1:誰かの決めたルール
「よろしいですか。不本意とはいえ、あなたがたがこの私のルームメイトになった以上、あなたがたの風紀の乱れは私の責任にもなります。そこのところをしっかりと勘案し、淑女にふさわしい行動というものをこころがけることが……」
指を振り振りほのかは講釈を垂れる。その後ろを三つの頭がひょこひょこきょろきょろくっついて歩く。
「ねえねえ、ほのかちゃん」
「ほのかちゃん!?」
非常に微妙な顔つきになるほのか。
「あれ、ほのかちゃんはほのかちゃんでしょ?」
「いえ……まあ、いいでしょう。なにかしら恋華さん」
以前聞き出した名前で呼んでみる。漢字を意識してみると妙な発音になりますわね。
そうほのかは考えて、他の二人――蘭歌と凛香の名前も舌の上でころがしてみた。
しっくりこない。
結局、これまで通り発音することに決めた。
「あたしたちってばどこに向かってるの?」
そう言ってあたりを見回す。広い道の両側には、ずらりとショーウィンドウが並び、様々な品物が展示されている。
それが物珍しいのだろう。三姉妹は始終きょろきょろとし通しだった。
しかし実際は彼女たち三人のほうがよほど人目を集めている。なにしろ例の民族色豊かな衣装をつけたままなのだからそれもしかたのないことだろうけれど。
「テーラーですわ」
実を言えば、仕立屋を呼び出す方が早いのだが、ほのかはあえて三人を外に連れ出すことにしていた。
彼女の監督の下で街に慣らしておかなければならないという使命感からであった。
「てぇらぁ?」
さっきまで骨董店の軒先に置かれたアンティークの先込め銃に見入っていたランカが、興味深げに尋ねてくる。
ここまでのウィンドウショッピングでも、全体的な雰囲気に目を奪われるのはレンカが主で、細かい一つ一つの品物に注意を払うのはランカと、顔はまるっきり同じでもそれぞれに傾向のようなものがあるらしい。
そうほのかは観察して結論づけていた。ただし、リンカだけは常に無表情なので特徴がつかめないでいたが。
「服を仕立ててもらうんです」
「服? 服なんて自分でつくれっぞ」
不思議そうに目をむくランカ。ほのかは驚いて振り返った。
「つくる? あなたがた、その服はご自分で?」
「ああ、木の皮をなめして、織って刺繍して……。ま、面倒だけど、自分の着るもんだし」
ほのかは彼女たちを上から下まで舐めるように見回した。
見たこともない原料だから縫製がどうとか機織りの技術がどうとかは判断できない。
だが、それなりにきちんと見えることを考えるとたいしたものと言えた。
「……器用なのね。案外」
「山ではそれが普通だからな」
当然のように言う。いや、彼女たちにとってはそれが当然なのだろう。
かえって、どう説明したものだろうか、と考え込んでしまうほのか。
「でも、それでは学園には通えませんの」
「一応、これ正装なんだけどな」
「それはわかってますわ。けれど、あなたがたにはあなたがたの、ここにはここのルールがあります。それを全て受け入れろなんて事は申しません。申しませんけれど、ルールになじまないというのは、その社会から排斥されるリスクも負います」
わかりますかしら? とほのかは小首をかしげてみせる。
うんうん、とレンカが勢いこんでうなずいた。
「知ってる、知ってる。『イジメ』られちゃうんだよね! だよね!」
「なんだそりゃ」
「すごいんだよ。えっとね。放射性物質をバケツで運ばされたり、水をたらふく飲まされたあげく磔にされたり、画鋲でびっしり埋まったベッドに寝かされたり、顔中にほくろを刺青されるんだって!」
いつ取り出したのか、レンカは小さなかわいらしい手帳を読み上げている。
「すっげえなあ。そりゃこええ。おい、早く服作りにいこうぜ」
真剣な表情で今にもつかみ掛かってきそうなランカ。その勢いにたじたじとなりながら、ほのかは痛む頭を抱えてなんとか言葉を探した。
「いえ、あの……、ええっと。その手帳はなんなんでしょうか、レンカさん」
「これはね、山の婆さまが、あたしたちが里で変なことしないようって話してくれた事を書き留めたものだよ。まだいろいろあるよー。えっとね。里でものを買う時は、仕切りのある空間に連れ込まれないように注意。床が抜けて地下に落とされ、海外に売り飛ばされる恐れあり。最悪、臓器を摘出され、ばらばらに売り払われる……。ほ、ほのかちゃん、これほんと?」
真っ青な顔にうるうると涙を浮かべにじりよられる。
ほのかは早く早くとせきたてるランカと泣きながらすがりつくレンカにはさまれて、深く深く溜め息をついた。
「ぜーんぶ真っ赤な嘘っ。レンカさん、最後のそれは『オルレアンの洋服店』っていう都市伝説! そんな手帳捨てなさいっ」
通行人の注目を集めるのも構わずに、思わずそう叫んでしまうほのかであった。
「神月嬢」
なんとか二人をなだめ、再び歩きだしたところで呼びかけられる。
今度もまた妙な呼び方ね!
