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明日飛ぶ鳥  作者: 安里優
第四章:準備と予兆
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5:待ち望まれる帰還

「学園祭前だからって無理すると、当日愉しめないわよー」

「はい、すいません……」


 貧血で倒れた学生への点滴を終えて、ルカ先生は優しい口調で諭す。

 少し血色が戻った顔で照れ笑いをしながら出て行く彼女を見送って、ふと横を向いた。


「ねえ、夜光君?」

「なんですか、ルカ先生」


 カリカリと書類記入をしていたハルが顔も上げずに聞き返した。


「あのね、なんで医務室に会議机が運び込まれてるのかな?」


 その問いに本当に不思議そうに小首をかしげるハル。その表情にわざとらしさやからかっている様子など微塵も無い。


「机が無ければ仕事ができないからですよ?」


 大きな机には、幾人もの生徒達がはりついている。

 書類を書いている者、なにかの設計図らしきものに取り組んでいる者、受話器になにかを話しかけている者、様々だ。


「う、うん、たしかにそうなんだけどぉ」


 だからって、なんで医務室に電話線を何本もひいたり、何人もが一日中詰めたりしているのだろう、とルカは本気で疑問に思った。


「迷惑……ですか?」


 ペンを走らせる手を止めて、ハルは親に見放された小鳥のような表情で彼女を見上げた。

 うっと息を詰まらせるルカ。


「め、迷惑ってわけじゃなくてね、夜光君……」

「そうですよね。ええ、本当に迷惑だってのはわかっているんです。出ていったほうがいいですよね。でも、僕たち、ルカ先生に追い出されたら、もう……」


 軽く目を伏せて、ハルはメランコリックに表情を曇らせる。


「こ、こういうのルカ先生弱いのよね……」


 切なげな、それでいて芯の強さを感じさせずにはいられない横顔を、ルカはうっとりと見つめる。

 彼はけして目を見張るほどの美少年というわけでもないが、少年らしいやわらかさや、壊れそうな硬さはその表情にもよく現れている。

 ルカにしてみれば、充分にかわいらしい少年と思えるのだ。


 それになにより、よくよくその顔のつくりを観察してみれば、この学園でも名高いあの少女との類似を見いださずにはいられない。

 どうして他の人はこの二人の血のつながりを疑わないのか、ルカは常々疑問に思っていた。


「う、うん。ルカ先生も応援してるの。ただ、具合の悪い人が出たときは、邪魔にならないようにさえしてくれれば……」


 悲しそうな顔をなんとかしてやりたくて、ついそう言ってしまう。

 ぱあっと明るくなったハルの笑顔についつられて、ルカも微笑んでしまう。


「もちろんですとも! 人手がほしければ、いつでも言いつけてください! 僕たちもちゃんとお手伝いしますから……ん?」


 ちょいちょい、と他の学生に肩をつつかれて、勢い込んでルカに詰め寄っていたハルはほがらかな顔のまま振り向いた。


「すいません、公安がなんだかごねはじめて……」


 おろおろと動揺した素振りの少女から受話器を受け取り、ハルは明るい声でそれに対応しはじめた。


「はい、変わりました。開催委員の夜光で……いえ、はい。ええ、それは……ちょ、ちょっと待ってください。それは港湾委員会と既に……。え? 責任者を出せ? ですから、私が開催委員で……」


 わめきちらしている声が受話器と耳の間から漏れて、ルカの耳にも入ってくる。ハルはすうっと大きく息を吸うとそれまでとは明らかにちがう声音で言葉を吐く。


「よろしい。自治会に持ち込みましょう。なんだって? そっちが言い出したんだろう。こっちは、別に手間とも思わないから。そう、何? 神月がどうしたって? いつ彼女が横車を押したというんだ? ふざけたことを言うと、こちらとしても考えがあるぞ。神月に本当に横車を押させてもいいんだな?」


 エスカレートしていく彼の口調は、先程までの殊勝な様子は微塵もない。

 ますますヒートアップして受話器に怒鳴りつける彼を見つめて、ルカは小さく溜め息をついた。


「神月さん……早く戻ってきてぇ」


 ルカはもう一度彼のほうを見やり、その必死な表情に再び溜め息をもらすしかないのだった。



                    †



「やっぱり……」


 次々に浮かび上がるいくつものデータを見やり、ほのかは確信をこめてうなずいた。

 彼女の体が沈み込んでしまうほどの大きな椅子に座り、掌を包み込むグローブインターフェイスを操作して、270度ほどに広がった浮遊ディスプレイ上の図形やデータを次々に読み取っては新しいものを開いてゆく。


