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明日飛ぶ鳥  作者: 安里優
第四章:準備と予兆
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1:彼女は木暗の中

 ハルの日常は唐突に激変した。連日に渡る折衝につぐ折衝。クラス内の担当の割り振り。許可を得るための各部局まわり等々。

 ひたすらに学園祭のために走り回った。


「しっかし、こんなのよく書くな」


 ハルは増える一方の『学園祭計画書』ファイルをぱらぱらめくりながら呟いた。

 既にその厚みは5cmを優に越えている。

 向かい側でその計画書の改訂版を書いていたほのかが顔をあげ、ふんっと鼻を鳴らした。


「どうせ、たいしたことない、とか思ってらっしゃるんでしょ」

「いや、そんなことあるもんか」


 これは本心だ。

 1000ページを越える計画書をつくる必要があるかどうかはともかく、計画自体は緻密でよく考えられていると思う。

 いや、よくできすぎていて、ほのかの完成予想に近づけるために他の人間が必死で作業しているのが現状だ。

 その遅れを取り戻すために、さらにほのかはせっせと改定文書を書いては各所に配っているのだ。


 今日も部屋の外はとっぷりと暮れている。実作業はとりあえず終了し、残った事務をほのか、ハル、それに五人の男女でやっつけているところだ。

 その中には、汀や久隅の姿もある。

 ハルが無理矢理働かせているのだ。

 そうでもしないと、ほのか派閥が大きすぎて息苦しい。


「夜光君、最初からケチつけてばっかだよねー」


 ほのかの横に座っている小山内おさない京子きょうこがからかうように言う。


「いや、そんなことはないんだけど」


 苦笑しつつ答える。たしかに、ほのかの側から見れば、そう見えるのかもしれない。


「夜光はそれなりによくやってると思うけどなあ」


 久隅がぼそりと独り言のように言う。

 計画をたてるのはほのか、実働を指揮するのはハルという役割分担でやってきている。

 進捗は遅れているにせよ、飽きっぽい学生を百人単位で動かすのだから仕方のないレベルと言えた。

 それを久隅はきちんと評価しているのだった。


「だってさー」

「計画がだめだとかいってるわけじゃない。ただ、よくやるな、と言ってるだけだろ?」

「そりゃそうだけど、っていうか、それを久隅が言うことないんじゃないの」

「じゃあ、神月じゃなくておまえが言うこともないんじゃないのか、小山内」

「口げんかはやめよー。ねえ、やめよー」


 泣きそうな声でレンカが言うと、部屋は苦笑であふれた。

 別にみな、喧嘩がしたいわけではないのだ。顔を見合わせ微笑みあうと、仕事に戻る一同。

 ただ一人、リンカだけが最初から最後まで黙々と書類を処理していた。


「遅くなっちゃったなあ」


 小山内京子は家路を急いでいた。時間は九時をとうに回っている。

 慣れない仕事は疲れはするが、みなで遅くまで作業をするなんてなかなかないことだし、うきうきすることも否定できない。

 ただ、京子はみなと違って寮に住んでいるわけではない。


 だから、あまり遅くなれないのだ。

 その上、家は『壁の外』――市街にあるために、路面電車も走っていない。

 地下鉄の駅からそれなりに歩かなくてはいけないのは、京子にとってはつらいことだった。


「あれがなければなあ……」


 ちらっと見やる視線の先に、こんもりとした森がある。

 開発から取り残され、住宅街のなかにぽつんと存在する森は、昼間はともかく夜はあまりにも不気味だ。


「えーい、今夜は近道だ」


 そう言って、普段は折れない角を曲がる。

 この通りを進めば、家へは一直線。けれど、それは、森の中を通るということでもある。

 しかし、今日は怖いという思いよりも、はやく家に帰り着きたいという欲求のほうが強かった。


 なんといっても育ち盛りの少女。

 おなかが、くーくーと強く自己主張していたのだ。

 そうして、京子は森の中をゆく。

 そうして、少女は闇をゆく。

 けして森の外には出てこなかったけれど。



                    †



「やっぱりこりゃ、たいしたもんだよ」


 再びぱらぱらとファイルをめくる。今度もほのかはふんと鼻を鳴らしたが、今度のそれは、まんざらでもなさそうだった。


 もう教室には彼とほのか、それにリンカとレンカの二人しかいない。

 他のメンバーは9時前に帰らせたのだ。

 ただし、二人は港湾委員会との会談のために残らざるをえなかった。


 レンカ、リンカがなぜ残っているのかは、ハルにはわからない。

 まあ、二人きりよりは息が詰まらないのでありがたいのだけど。


「そういえば、もう一人はどうしたの?」

「あ、ランカちゃんはですねえ……」


 ほのかの疑念に答えようとしたとき、戸がひどい勢いで開いた。


「小山内さん、いる?」


 声といっしょにすべりこんでくる白衣の女医。

 普段にはない真剣な声に、教室の空気が緊張した。


「他のみんなは、9時前に帰りましたけど……」


 時計の針は11時を指している。もう二時間も前のことだ。


「どうしたんですか、ルカ先生」


 その答えに困惑したように、ルカは顔を曇らせる。


「まだ家についてないらしいの。お母様が電話してらしたんだけど……」

「え」


 がたんと椅子を蹴倒して、ほのかが立ち上がる。

 ハルの顔も微かに青ざめていた。レンカ、リンカは顔を見合わせる。


「あの、あの娘は普段は夜遊びなんかしないですわ。いったい……」

「とにかく、お母様に電話を返すわ。神月さん、夜光くん、レンカさん、リンカさんも、みな私が送っていくから、しばらく待っていて」

「わ、私、彼女を捜します」


 ルカはその言葉に振り返り、いつになくきびしい眼でほのかを見つめる。

 眼鏡がきらりと光って彼女の瞳を隠した。


「だめ。夜光くん、神月さんをおさえておいて。わかった?」

「あ、え、はい」


 ルカはそれだけ言って立ち去った。

 夜光はあまりに過剰反応に見えるほのかの顔を覗き込んだ。


「神月?」

「なんて……こと」


 ほのかの顔は青を通りこして、白に近かった。わなわなと震える唇が、何事かを呟き続けている。

 ハルはそれに対してなにを出来るでもなく、けれど放っておくことも出来ずに寄り添っているしかないのだった。


 そんな二人を他所に、リンカとレンカが教室の隅で何事かひそひそとささやき交わしていた。

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