1:学園祭!
それは、一言で言うなれば、混沌そのものだった。
学園祭!
物売りがいた。道化がいた。整理に奔走する自治会の腕章を着けた人間が、軽業師が、文人が、大道芸人が、呼び込みが、探偵が、記者が、そこに、そこに、そこにいた。
学園祭!
銅鑼が鳴り、ファンファーレが響き、整然たる行進の足音が通りすぎ、大男の吹く炎の燃え盛る音がした。
学園祭!
焼き芋の香ばしい香りがして、ゆであげられたモロコシの香りがそれにまざる。甘い甘い砂糖菓子は歯を痛くするほどの。ワインの芳醇さは、チョコレートのとろける甘さと混ざり合い、そこに焼きそばの粗野で強烈な匂いが殴り込む。
学園祭!
花火が上がり、ストロボがたかれ、電飾がきらめき、妖しいブラックライトの下で蛍光が踊る。影が通りすぎ、炎が燃え上がり、陽光が水面にきらめく。
学園祭、学園祭!
そう、それは紛れもなく祭りであった。
屋台があり、大道芸があり、ロボットの展示即売会があり、弓道部の遠当てがあり、トリックアートがあり……。
その中に、カジノがあった。
カジノ?
そう、カジノだ。
チップが飛び交い、カードとダイスが輪舞を踊る。
ディーラーたちの微笑みと、客たちの焦燥が絡み合い、再びチップが舞い踊る。
そこは、外界とは隔絶した一つの宇宙だった。
その宇宙の中を、泳ぐように動き回るのは、ぴったりと肌にすいつき、体の線を露わにする黒のレオタードにウサギの耳をつけた――ごくたまに猫耳がいた――バニーガール。
世界を支える柱のごとく、堂々とそれぞれの卓の前に立つのはディーラーたち。客たちは、入場の際に手渡されたマントの下にちぐはぐな格好を隠したまま、優雅にチップを弄ぶ。
それが、それこそが、ほのかたち、二年幻月組の催すものであった。
†
カジノの客の数は常にぴったり100人。
チップが無くなれば退場、代わりに並んでいた客が数枚のチップを渡されて入場する。
そして、チップが100枚を超えると、奥の小部屋へと招待されることになっていた。
ただし、100枚分は自動的に没収され、新しいチップを渡されることとなる。それもあって、招きに応じる客は少ない。
なにしろチップは学食の食券と交換できるのだ。
それはつまり学園の中に限ってはほぼ金銭と変わりなく流通することを意味する。
みすみすそれを捨ててまで、いかがわしい『小部屋』とやらに籠もろうという客は少ない。
「なあ」
「ん?」
その小部屋でぱらぱらとカードを繰っていたハルに、真っ赤なエナメルのバニー姿のランカが話しかける。
ランカのバニースーツは他の女子のようにお仕着せではなく、ほのかが無理矢理つくらせたものだから、体のラインにぴったりあいすぎていて煽情的にすぎる。
ハルはそう思っていた。
彼は他のディーラーと同じくウェストコート姿だが、そのウェストコートの模様がすごい。
一面を覆う格子模様のどれもが違う色合いを持っていて、しかも全体としてみれば、うるさく感じられないという不思議なデザインだった。その胸には、
道化師――Jokerのマークが刻印されている。
「大丈夫なのかよ。こっちの部屋」
ひょこひょこ頭の上の耳を動かして見回しても、部屋の中にはたったの5人しか客がいない。
その5人はバニーたちにちやほやされて愉しそうに賭けに興じている。
チップは行き交いしているが、もっぱら客たちの間をぐるぐる回っているだけのように見えた。
「大丈夫。時間はあるしね。物見高い連中はなんとしてもやってくるさ。なにしろ、食券100枚。それに見合うだけのものがなんなのか、確かめるためだけでもね」
それに、この学園には物見高い生徒はあふれてるんだよ、とハルは笑いかけた。他のなにものよりも。
「そんなもんかねえ」
「ああ、そんなものさ、それよりさ……」
ハルは少し言いよどんだ。この間の夜のことをどう切り出そうか迷ったのだ。
その時、ほのかの声がかかった。
「ちょっときてくださる? ランカさん。リンカさんとレンカさんはもうこちらに来てるから」
バックヤードにつながるカーテンの脇で、真紅のウェストコートのほのかが呼んでいる。
