7:歓迎すべからざる決着
ランカのセリフに会議室中が固まる中、ルカが唐突に叫びをあげた。
「あー! 思い出した! あなたたち、今日転入予定だった三人ね?」
どうやら、ずっと思い出そうとしていたらしい。
場違いなセリフの連続に、みな思考が固まって部屋中疑問符で埋まりそうだった。
「そうそう、今日三人くるから健康診断の予定だったのよねー。ほのかさんや夜光君のどたばたで忘れてたわ」
うんうん、と一人納得するルカ。
そのあたりでようやく頭が回りだしたのか、おずおずとランカに尋ねるハル。
「あの、嫁って……?」
「ああ、あんたから月の刀を奪い返すか、できなきゃあんたの嫁になるってことで送り出されたんだよ、あたしら」
「ふつつかものですが……よろしくですう」
「よろしく」
リンカとレンカにまで言われて、再び頭が真っ白になるハル。
「あら、よかったですわね、夜光君。三人もお嫁さんが来てくれるらしいですわよ」
ひくひくと唇の端をうごめかしながら、皮肉げに言うほのか。
なぜか、朱雀はその腕の中ですでに鯉口を切られていた。
「あ、いや、だって、え?」
「まったくっ。やっぱりあなたが悪いんじゃないの。私を撥ね飛ばすような女が嫁ですって、笑わせてくださるわ」
二人そろって支離滅裂なことを言っているハルとほのか。それをじろりと睨みやるのはもちろんランカだ。
「おい、ちびっこ。おめえにはもう関係ないんだよ。すっこんでろ」
「……いま何と?」
「すっこんでろっつったんだよ。背が低くて聞き取れないのか、ちび」
ちびちびちびちびちび! と何度も繰り返すに向けて、ほのかはすらりと刃を抜き放つ。
「改めて勝負を申し込みますっ」
「望むところっ」
そしてはじまる大乱闘。
固まっているハルと、ほのかさんがんばれーと無責任な声援を送っている姉を見て、まゆは諦めたように溜め息をついた。
「あの、えっと。……止めなくていいんですかあ?」
まだ縛られたままのレンカはもぞもぞと動きにくそうにしながら、なんとかまゆの隣に近寄ってきた。
「……あなた止められます?」
会議室を暴れ回っている、暴風の塊みたいな二人を見て、レンカは力なく微笑んだ。
「無理そうですー」
「そうですよね……。まあ、いざとなったら、うちの姉が止めると思います。あの人一応医者ですしね」
言いながら、まゆはレンカの縄をほどきはじめる。
もはや縛っていても意味はないだろうとの勝手な判断だが、誰も咎めなかった。
「あ、ありがとうございます」
次いで、リンカの縄をほどいてゆく。ふと気になって、まゆは尋ねてみた。
「いいんですか、お嫁さんなんて」
「あんなイカサマに負けるランカが悪い」
表情を変えることなく、リンカは言う。
一瞬、ほどく手が止まった。
乱闘の騒ぎが幸いして、二人の会話は他の人間には聞こえている様子はない。
「……気づいてたんですか」
「あたりまえ。だけど、証拠のおさえられないイカサマはイカサマじゃない」
「でも、あなたは気づいていたわけですし……」
リンカはまだ腕を縛られている状態で器用に肩をすくめてみせた。
「私たちはランカに従うだけ」
リンカはそれきりしゃべらなかった。彼女のその言葉が、まゆの心に強く残り続けた。
ランカとほのかの戦いは、終わらない。
†
神月家の華、神月ほのかは疲れ切っていた。
体中の筋肉が乳酸でいっぱいになっている。動かすたびにきしみ悲鳴をあげる体をひきずって、ただ、倒れぬために歩き続ける。
「こんな……姿……を、誰に、も、みられ、なくて、よかったですわ」
切れ切れに呟く声も小さい。
ほのかの部屋は、一番端、中央から放射状に伸びる五つの棟のうち一つの最先端にあたる。
そのおかげで四人部屋のところを一人で利用できているとはいえ、やはり中央玄関から遠いのは考えものだ。特にこんな夜は。
既に寝静まっているのだろう。
廊下の両側にずらりと並ぶ部屋からは明かりも漏れていない。ただ、足元を照らす常夜灯だけが、彼女の道しるべだ。
「あと、さん、へや」
ぼんやりとした光で部屋につけられたネームプレートを読むまでもない。もう三年も暮らした寮は、実の家のように馴染んでいる。
そう、あの空虚な家よりも、あの路地裏よりも……。
自らの部屋の前に立ち、頬に指を添えた。こわばったそれを、解きほぐすようにもむ。
「いやなことを思い出しましたわ」
平板な声で言い、思い切り顔をしかめてみせる。見えない誰かに向けて、かわいらしく舌を突きだしてから、彼女はよしっともらした。
この扉を開ければ、ふかふかのベッドが待っている。
ミルクを温める余裕はないから、白湯でもいいからあたたかなものを飲んで一息入れよう。そして、何もかも忘れて眠りを貪るのだ。
あの忌ま忌ましいランカとやらのことも、とりあえずは後回しだ。いまは、この疲れ切った体を休め……。
そんなことを夢想しながら、扉をあけて……。
扉を。
ばたりっと鬼のような勢いで扉を閉め直し、自分に言い聞かせるように呟く。
「な、何かの夢よ。そう、白昼夢というやつ」
震える指を叱咤して、再び扉を開く。
ぼふんっと何かやわらかいものがほのかの顔面を襲った。
「やーい、あたらないもんねー」
「ばかやろー。こっちにはまだあるんだぜ」
「……」
硬直するほのかの顔面を滑り落ち、柔らかな何か――枕はぽとりと床に落ちた。
部屋の中の駆け回るレンカをじっと見た後、大声ではしゃぎつつレンカに狙いをつけるランカを見て、さらに我関せずという様子で床に座り込んで雑誌を読んでいるリンカに視線を動かしてから、ほのかは言った。
「何を……してらっしゃるの……」
「お、ようやく帰って来たか。待ってたんだぜ。どのベッド使えばいいんだ?」
「これから、よろしくねー。ほのかちゃん」
「本が欲しい」
「ちょ、ちょっと待ってくださらない?」
ほのかはいい様にしゃべる三人に向けて大きく手を振った。
「な、なにをおっしゃってるのかよくわからないのですけれど、ちゃんとわかりやすく説明してくださらないかしら」
「あん? わっかんねえやつだな。しゃあねえ、レンカ、説明してやんな」
「あ、うん。ルカ先生がね、空いてる部屋がここしかないから、ここに入りなさい、って。それでね……」
レンカはなおも何か言っているようだったが、もうほのかの耳には入っていなかった。真っ青な顔でぶつぶつと呟く。
「私と……同室?」
「だから、そう言ってるだろ。はやくベッドの割り当て決めようぜ。おっと!」
再び枕投げをはじめた二人を見るともなく、ほのかはへなへなと力なくその場に崩れ落ちた。やわらかい枕の上にぼふんと上体をもたれかけ、彼女は呪いのように言葉を押し出した。
「悪夢ですわ……」