5:歓声と陥穽
「神月さんが? あれ、兼務はされてないんですっけ……」
小鳥遊は、戸惑ったように問う。
それもそのはず、ほのかほどの有名人がこの学園で何の役職にもついていないというのは、たいていの人間は思いもよらないことなのだ。
「ええ、図書委員会には所属しておりますけれど、平ですしね。その他の活動でも役付きはありません」
この間の騒動を記憶しているハルにしてみれば、役などなくても彼女が多数の人間を動かせることを実感している。
それでも少々奇異に感じるほどであった。
「へえ、神月さんて役付きじゃないんだね」
「生徒会長選に備えてたんじゃない?」
学園の生徒会選は基本的に無所属の人間が出馬する。
もちろん、様々な抜け道はあるのだが、ほのかが好んでそんなことをするとも思えない。
生徒会長選に備えて無役を貫いてきたというのは、彼女の性格からして充分ありそうなことだった。
「では、まずは神月さん。もう一人おられませんか。バランスから言うと、男子がいいんだけど」
教室はしんと静まり返る。
開催委員は様々な部署と打ち合わせをしたり、実際の催事を取り仕切ったりと、労の多い役職だ。
その上でなにかあれば一身に責任を負う。つまり、リスクばかり大きくてリターンが少ない。
そのことが、みなをためらわせていた。
好き好んでなろうという類のものではないのだ。
それに自分から立候補したほのかの場合、きまぐれか、それとも、貴きもの義務というやつか。
「誰も立候補されないようね」
ほのかが壇上にあがり、教室を見渡す。
横では、小鳥遊が困ったように笑っていた。
「私が推薦してもよろしいかしら?」
「うん、そうね。投票してもばらけるし。パートナーシップは大事だから、神月さんの推薦でいいよ。いいですね?」
最後は全体に向けて問いかける。
教室のなかからぱらぱらと賛同の声があがった。積極的に否定する声はないようだ。
あからさまにほっとした顔の小鳥遊は、壇上をほのかに明け渡す。
「さて、推薦する人物を明らかにする前に、一つ提案があります。今回、学園祭では、二つの企画を行おうと思います。一つを私が、もう一つをこれから指名する方が指揮し、それぞれの出来ばえを競うというのはいかがかしら?」
その方が面白いし、準備に熱が入りますからね、と彼女は頬に指をあて、首をかしげる。
女子からは黄色い声が、男子からは野太い叫びがあがった。
「ほのかさん、かわいいなあ……」
汀がうっとりと呟く。
ハルにしてみれば、どっちかというと怖い相手だという印象だが、崇拝者にそんなことを言ってみても詮ないことだ。
ふと、ほのかが意味ありげな視線を向けてくるのに気づいた。
推薦する人物って……。
おい、まさか。
いやな汗が、背中を伝う。
しかし、彼女はしっかりと彼と目を見合わせたまま、一瞬――ほんの一瞬だけ――にやりと笑みを形作った。
「では、異議もありませんようですから、先程の提案は……」
「反対、反対、反対」
思わずハルは叫んでいた。
クラス中の視線がハルに集中する。
400の目に見つめられ、ハルは微かにたじろいだ。
だが、それよりも彼は頭をフル回転させることに集中した。
「あら、夜光君。反対されるの。なぜだか聞かせてもらえるかしら」
ほのかの声はあくまで静かだ。
一方、ハルは考え続ける。
「理由を教えていただかないと、私も皆も納得できませんもの」
「問題は三つある」
口を開いてから、次に言うべきことを考える。
そう、三つだ。無くても三つ考えつけ。
「一つは、場所の問題。許可される利用場所はクラスかクラブごとだ。わけてくれるクラスもクラブもありやしない。単純に考えて半分の場所しか使えないのは、不利だろう」
そうだ、場所だ。
うん。なんとか答えたぞ。
次だ、次は何がいい。
「二つ目は、競う相手は何もクラス内ではなくても他のクラスが充分にあるということだ。今回の秋祭りに参加する数だけでもたいしたものだ。何も内部でいがみあうことはない」
うんうん、みんな仲良く。できれば面倒は回避して。
さあて、最後の締めはなんでいくかな。少々派手で、みんなが賛同しやすいものだ。
「最後に手間の問題だね。出し物が二倍になれば、単純計算で手間も二倍。限られた時間の中で、中途半端なもの二つつくるより、しっかりやりとげるほうがいいんじゃないか?」
よし、なかなかいい。
ほら、うなずいている連中もいるぞ。これで種はまいた。あとはもう一押しすれば。
「そうですわね。立派なご意見だと思います。私、間違っておりました。やはり、みな、一丸となって、目標に突き進むことこそ尊いですわね!」
あれ、とハルは拍子抜けした。
そんなに簡単に自説をひっこめるとは何事だ?
「ありがとう、夜光君。あなたの意見で、私、目が覚めましたわ。ありがとう、ありがとう、ありがとう」
「あ、えと……。うん」
まぎれもなく尊敬と感謝の念を浮かべるほのかのかわいらしい顔を見て、ハルは嫌な予感でいっぱいになった。
だが、もちろん、自分の意見に賛同しているほのかにけちをつけるわけにはいかない。
彼はそのまま椅子に座り直すしか無かった。
「それにしても、夜光君は学園祭に対して、きちんとした考えをお持ちのご様子! 私、感服いたしました。みなさん、どうでしょう。ここはもう一人の委員として夜光君を迎えるというのは!」
わきあがる歓声。
ハルはあわてて立ち上がり、再び異議を唱えた。けれど、その声は、クラス中の歓声にかき消される。
「は、はめられた……」
天使のように微笑むほのかを見つめて、ハルは心底、そう思うのだった。
「お腹すいたなあ」
「……」
「ん……ぐー、むにゃむにゃ」
ちなみに、三姉妹はそれなりに元気だった。