4:ふたつの化け物
ほのかとハルの顔が疑問符でいっぱいになる。
リンカは言いにくそうにごろりと体をころがして、彼らの視線に背中を向けた。
「私たちは三人で一人」
「……どういうことかしら?」
リンカの語り口はそれまでとは明らかに違った。まるで、どこかに書かれたセリフを棒読みで読みあげているような。
「私たちは、何もかも共有している。感覚も、意識も、記憶も。普段はそれぞれの体にそれぞれのパーソナリティを割り振って擬似的に多重人格を装っているようなもの。本当は、体が三つあっても、人格はひとつだけ」
その口調が、自分を護るためのものであることは明白だった。
嘘ではない。
本当のことを全て話したというわけでもなかろうが、大筋で嘘は言っていないのだと、二人は確信した。確信してしまった。
「それって……」
「別に信じてもらわなくてもいいんですけどぉ」
それはたしかにリンカの口から出た言葉のはずだった。
しかし、その口調、雰囲気、タイミングのとりかた、肩の動きかたなど、全てがレンカのものだった。
真似とかいうレベルではけしてなかった。
「ま、そんなわけで、こっちも忙しいからよ。あんたら、はやく逃げてくれっか。1kmも離れりゃ人死にもでねえ」
今度はランカ。ひょいと肩をすくめるのもそのままに。
姉妹だから、という事象を遥かに超えていた。
ハルの背筋に戦慄が走る。
死を呼ぶ粘液質の化け物がいる。
そして、ここにも化け物がいる。
人の形をしていたとしても、心が人の形をしていないとしたら、それは化け物ではなかろうか。
三つの体を操る不気味ななにかの姿を、彼は妄想した。六つの腕、六つの足、そして、三つの顔を持つ、魔物の姿を。
「つまり、一人が残っていれば、死なずにすむわけ? 便利ですわね」
「そうではなく、離れた体のほうへ一度退避する。近場に三人いたら、誘惑に打ち勝てない可能性も高い。実際、いまはそれで三体同時に操れていない」
「そうなの? それはちょっとだけ不便ね。でも、人の三倍勉強できるし働けるなんて。あ、まずは体を移動させておいたほうがいいですわね」
怖気をふるうハルとは対照的に、ほのかはごく平然と受け止めているようだった。
そのことに、ハルは戸惑いよりも恐怖を覚えた。
彼女はわかっていないのではないか?
自らが話しかけている相手が人間ではないということを。
「お、おい、神月」
「何?」
「何、じゃなくて、そんなの……」
気持ち悪いじゃないか。
そう言いそうになって、危うく口をつぐんだ。
さすがに目の前でそれを言うには憚られたのだ。リンカには見えてもいないだろう。
だが、ほのかのほうはあからさまに不快な顔をした。
「薄情者」
「薄情とかそういう……」
ほのかは構わず会話を続ける。
「それであの化け物をやっつけるのに協力というのはできないものかしら」
「それは……いや、なんでもない」
ちらっとリンカは体を戻しハルを見た。
なんだ? なにを言いたいというのだ?
いぶかしむハルに、リンカはなにも告げようとはしない。
「夜光君ならできるのね?」
「……月の刀なら、と言うべき。あれは我が一族の宝刀。そして、夜光ハルは、我が民の巫女の血をひいている」
「なんだって?」
そんなのは初耳だぞ。あの人――母さんが巫女だったっていうのか?
「あら、複雑な血縁関係をお持ちのようね、夜光君は」
横目で睨まれる。
その視線に含まれる意図をハルはあえて無視した。それよりもひとの出生の秘密をそんな簡単にすまさないでほしいものだ。
「ぼ、僕はいやだ」
そうだ、厭だ。あんな化け物も、こんな化け物女も。
彼は拒絶した。
自分にとって大事なものは、なによりも自分だ。
この、生命だ。
本当に?
そう、本当に。
「また逃げるの。夜光……いえ、神月玻璃」
その言葉に、ハルは今日はもう感じることもないだろうと思っていた衝撃を受けずにはいられなかった。
ほのかはまっすぐに、ひたすらまっすぐに、この街の道路のようにまっすぐに、彼のことを見つめていた。
「……知っていたのか」
「ええ、知ってますわ。玻璃おにいさま。おにいさまのおかげで、私、あの東京魔海の貧民窟から抜け出せたのですわ。それはもう感謝していますのよ……」
満面の笑みで、ほのかは手を広げた。
長く別れていた肉親との再会を祝うように、彼女は大きく手を広げ、ハルの近くに寄っていった。
その手が抱擁するかのように彼の肩にかかったと思うと、唐突に頬をはたいた。
茫然と見つめるハルに、鋭い、粗野とも言える視線を向けて、ほのかは言い放った。
「とでも言うと思った? いとこのはとこのまたいとこ殿。あんたのおかげであたしゃ、パクリもタタキもコロシもハガシもしないで済むようになったさ。ああ、ありがたやありがたや。飯も食えれば綺麗な服も着れらあ。そのためなら、あんたのスペアくらい、喜んで務めてやるさ」
普段とはまるっきり違う鉄火な口調。
しかし、それは、けして不自然なものではなかった。
それまでのお嬢様の姿をまるっきり脱ぎ捨てたような目の光、皮肉げな笑み、全てが彼女の中で調和していた。
だが、そこで一度言葉を切った時、彼女の顔に浮かんでいたのは、それまでとはまた違う感情だった。
それを、ハルはよく知っていた。何度も何度も見た顔だ。毎朝毎晩、鏡を覗き込むたびに対面してきた顔。
理不尽への憎悪という挑戦。