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明日飛ぶ鳥  作者: 安里優
第二章:追いかけっこ
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2:リンカの場合

 白熱した炭が、からりと乾いた音をたてて崩れた。

 熱気でもわりと歪んだ空気の中に、勢いよく突き込まれる鉄の鋳型。

 節くれだった手が、いくつも並ぶ鋳型から伸びた二本の柄をつかんでくるくるとまわしてゆく。


 熱気の充満する中に一列に並んだ鋳型は、手際よくまわされ、偏りなく熱を内部に伝えることになる。

 一番端の鋳型が取り出され、焦げ目がたくさんついた分厚い木の板の上にのせられる。

 二本の柄がぱかりと開かれて、その中のものが板の上に姿を現した。


 真ん丸の目に、体には不釣り合いにちっちゃな口。

 たっぷり中身のつまった腹に刻み込まれた鱗と、大きな尾びれ。

 こんがりときつね色に焼き上がったそれは、ほかほかと湯気をあげ、とてもおいしそうだった。


 初老の親爺はそれをとりあげると、保温器の中で待っていた二尾といっしょに紙の袋に包むと、くるくるとその袋をまわして口を縛り上げ、OLらしき女性に手渡した。


「はい、鯛焼き三尾、上がりだよー」


 OLは硬貨をいくつか親爺の手に落とすと暖かい袋を抱え込むようにして去ってゆく。

 親爺は再び鋳型をまわす作業にもどりながら、その背中に


「まいどありー」


 と声をかけた。


 そう、鯛焼きだ。

 甘い小倉あんをたっぷり詰め込んで、ぱりぱりの皮で包んだ、冬の名物詩。

 しかも、親爺の鯛焼きは、全国でも既に絶滅寸前と言われる、『天然もの』、あるいは『一本釣り』と言われるそれだ。


 商業ビルにはさまれた路地に無理矢理つくったプレハブの狭苦しい店内で、親爺は鯛焼きを焼く。この三十年、休むことなく、一人焼き続けたのと同じく。

 ただ、今日はちょっと違っていた。親爺には連れがいた。

 三時間も前からずっと彼の手元を見つめ続ける無表情な少女。


「ところで嬢ちゃんよ」


 客がしばらく来そうにないと見て、親爺はようやく声をかけた。


「よく飽きねえな」


 鶯色の鉢巻きの少女は、何も応じない。ただ、親爺の手元と鯛焼きを眺め続けている。

 鯛焼きを頼むでもなく、といって邪魔になるような場所にいるわけでもなく。ということで彼はこれまで声をかけずにいた。


 もともと積極的な接客などしないほうだ。それに、少女のまなざしはあまりにも真剣で、おいそれとは口をはさめない雰囲気があった。


「鯛焼き、好きなのかい?」


 軽く首を横に振る少女を見て、親爺は軽い失望を覚えた。

 なんでえ、好きじゃねえのかい、と。


「だったら、なんでそんなに見てるんだい?」

「好きかどうか、わからない」


 少女は少し考え込む様にしてから、言葉を続けた。


「初めて見る」

「喰ったことないのかい」


 親爺は驚いて問うた。少女はこくっとうなずく。


「鯛焼きを? 見たことねえってか……。はあ……」


 変な格好をしてるとは思ったが、この国の人じゃないのかもしれねえな、と親爺は独りごちる。少女は相変わらず食い入るように彼の手の動きと、それに連れて踊る鋳型たちを見つめている。


「面白いかい?」


 こくり。

 親爺はそんなもんかねえ、といつものようにリズムにのって仕事を続ける。


 とん。 鋳型を開く。

 とん。 油をぬって。

 とん。 皮の材料を流し込み、たっぷりのあんこをへらで落とす。

 とん。 柄を閉じて、熱気のうだる炭の上。

 くるくるくると鋳型を順繰りにまわして。


 ぱかん。


 また一匹、鯛焼きが躍り出る。

 親爺はそれを取り上げると、保温器ではなく、少女に差し出した。


「喰ってみな、嬢ちゃん」


 少女はしばらくためらってから、初めて顔の筋肉を動かしたかのようにぎこちなく、困り顔を見せた。


「お金、ない」


 親とはぐれた幼児のようなその顔に、親爺は呵々大笑。無理矢理のように彼女の手に鯛焼きをねじ込んだ。


「オゴリだよ、喰いな」


 熱々のその鯛焼きをそれでもしっかりと両手で持ち、少女はその鯛焼きと親爺の笑顔に何度も視線を往復させた。


「早く喰わねえと冷めっちまうだろ」


 親爺の怒ったような声にようやく、こく、とうなずいて、かぷりと頭からかぶりつく。

 もぐもぐと咀嚼する顔に表情は何もない。しかし、やがて眼が丸く開かれた。


「どうだ、俺の三十年の成果だ。うまいだろ」


 こく、とうなずく。

 こく、こく、こくこく。

 少女は、一匹を食べ終えると、保温器に並んでいる鯛焼き達を指さし、


「たい、やき?」


 と尋ねるように言った。


「そうだ、鯛焼きだ。覚えたかい、嬢ちゃん」


 少女は、大きく、こくっとうなずいた。



                    †



 少女が三つ目の鯛焼きをごちそうになっている時、遠くから大勢の人間が駆けているような音が聞こえてきた。


「ありゃ、なんかあったのかな」


 たくさんの足音が作り出す海鳴りのような音が、遠くで響く。ついでに泣き声ときゃーきゃー黄色い声も。


 しかし、そんなことは関係ない、とばかりに少女は鯛焼きを食べる。

 皮の張りと焦げ具合、あんこの中の小豆のやわらかさ、ほかほかのあたたかさ。

 そのどれもが素晴らしい刺激となって、少女の舌を直撃する。


「鯛焼き、好きかい?」


 同じ問いを、親爺はした。少女は顔をあげると。


「好き」


 今度はたしかにそう言うのだった。

 親爺が満足げにうなずいた時、それはやってきた。


「あーーーー。リンカちゃあーーーーーん」


 半泣きの声が、すがるような切実さで響く。見れば、たくさんの女の子たちを引き連れて、藍色の少女――レンカが一目散に走ってくる。


「ありゃ? 嬢ちゃんの妹かなんかかい?」


 こく、とうなずく。レンカは明らかに追いかけられている。どうやら彼女も逃げなければならないようだ。


「よしゃ、じゃあ、妹にもわけてやんな」


 どさり、と十尾を越える鯛焼きを入れた袋を渡される。


「?」

「またきてくんな。嬢ちゃん」


 こく。こくこくこく。

 何度もうなずいて、少女――リンカは走り出した。

 その口にしっかり鯛焼きをくわえて。


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