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明日飛ぶ鳥  作者: 安里優
第一章:せきれい
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7:再びの邂逅

 ほのかお嬢様は、不機嫌だった。

 大好物のベルナションのガトー・プレジダンを差し出されたとしても無視してしまうくらいに不機嫌だった。


 左腕と頭に巻かれた包帯は鬱陶しかった。

 腰や背中や頬や足にはられた湿布は変な匂いがしていたし、体のあちこちは痛んでいた。


 しかし、淑女たるもの、そんなことで不快な気持ちを表に出すべきではない。

 だから、ほんのちょっぴり――よく見なくてはわからないくらいほんのちょっぴり眉をひそめることで、己の不興を表明するに留めていた。


 もちろん、脇を歩く夜光ハルに後れをとる事も許されない。一歩の大きさの違う彼に追いつこうと、ほのかは痛む体に鞭打った。

 頬に赤い手形をつけたハルは、こちらは不機嫌な顔を隠そうともせずに歩いている。


「それにしても災難でしたね」


 赤い眼鏡の後輩――まゆがなぐさめるように言う。

 彼女が倒れて以来、医務室の前でずっと待っていたというこの娘は、なぜかいまもほのか達についてきていた。

 彼女がほのかの悲鳴に驚いて医務室に殴り込んできたおかげで、ハルとほのかと三人で大騒ぎになったのだが、それはこの際おいておく。

 ちなみにその間、ルカ先生はまったく手を出すこともせず、にこにこと見守っていたりした。


 落ち着いたところで、ハルの方から『いっしょに三人娘を探そう』と申し出られたのはかなり意外だった。だが、それが神月の家の力をあてにしたものではなく、彼女の友人たちの力を頼りにしているのだとわかった時はさらに意外に思った。

 とにかく変な女を見かけた人間たちからの情報で、足どりをつかむのだという。


「お父様――学園長に頼めば、この街にいる限りすぐに捕まると思いますけど」


 そう言った時の動揺したハルの顔を思い出し、くすりと小さく笑うほのか。

 その笑みに気づいたのか、ハルがこちらを見つめるのがわかる。彼女はあえてその視線を無視し、しれっとした顔をまゆに向けた。


「たいしたことではありません。ああ、連絡は大丈夫?」

「はい、もちろん。ほのかおねえさまファンクラブはもとより、友人たちにも頼んでおきましたから」


 胸を張る。


「……ファンクラブ?」


 ハルとほのかのセリフが見事に唱和した。

 まゆは、ちょっと恥ずかしそうにしながら、それでも誇らしげに説明しはじめた。

「はい、鶺鴒学園初等部、中等部、高等部、そして、学部生、院生にいたるまで、ほのかおねえさまのファンクラブ要員、なんと7000名を数えます! それで、それでですね。あたしはファンクラブN0.8なんです。一桁です!」