彼女の胸に輝くのはQueen of Heart。
ランカは、なれないヒールに苦戦しながらとてとてとそちらへ向かった。かわいらしいお尻でぼんぼんがゆれている。
「何でれーっとしてんだ、お前」
「あ、いや、うん、えっと、なんだい汀」
彼は軽く頭をふって、友人に向き直った。
†
「何?」
カーテンをくぐり抜けると、途端に雑然とした空間に入り込む。
作業着姿の学生が、故障した道具を応急修理していたり、ディーラー姿の学生が首に食い込むカラーを億劫そうにいじったり、バニー姿の女生徒が、化粧の具合を気にしていたり。
それは、カジノの中を美しい宇宙として保つための、舞台裏。
きっと、どんな宇宙でもこんな楽屋裏があるのだろう。
ほのかはそう思っている。
整然とした宇宙の法則を行き渡らせるために、裏で駆け回っている人物が、どこかにいるはずなのだ。
そんな裏方と、表舞台に立つ人間の、どちらにもなりたいと思っている私は、実にわがままだ。
そんなことを彼女は思っている。
「用事というより、あなた方に糺しておきたいことがあります」
妄念を一瞬で振り払い、ひたと正面から三姉妹を見据えるほのか。
瞬間、ほのかの小柄な体が何倍にも膨れ上がったように見えて、三姉妹は眉をぴくりとあげる。
「だから、なんだよ」
「例の件、やはりあなた方がなにか関与してらっしゃるのでしょう?」
それは、疑問の形をとってはいても明らかな断定だった。
以前のように頼りない証拠をつきつけて、口をすべらせることを期待したりもしない。
ただ、確信を淡々と述べているだけのこと。
「例のって」
「あれはだな」
「……」
うろたえる三人を見て、ほのかは、薄く笑う。
「ううん。いいの」
三人のうちで反論しようとする二人を押しとどめ、ほのかは言葉を続ける。
「何もあなたたちが、あの……なんて言うのかしら。連続自殺? それを引き起こしているというのじゃあありません。ただ、なにか知っている。そうなんでしょう?」
沈黙。
けれど、それは彼女たちがそう感じているだけだ。まわりでは、夢の空間を演出するために、仲間たちが準備や後始末に余念がない。
「なんでそう思う?」
しばらくたってから、ランカが思い出したかのようにそう呟いた。
注意していなかったら周囲の騒ぎにまぎれてしまうくらいの小さな声で。
「あなたがたの姿が、いろいろなところで目撃されてますもの。私個人が動かなくても、いろいろと手はあるものよ」
「そうか」
あっけないほどあっさりと、ランカは肩をすくめて返した。
「たしかにあたしらは、連続する自殺を追ってるよ」
やっぱり、という顔で彼女はうなずく。
「あなたがたの目撃例と、不審火の発生が一致していますけれど、これは? あまり家屋は焼けていませんけれど、工場が焼けて10人が焼死体でみつかったりしています」
一拍置いて、彼女は問うた。
「殺したの?」
彼女はお得意の朱雀を抜いていない。触ってもいない。
けれど、その言葉は、三姉妹の体にたしかに鋭く切っ先をつきつけていた。
「殺したのなら、私、あなたがたを殺さなきゃいけないの」
刃の上にいるような緊張感の中で、リンカがゆっくりと、ごくゆっくりと言った。
「助けようとして、間に合わなかったのも殺したというのなら。ならば、私たちも断罪されるベきだろう」
「それについて話してくれる気には……ならないものかしら?」
探るように言う。
それは、大事なものをこわしてしまいそうで、ためらいがちに玩具箱を探る少女の姿を思わせた。
三姉妹はしばらく眼で会話している様子だったが、ひょいと再び肩をすくめてみせた。
「いまはだめだ」
「わかりました」
「いいのかい?」
あまりのあっさりとした返答に拍子抜けする。
「いまは、ということはいずれ話してもらえるでしょうからね。ただ、ひとつだけ」
そこまで言うと、ほのかは再び目を伏せた。今度はためらうというよりは、畏れに近い表情が、顔をよぎる。
「おに……いえ、夜光君はそれに関わっているの?」
答えはなかった。それこそが明白な答えであった。