダークエルフは直接害をもたらす存在ではありません。結果として対応も温くなる。だから私たちがやるのです。ですがもし、それであっても人間がダークエルフと手を結ぼうというのなら……」
エミルが少し黙り込んだ後、言った。
「それはエルフ抜きでやってください。私たちは一切関わりたくない」
ふたつの種族の壁の厚さを、ハルは改めて感じていた。
そしてふと考える。
これがエルフの考え方なら、ダークエルフの考え方はどうなのだろうか。
やはり昔のまま、自分たちの命を伸ばすためにエルフを利用しようとしているだけなのだろうか。
ハルの脳裏に、あの時のダークエルフの少女……ネリアの姿が浮かんだ。
※ ※ ※
ネラの森の岩山。そしてケイブトロールが巣としていた洞窟。
多くの死体はすでに片付かられた後だが、おぞましい死臭はまだ洞窟にこびりついている。
そこに、ネリアとアリアスの姿があった。
「棲みついたのがケイブトロールだったのが幸いでした。これが人間の盗賊だったら、あれに気付いていたかもしれません」
「そうですね」
アリアスに答えながら、ネリアは洞窟の最奥の飛び出た岩に手をかける。
「父上の方の交渉は、上手くいっていないのでしょうか?」
「そのようですね。やはり副宰相のルドガーの存在が痛い。彼は親エルフ派の最強硬ですから」
岩に添えた手に力を込めるネリア。
大きな音と主に、洞窟の悪に四角い通路が開く。隠し扉だ。
「どうやら無事なようですね」
「できれば、これを使うことなく話がまとまればいいのですが……」
ネリアは悲しげな顔で、布ををかけて保管されているそこにあるものを見つめていた。