「何がやっぱりなのかな、お嬢さん」


 ディスプレイの中からぬっと人の頭が突き出てきた。空間に投影されていたディスプレイが、その男の体で乱されて、虫の鳴くようなか細い音を立てた。


「お、おとうさま!」


 色とりどりのグラフの間から首を突きだした精悍な四十絡みの男を見上げ、ほのかは目をまん丸に見開いて大きな声をあげた。

 本当に驚いた証に、かわいらしいドレスを着けた体が、ぴょこんと跳ね上がる。


「やあ、ほのかくん、ひさしぶり」


 そう言って、神月鏡――この街の市長にして学園理事長――つまりはこの街で最も有名で、最も力ある男は、人懐っこい笑みを見せた。


 きらきらとクリスタルのように輝く硝子――ほのかには見分けがつかないけれど、あるいは似たような違う物質かもしれない――の天井から降る午後の陽光の下、ちち、ちちちと鳴き交わし、鳥たちが飛んでゆく。

 木立の隙間から見えるそんな光景を見上げ、まるでどこかの温室みたい、といつも浮かべる感慨を再び抱いた。


 周囲に生える植物たちの、森といっても文句が出なさそうな濃さも、その印象をさらに強めてくれる。

 あるいは、大きな大きな鳥籠かしらね。


「本当にひさしぶりだね、こんなにゆっくりできるのは」


 銀の重たげなポットから琥珀色に輝くあたたかな液体を白磁のカップに注ぎながら、鏡はのんびりと言った。


「おとうさま、お忙しいんですもの」


 心地よい香りを胸いっぱいに吸い込んで、彼女はアールグレイを口に含む。

 舌に広がるさわやかな味から、W&Mかな、と推測を働かせる。


「そうかなぁ。ほのかくんがこの家に居ついてくれないからだと、僕は思うんだけれど」


 自分で入れたお茶を傾ける鏡。

『家』ねえ……。

 ほのかは心の中で呆れたような声をあげた。

 林の中にしつらえられた、ふかふかの芝生で覆われた広場と天然木のテーブル、ここまではいい。

 広い敷地を持つなら、庭をこんな風に仕立てるくらいの贅沢は許されるだろう。ヴィクトリア朝の貴族なら、こんな庭はいくらも持っていたはずだ。


 しかし、彼らに出来ないことを、この男はやりとげている、と彼女は目の前でにこにこと顔をほころばせている『父』を見つめた。

 庭を造ることと、それを高度1000mまで持ち上げるのでは次元が違う。


 庭だけではない。

 巨大な館を守るように広がる森、小高い丘から流れる川、農夫たちが耕す田園。それはひとつの完結した世界だ。

 閉鎖した宇宙、隔絶された環境。それを、彼は地上1000mの高みにつくりあげた。


 閉鎖性と完全性。

 それが建築家神月鏡の設計の神髄だと評されているのは有名な話。

 せきれい市、鶺鴒学園、浮遊宮、空中邸宅。そのどれもが小宇宙をつくりあげ、入れ子状にさらに小世界をはらむ。


 バビロン。

 そんな単語が不意に彼女の心の中に浮かび上がる。

 不遜にも神のおわすところまでたどりつこうと塔を建てたそれか、それとも、沙漠の只中で、水と緑の楽園をきずきあげたそれか。

 どちらでもあり、どちらでもない気がした。


 ただ、いつか崩れることを約束された楽園のイメージが、彼女の中でふくれあがる。

 あるはずのない楽園、欺瞞によって築き上げられた偽りの世界。

 そんなイメージの奔流を思考から押しやり、さりげない顔つきで彼女は返す。


「通学が大変なんですもの」


 高いところもキライですし。と小さく付け加える。それを聞いて小さく笑う父。


「セスナを飛ばせばいい。毎朝僕が送ってあげよう」


 それを聞いた途端、ほのかの顔がぴきりと固まり、ティーカップがかたかたとゆれはじめた。


「ぜ、ぜぜ、ぜっっったい厭です!」

「おやおや、まだ怖いのかな。飛行機なんてものは……」

「その呪われた単語を私の前でお使いにならないで!」


 かちゃん、と音をたててカップをソーサーに叩きつけるように置く彼女を見て、鏡はうひゃあっとわざとらしく肩をすくめるのだった。

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