 話しているうちに興奮しだしたのか、まゆは赤い眼鏡の奥で瞳をきらきら輝かせながら、ほのかににじりよる。

 幻のしっぽがぱたぱたと動くのが見えるかのようだ。


「ええと……」


 何と言っていいのやら、とほのかは額を抑える。まゆの向こう、ハルが背中を丸めて、口に手を当てているのが見える。

 何かを我慢するかのように歪んだ表情。


「神月、おまえ、人気ものなんだな。ぷ、くくく」

「な、なんで笑うのですかっ」


 その言葉についに我慢しきれなくなったハルは、大声で笑いはじめた。体を折りまげ、腹を押さえて笑い続ける。ほのかは頭を抱えたくなった。

 まゆはなにが起きたのかわからない様子で、笑い続けるハルと、複雑な顔をしているほのかを見比べる。


 そのまゆの眼が、はっと見開かれた。


「おねえさま、あれ……」


 震える声で彼女が指をあげ、その一点を指さした。いやな予感に包まれながら、ほのかはゆっくりと頭をめぐらし、その指の差す先を見た。

 商店の軒先に、わあわあと人垣ができあがっている。

 その真ん中で、大きなパンにかぶりついているのは、緋色の鉢巻きをしたあの少女。

 彼女は、店先に置かれたパンを、ものすごい勢いでたいらげていたのだった。



                    †



 表面がかりっと焼き上げられたほかほかのメロンパンが、三口で消えた。

 赤ワインの味をしみこませた生地にくるみとレーズンをまぶした長細いブレッドは、見る間にたいらげられた。

 フランスパンをスライスした上に、ハチミツとジンジャーを練り込んだバターをぬって焼き上げられたパンは、ぽんっと口に放り込まれた。

 オレンジピール、カレンズ、くるみ、そのほかの木の実をたくさん埋め込まれたライ麦パンは、端からかじりとられていった。

 もちもちとした食感と表面のざらつきが面白い、丸くてかわいいドーナツは、五個まとめて食べられた。


「お嬢ちゃん、全然勢いが落ちないねえ」


 商店の主だろう。中年のにこにこした女性が、少女の食べる様を愉快そうに眺めている。

 その目尻が緩みきって、まるで育ち盛りの子供を見守る母親のように見えた。


「食える、時に、食って、おかなきゃ、な」


 スイートコーンの甘みがほのかにきいた、大きな丸型のパンをもぐもぐとほおばりながら、ランカは動物的な笑みをこぼしながら応える。

 彼女はとんでもない早さでそこにあるものを片端からたいらげているというのに、食い散らかすということがなく、どれも心の底からうまそうにひたむきに食べきっている。


 店主もその笑みに応えて、今度はあつあつのとろけるチーズの乗ったパンを彼女にむけて放った。すかさずそれを受け取って、あちあち、と手の中でお手玉するランカ。


「……ずいぶん、愉しそうですこと」

「んぁ?」


 かぶりついたパンの中からも飛び出してくる少し辛味のついたチーズに気を取られつつ、少女は振り返る。振り返った先に誰もいないのに驚いて、ほんの少し上下を見回す。


「あ、いた」


 ランカの目線より少し下で、神月ほのかの顔は屈辱のためか、赤く染まりつつあった。


「くっ」

「なんだ、おまえ?」


 そっけない口調で言った途端、少女の頬がひきつった。

 ぴくり、と動きそうになった腕を押さえつけて、ほのかはゆっくりと息をつく。


「私、神月ほのかと申します。お名前をきいてもよろしい?」


 ギャラリーの中から、おおっと小さく声があがる。その人垣の中にハルがまぎれているのを、ランカは気づかない。


「あたし? あたしゃ、ランカだけど」


 そう言ってから、ランカはちらりとパンの数々に眼をやった。

 早くこの女を追いやって食べるのに戻りたい。そんな様子がありありとわかった。


「そう。ランカさん。ようやくお名前がわかって、うれしいわ。謝罪される相手の名前くらいわかっておきませんと」

「謝罪? あたし、あんたになんかしたっけ」


 ひくっと再び頬が動く。


「な、ん、か、した、ですって?」

「うん。ていうか、あんたの顔初めて見るし」


 無邪気に言うその顔を、ほのかは体中の忍耐という忍耐を総動員して睨み返すのだった。



                    †



「彼女が、その、泥棒さんなんですか?」


 まゆが声をひそめてハルに話しかけた。彼はほのかとランカのやりとりを、じっと見つめている。

 本当は彼自身が飛び出していきたいのだが、ハルの顔を見たらその途端に逃げ出すだろうことは間違いない。

 ここは私がとほのかに言われてなんとか我慢しているのだ。


「ああ、その一人だね。なんとか捕まえられれば……」


 他の二人はどこにいるのだろう?

 ハルは考える。


 友人たちからの返信はまだ入ってこない。昼すぎまでに見たという話はいくつか来ていたが、それでは意味がない。

 あの目立つ姿だ。

 それなりに人目をひいているのだろうが、夕方の街はせわしい。早く仕事を切り上げようとしている者も、あるいはこれから遊びに出ていこうとする者も、自分のことで手一杯なのだろう。


「そっちはなんかある?」


 二人のやり取りを見ているのも気がつまり、まゆに尋ねる。

 彼女はスマホを取り出すと、どこかにアクセスしはじめた。たぶん、例のファンクラブのグループだろう。


「あ、この商店街で見かけたって話は出てますね。でも、たぶん、あの娘のことだろうし……。他は、たしかなのは……」

「そっか。まあ、一人見つけたんだし、彼女をまずは……」


 そう言いかけた時、ざわっと人波が揺れた。

 あわてて眼を二人に戻したとき、そこでは、ほのかがランカの横面を見事に平手打ちしているところだった。

 ハルは思わず、自分の頬を押さえていた。

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