そう憤慨しながらも、この相手に話しかけられるのはめったにない事なので少々身構えつつも素直に返事をする。
「何かしら。リンカさん。珍しいですわね」
「先程のルールの話」
それに続く言葉を待って、ほのかはしばらく黙っていたが一向に口を開かないので、ついに焦れて促した。
「ええ、あれが?」
「それぞれにルールがある。中には守りたくないルールもある。そういう場合は?」
「理不尽なルールということかしら」
こく。リンカは小さくうなずく。
この少女と意思疎通するにはこちらから歩み寄るしかないのかもしれない。ほのかはそんな風に思う。
「そうね。やり方はいくつもあるでしょうね。一つ目は、受け入れること。屈伏者の道。二つ目はリスクを承知でそのルールに反対すること。反逆者の道。三つ目は抜け道を見つけること。脱法者の道」
ほのかはそのあとを続けるつもりはなかった。けれど、リンカの瞳の静謐な輝きを受けている内に、言葉が止まらなくなった。
「最後にルールそのものを根本的に作り替えてしまうこと。それだけの力を得ること。あらゆる理不尽を駆逐すること。支配者の道」
しばらく考えるように宙を睨んでいた少女は、ほのかの頭の中まで貫き通すような透明な視線を向けて、
「あなたは最後の道を選んだのだな」
と言った。
「さあ、どうかしら」
ほのかは自嘲の笑みが浮かぶのを懸命に止めようとしながら、そう答えるしかなかった。
†
曙光がせきれい市を照らしだそうとする頃。
暝く照明を落とされた部屋の中に、電子音声と映像だけが浮かぶ。その光に照らされ、一人の女性が取り憑かれた様に指を走らせ続ける。
時折きらりと眼鏡のグラスが反射し、その口元が笑みか、あるいは怒りか、軽く歪んだ。
「……神月鏡。一体なにを考えているのかしらね」
目の前に浮かび上がったデータの数々を眺め、彼女は初めて口を開いた。
すっかり熱を失ったコーヒーを口に運び、酸味の強くなったそれを味わうこともなく喉に流し込む。
こんなものを飲むなら、カフェインの錠剤でも摂取したほうがましだとは自分でもわかっているのだが、長年の習慣は変えられない。
「鶺鴒学園に在籍する神月一族ゆかりの人間は全部で52人……。けれど、本当に神月本家の血を引くのは、ほのか嬢とあと一人……のはず」
はずなんだけれど……と彼女はデスクにばらまかれた書類を指でとんとんと叩く。
そのどれにも『部外秘』と赤く印字されている。
「大海崩から24年、せきれい市創設より20年、か……」
そして、あの戦争から……と彼女は口の中だけで呟く。
その瞳が見つめているのは、なんだろうか。遥かな過去か、それともただの虚無かもしれない。
日本列島からインド東部にまで至る環太平洋連邦は、終結22年を経ても、いまだに戦争の痛手から立ち直っていない。
なによりも、この日本の被害は大きかった。
戦争の最中、日本列島の要とも言える富士山が噴火、その余波と核テロが重なって、『大海崩』が関東地方を襲った。
いまや経済大国日本の都として繁栄を誇ったその都市は水底に消えた。
その跡地には、東京魔海と呼ばれる荒れ果てた海と、汚染された海に怯える沿岸地域があるばかりだ。
富士の噴火に伴う断層は天然の隔離壁となり、取り残された住民は各地から投棄されるゴミの山の中でみじめに暮らしている。
そこまで悲惨な状況ではないものの、日本各地は程度の差こそあれいまだに困窮している。
だからこそ、このせきれい市の建設は、『奇跡の八年』と称され、神月鏡は『現代の錬金術師』ともてはやされるのだ。
だが、人々は、忘れている。
無から有は生じないことを。
復興、いや、爆発的とも言える経済の躍進の影にあるものを。
「おねえ……ちゃん? 今日も徹夜?」
黙考は、そんな声に遮られた。
一瞬、驚いたような顔を声の主にむけた女性はすぐに顔をひきしめ、そして、軽く微笑んだ。
「いいえ、寝てたわよ。ちょっと早く起きちゃっただけ」
「そう……」
姉の嘘を、妹は見抜いている。だから、彼女は心配そうな顔を崩さない。
だが、姉のほうはあくまでも嘘を押し通すつもりなのか、微笑みを崩すことはない。
「まだはやいわ、まゆ。寝ておくといいよ」
そういうとルカは、書類を片づけはじめた。
まゆは、しばし躊躇っていたが、はい、と小さく答えて、自室に戻っていく。
再びデータを見つめるルカは、夜明け前にふさわしい暝い声で呟いていた。
「なにを考えてるの。神月の血をもつ者を集めて……。ほのかさんを……いえ、ハル君まで巻き込むつもり?」
と。