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明日飛ぶ鳥  作者: 安里優
第一章:せきれい
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8:ほのかの決意

 ランカは愉しんでいた。


 使命は既に果たした。あとは自由だ。

 たまたま他の二人とはぐれたのをいいことに、彼女は鶺鴒学園を観光してまわっている。なにしろ、里は珍しいものでいっぱいだ。


 だから、ランカは愉しんでいた。見知らぬ少女との喧嘩も。


 肩を狙って繰り出された蹴りを上腕で受け止める。

 相手の体勢が崩れたが、これは誘い。それにはのらずに、こちらも軸足を狙って切り下ろすように蹴りを放つ。

 上に跳ばれてよけられた。空色のスカートがふわりと浮き上がって、ギャラリーがわく。


「やるねえ、ちびっこ」

「ちびって言うなあっ」


 小さな体をひねっての裏拳。

 軽いとはいえ体重の乗った拳は手強い。

 自分から相手の懐に飛び込んで、拳ではなく肘の奥に肩先をぶつけて受け止める。


「ははっ」


 もつれあうのを嫌って飛びのいた二人は、距離を取って対峙した。

 じりじりとにらみ合い、息を整える、その間に、彼女はギャラリーを片目だけで見回した。


「里ものは物見高いなあ」


 だが、その人波の中に、夜光ハルの顔を見つけた途端、ランカの顔色は変わる。


「やばっ」


 思わず懐を押さえた。

 それを見て、ハルの顔が明るくなる。もみくちゃになりながら、人の間を抜けて、彼女に近づきはじめるハル。


「うわっ」


 ハルに気を取られすぎた。気づけば、少女は大地を蹴って砲弾のように彼女にむけて突っ込んできていた。


「くうっ」


 こりゃ、撥ね飛ばされるな、と覚悟を決めて、肚に力を込める。

 だが、その予想は外れた。

 彼女とほのかの間に割り込んだ影がある。


「莫迦っ」


 叫ぶなり、ほのかは急ブレーキをかける。しかし、もちろん、勢いのついた体は、そんなことで止まりはしない。

 つっこんできた影に横っ面をはたかれる形で、彼女の軌跡は大きく曲げられた。勢いをそのままに、パン屋に飛び込んでいく。


 これまたほのかにぶつかったせいではねとばされた影は、そのままランカにつっこんできて、思い切りその拳で大地にたたき落とされた。


「ふむ」


 とランカは目の前で伸びているハルと、パンの山にまみれてうごめいている少女を交互に見て、呟いた。


「逃げるが勝ち」


 彼女はさっさと逃げ出した。

 あとには、唖然とする人々と、あまりのことに硬直している店主だけが残された。



                    †



「うふっ」


 クリームとチーズとシロップとパン屑にまみれた顔に笑みの片鱗すら浮かべず、ほのかは奇妙な声をあげた。

 その足下ではハルがうめき声をあげている。


「お起きなさい、夜光君」


 感情のかけらも籠もっていない声をかけると、ハルは頭をふりふり起き上がってきた。

 動かずにいたら、蹴りの一つでもくらいかねない雰囲気である。


 ギャラリーはあまりのことに声もない。

 パン屋の店主だけは、なんだかもう諦めたのか、笑い顔だ。

 その中年女性に向きなおり、ほのかは言う。


「あとで、神月の家に被害金額を申請してくださいますか。いま手持ちがありませんの」


 あまりの迫力におどおどとした風情だったが、店主はにこやかに笑って言った。


「あ、ああ。いや、いいよ」

「え?」

「まあ、そもそもあのヘンな嬢ちゃんにあげてたのだって商売品だけど、あたしゃ金とるつもりはなかったからね。これだけ人寄せになったら充分価値はあるさ」

「それでは、私の気がおさまりません」


 あくまで言い張るほのかに、店主は苦笑して、じゃあ、と言った。


「あとで調べて、もし、什器が壊れてたら、それは言わせてもらうよ」


 ほのかはまだ言い返そうとしたが、それをやめて、頬に垂れてきたシロップを器用に舌先でなめとった。

 その様に、顔を赤らめてなぜかそっぽをむくハル。


「おいしいですわ」


 店主はあっけにとられたように目を見開き、ついで、破顔した。


「いい娘だねえ。今度ちゃんとしたパンをごちそうするよ」

「ええ、ぜひ」


 くるりと振り返る。そのぐちゃぐちゃの顔と衣服に、人々は失笑したが、ほのかは睨み付けることもなく、まだぼんやりしているらしいハルとまゆを連れて歩きだした。


「おねえさま、あの、これ……」


 まゆが差し出すハンカチを丁重に断り、自分の制服のポケットからハンカチを出し、べたべたの顔をぬぐう。


「ねえ、まゆさん。面白いとお思いにならない?」

「え? いや、あの、面白くはないです。おねえさま、こんな汚れちゃって……」


 まだハンカチを差し出すまゆの手から、にこやかにその布を受け取り、さらに汚れをぬぐいとってから、彼女は快活に応える。


「そう。まゆさんは面白くないのね。じゃあ、もっと面白くしないといけないわ。うん。そう。こんな面白いことはないってくらいに」


 丁寧にハンカチを四つに畳み、綺麗にして返しますね、と学生鞄の中にしまい込む。

 代わりに彼女は、四十センチほどのものを取り出した。朱色の漆塗りの表面が、なまめかしく輝く。


「お、お、お、おねえさま。それ、それ、それ、なんですか」

「あら、これ? これはね、相州伝源正行作と伝えられる短刀ですわ。私は朱雀と通称してますけれど」


 にっこりと微笑むその様に、二人は声もない。

 そして、彼女はまゆとハルにすら聞こえない小さい小さい声で、囁くのだった。二人は、けれど、聞こえないはずなのに、ぞっと背筋が凍りついた。

 彼女はこう言ったのだ。


「あいつ、ぶっ殺す」


 と。

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