3:ほのかの場合
「第5班、南12街区A-3から13街区B-1方面へ移動中」
息せききった報告が、スピーカーの向こうから聞こえてくる。
「ご苦労さまです。またよろしくお願いするわね」
「はいっ、ほのかさまっ」
声が喜びに震え、ぷつりと切断音が聞こえて、スピーカーが沈黙する。
ほのかは振り返ると、机の上で地図を広げているハルにむけて言った。
「だそうよ。夜光君」
「んー。第3班に、南10街区A-2からI-4に向かうよう言って」
再び振り返ると、机の上にいくつも並べられたスマートホンのうちの一つを操作し、発信をはじめる。
「はい、第3班」
「ほのかです」
わーっと相手の背後で歓声が聞こえる。
「ご足労ですけれど、南10街区A-2から……ええと」
「I-4」
「I-4へ移動して下さいますか?」
「はい、もちろんですっ。わかりました、おねえさま!」
張り切った声で、相手はそう返すと通話を打ち切った。なんだかみんな愉しそう、とほのかは人ごとのように思う。
彼女はまゆとハルに半ばひきずられるようにして中央講堂の小会議室の一つに連れてこられていた。
その小会議室には、いま、夜光ハルによって捜索本部が作り上げられている。
ほのかは、数十分前のことを思い出して、少々複雑な気分になった。
†
「まゆちゃん。お願いがあるんだけど」
小会議室に入り、ほのかをなんとかなだめたあとで、ハルはそう切り出した。
「は、はい?」
敬愛する『おねえさま』の思っても見なかった面を見ておびえたのか、まゆは少々冷静さを欠いているように見えた。
「神月……さんのファンクラブメンバーって結構多いんだよね? その中でもコアメンバーを呼び出してほしいんだ。いちいち情報を待っていたら、神月さんが爆発しちゃいそうだ」
目をつり上げてそこら中を睨み付けているほのかをちらりと見やって、まゆは同意するようにうなずく。
「でも、遠くに住んでる子もいますし……」
「うん。だから、五時までに来られる子を十人、五時半までに来られる子を十人呼んでくれないかな。神月さんが呼んでるってことで。……いいよな? 神月」
「ご勝手にっ」
興奮冷めやらぬほのかは、まゆとハルの会話を聞いてはいたが、頭の中は冷静ではない。うなり声をあげないのがいっそ不思議なほどだった。
ハルはまゆに向き直りかけて、ほのかを見つめなおすと、ちょっとおずおずと切り出した。
「あとさあ、神月」
「なにっ」
「ここ、シャワーあるから、着替えてきたらどうかな」
ほのかは、その忠告に渋々ながら従った。
シャワーを浴び、ゆっくりと髪を乾かしてから部屋に戻ってみると、そこには制服私服取り混ぜて十数人の少女たちが待ち構えていた。
「おねえさまだっ」
「ほのかさまあ」
「神月さん、私、がんばるからっ」
扉を開けた途端かけられる言葉の圧力に、たじろぎそうになる。
「あ、そ、そう。お願いしますね」
「はいっ」
これだけは一糸乱れぬ返事を返し、ハルの説明に再び耳を傾ける少女たち。
その瞳が熱病にうかされているようにきらきら光っているのはなぜだろうか。
そんな群れの中から、ちょいちょい、と手招きしてまゆを連れ出す。
「どういうこと?」
「捜索班を組織するらしいです」
「捜索? ああ……。ふむ、悪くないかもしれませんわね」
見れば、会議室の中もだいぶ片づけられている。中央には会議机が集められて、その上には大きな地図や立体図が置かれていた。
「おねえさまはここの指揮机です」
少し離れた場所に、豪華なデスクが置かれている。会議の時は議長が座る為の場所だろう。
「そう。ありがとう」
彼女はそのふかふかの椅子に座り込んだ。なんだか騙されているような気がする。そんな懸念を抱きながら。
†
その後のハルの手際は見事なものだった。集めたファンクラブメンバー――一桁メンバーというやつらしかった――のうち数人を部屋に残し、他を捜索班のリーダーとして学園内外に送り出す。
捜索班の編成にハルは携わらず、リーダーとなった少女たち自身のネットワークに任せておくのだとか。
その間にハルは、指揮の体系を編み上げていった。
部屋に残されたメンバーはタブレットやスマートホンを駆使して、捜索班形成に協力しつつ、直属の捜索班とは違う、友人たちやネットからの情報をハルに集約する。
それを基に、彼は捜索班に指示を下していった。
飽きっぽい少女たちをほのかの魅力でつなぎ止め、手足のように操っている。
そして、地図に彼以外わからないであろう記号をいくつも書き記していた。
あくまでも形式上はほのかがトップに立つ――なにしろ構成員はほのかファンクラブだ――ということで、ハルに集約された情報は、ほのかにもあげられるはずだった。
だが、実態はといえば、ほのかは各班に指示を下すだけの伝令係に成り下がっていた。
悔しいことに、その手腕はほのかも認めざるを得ない。実際に彼の指揮の下で二人の女が見つかっているのだから。
実に生き生きしてますわね。
彼女はハルを見て思った。
大地図の上にかがみこみ、線をひいたり、塗りつぶしたりしている彼はなんとなく普段の優等生面より凛々しく見えた。
その周囲では、まゆを筆頭に、ほのかファンの少女たちが忙しく動き回る。
当初はほのかの直接の指示ではなくては動かなかった彼女たちは、だんだんとハルの言いなりに動き回るようになっていた。
ぞぶりとほのかの中でなにか暝い感情がうごめいた。
なんで、そんなにも凛々しいのだ。
なんで、そんなにもしっかり動けるのだ。
なんで、そんなにも愉しげなのだ。
それじゃあ、この私はなんだったのか。この四年間たたき込まれたものは全て無駄だというのか……。
激しく頭をふる。
頭にはびこった妄念を振り払い、嘆息するように言葉を押し出す。
「ほんと、愉しそうね」
ファンのみなにしてみれば、ほのかに頼りにされるというだけでも夢のような話だ。
その上、みんなで大騒ぎできるとあっては、つまらないわけがない。
この学園では、イベントに乗り遅れることは、大損なのだ。
ハルはもちろん、必死。取り戻したいものというのがなんなのかわからないが、よほど大事なものなのだろう。
一人ほのかだけは、少し放されたデスクの前でぽつねんと座っている。
彼女の前には、ずらりとスマートホンが並べられ、外部スピーカーにつながれていた。誤操作を避けるため、各班に一つのスマホが割り振られているために。
たしかにこのスマホを使って指示を下すのは、ほのかだ。
捜索班のみなは、ほのかの指示で動き回る。
しかし、実際にそれを動かしているのはハルの指だ。
不満に思っても、彼の役割をいまさら代われるわけでもない。
最初からやっていたならともかく、途中で指揮官が交代するのはよほどの事情がない限りやめておくべきだ。
特に、一分一秒が大事なこういう場合は。
ハルの指示でリアルタイムに書き換えられていく黒板上の地図を身ながら、ほのかは苦々しくも自分の立場を受け入れていた。
だが、彼女はやはりもらさずにはいられなかった。
「みんな、ほんとに愉しそう」