6:時は前にしか進まない
「あ、学校といえば、この時間にここにいるなんて、学校はどうしたの、ほのかくん?」
「学園祭の準備期間ですのよ」
そっけなくいうほのかに、父のほうは納得したようにうなずく。しばらく二人は静かに周囲を眺めながらお茶を愉しむ。
「おとうさま?」
先に沈黙に耐えられなくなったのは、若いほのかのほうだった。
「私になにかお話したいことがおありなんじゃありません?」
ばれたかという風に舌を出す鏡。
彼はしばらくためらったあとでおずおずと切り出した。
「海京がさ、来月落成するんだよ」
「海京……東京魔海のあれが……」
その言葉に、ほのかは複雑そうな表情を浮かべた。
「そう。それでね。最終段階で変なことが起きないよう、僕が現地に飛ぶことになって。しばらくはここを留守にすると思う」
「変なこと、ね」
あからさまに敵意を込めた口調。
自分でも驚くほどきついそれに、ほのかも驚いたような顔つきになる。
父親のほうは傷ついたようなもうしわけないような情けない顔になり、それを見た彼女の胸にも、ちくりと痛みが走る。
「ほのかくん、僕は……」
「待って、おとうさま」
うなだれる父の言葉に割り込んで、彼女は真剣な眼で彼を見つめた。
「おとうさま。私、おとうさまを責めるつもりはありません。個人的にはおとうさまのこと……大好きです」
その言葉はとても優しく、そして同時にとても苦しげだった。顔に浮かぶのも泣きそうな、それでいて魅惑的な笑み。
「けれど、許せないことというのも、やはりあるのです」
沈黙。
今度はそれを破ったのは父親のほうだった。
「うん、そうだね。ありがとう、ほのかくん」
「べ、べつにありがとうなんてっ」
ぼっ、と音が聞こえるように赤くなるほのか。それを好ましげに見つめて、彼は相変わらず申し訳なさそうに彼女に告げる。
「まあ、そんなわけだから、しばらくはここにも近づかないでおくれ」
「わかりました。おとうさまはともかく、他のご親戚と顔をあわせるのは趣味じゃありませんもの」
冷たく言い放つ彼女に苦笑で応えておいて、彼は思い出したかのように呟いた。
「そうそう、親戚といえば、彼とは仲良くやっているようじゃないか」
「な、な、何をおっしゃってるの」
さっきよりさらに赤く染まって、慌てふためく。
驚いたことに、カップを持つ指が震えて、紅茶がテーブルの上にこぼれていることにも気づいていない様子だ。
「あれ、違ったかな。なにか同じ委員になってるとか聞いたんだけど」
「た、確かに、い、委員は同じですけれど。それは別に仲良いということでは……あ、いえ、仲が悪いとか嫌っているとかいうことではなくてですね……」
わけのわからないことを言い募るほのかに、当初はあっけにとられていた彼は、段々と理解の色を顔に浮かべはじめる。
「ええ、そう、別に評価しないってわけでもありませんのよ。彼はなかなか頭が回ることもありますしね。
そう、この間、考古学のフィールドワークの見学の時も、なかなか頼りになりましたわね。結局、私の案が採用されたのですけれど、彼の提案も、まあ、見るところはありましたのよ。
これは以前のことですけど、空間芸術の授業ではなかなか前衛的なものを作り上げていましたわ。あのセンスは正直私には真似できないかもしれませんね。もちろん、あまりに前衛的すぎて他の方々に伝わらない部分が多かったというのは……。
って何がおかしいんですか、おとうさま」
くっくっく、と肩を震わせる男を奇妙な目で見返して、ようやくのように彼女は言葉を切る。
「ああ、いや、愉しんでるみたいだなあ、と思ってね」
「……? 学園生活は愉しいですわよ?」
何をいきなり言っているのだろう、と小首をかしげる。鏡は笑いを無理矢理押さえ込んで、なんとか平静に返す。
「まあ、義理とはいえ兄妹だ、仲良くしてやってくれ」
「……おとうさまの仰せの通りに」
不承不承、といった風情で彼女はうなずく。仲よくする云々よりも、なぜ父が笑っていたのかのほうが気にかかった。
「いつか、『おにいさま』って呼んで嫌がらせしてやるつもりですの」
「……案外いやがらないと思うけどな」
子を慈しむ親の顔で、彼は言う。
なんだかその表情が悔しくて、ほのかは無理矢理話を変えた。
「ああ、ところでおとうさま。うちのクラスが学園祭に出ようとするのを妨害する動きが一部の教職員にあるようですの。……小山内さんの件で」
暝い表情。
泣きそうな娘を抱きしめてやりたい衝動に、彼はなんとか耐えた。そんなことをすれば、この誇り高い娘が反発することはよくわかっていたのだ。
「それは筋違いだな。教頭に抗議しておこう」
「ありがとうございます。……でも、それにしても、自殺……増えてますわ。おとうさまのほうでは、なにか原因がつかめまして?」
娘の真剣な様子に、鏡は胸をつかれる。そんな声をこんな幼い娘に出させてはいけないというのに。
「ん……。いや、僕も頭を痛めている。もちろん、対策はきちんとたてているし、いろいろとやっている。だから、あまりほのかくんは気にしないでほしい。暝い雰囲気に呑まれないことも大事だよ」
その口調は、天井から差し込む陽光のように暖かく、ほのかは自らの気負いをのぞきこまれたような気がして、小さくこくりとうなずくのが精一杯だった。
「うん。僕もさらに真剣に取り組むよ。……ほのかくん、今日は夕飯もいっしょにとれるのかな?」
「ええ、おとうさまに時間がおありなら」
ほがらかに応えながら、彼女は心の中で父に反駁していた。
でもね、おとうさま。
彼らに時間はないんです。もう、時間はないんです。
いま、このときも、誰かが泣いているんです。
誰かが死んでいるんです。
誰かが誰かに殺されているんです。
私は、それを忘れることなど出来はしないのです。
一時たりとも。




