1:三姉妹
街は生き物だ。
人が生まれ、そして死に行くなかで、街もまた生まれ、成長し、爛熟し、死んでいく。
小さな町として生まれたものが、住人が増えて拡張され、災害を経て寂れたり、あるいは逆に新たな町を取り込んで拡大していったりする様は、原形質の生物の営みのようだ。
そんな街において、不慣れな人間が進むべき路を見失うのはよくあることだろう。
通例、精神的なそれを絶望と呼び、物質的なそれを迷子という。
問題はこの街――『せきれい』市が近年作り上げられた計画都市で、迷おうにも迷えるはずがないという事実であって……。
「ランカちゃあん。やっぱり、ここ違うみたいだよぉ」
泣きそうな声が、交差点のど真ん中であがる。
「うるせぇ、とにかくそこで止まるな。轢かれっだろ」
苛ついた声が、最初の声からわずかに離れた場所で響く。
「やみくもに進んでもしかたないのは確か」
冷静極まりない声が、呟く。
「うるっせえ! しゃがみこむな、莫迦。おい、リンカ。そいつ連れてこい」
「疲れたよぉ、ランカちゃん、リンカちゃん」
「レンカ。ヤメテ」
涙声の主――丸っこい瞳にこぼれ落ちそうな大粒の涙を浮かべた少女を無理矢理ひっぱって、ずりずりと歩道まで連れていったのは全く同じ顔をした少女だった。
透き通るような白面の端正な顔には、ひきずられる少女と対照的に何の表情も浮かんでいない。まるで人形か能面のよう。
もう一人、地図を広げてうんうんうなっている、これまた同じ顔をした少女は、明らかに焦燥と憤懣に襲われている。
目をつりあげて手元の地図を憎々しげに睨みつける。まるで、自分たちが迷子になったのは、その地図が悪いとでもいうように。
歩道に並ぶ三人を見たら、たいていの人は、驚きの声をあげるだろう。実際に行き交う人々のいくたりかは、
「コスプレ?」
だの、
「なんかのイベントかキャンペーンだろ」
だの口々にささやきあい、中にはスマートホンのカメラで彼女たちを撮影している者たちまでいる始末。
それも無理からぬことだろう。
彼女たちは、揃って複雑な切り状紋様を縫い取られた服――『アットゥシ』を身につけ、頭には刺繍のついた太い鉢巻き――『マタンプシ』。
色とりどりのガラス玉でつくられた首飾り――『タマサイ』が胸元を飾り、耳には銀色の環に小さな鈴が二つついたピアス――『ニンカリ』をしている。
唯一違うのは、服に縫いつけられた紋様と鉢巻きの色だ。
涙目で歩道に座り込んでいる少女は藍色。
どこを見ているのやらさっぱりわからない表情でぼーっと突っ立っているのは鶯色。
そして、唸り声をあげて、かわいらしい八重歯をむき出しているのが緋色のそれだ。
どこからどう見ても民族色が豊かすぎる。
その上、三人とも抜けるように肌が白く、大きな黒々とした瞳が和人形を思わせるかわいらしい顔をしているとあったら、なおさら。
どこか中性的な印象の中で幼さと大人びたところが入り交じり拮抗している様は、どんな目立たない服を着けていても人目を惹くだろう。
何かのゲームのキャラクターのイメージガールだと言われたほうが得心がいくというものだ。
だが、彼女たちは何も気負うことなくごく普通にそれを着こなし、また、自分たちに集中する視線をさほど不快げでもなく、むしろ不思議そうに眺め返していた。
通常、この年頃の少女は、自分が注目されていることには極度に敏感だ。無視されるのも、必要以上に注意を惹くのも嫌う。
また、容姿の面でも、自分の姿がどんなものであるのかは、自覚しているものだ。彼女たちのように恵まれた美貌の持ち主は、それを鼻にかけるかどうかはともかく、どこかで意識はしている。
その意味で彼女たちはあまりに落ち着きすぎているように見えた。
「う~」
緋色の少女が地図をひっくりかえす。
「あ、こっちが上か」
……単にマイペースなだけかもしれない。
そうして地図をひっくりかえしては、交差点の標識と見比べたりしている少女――ランカを頼りなげに歩道から見上げて、藍色の少女レンカは静かにため息をついた。
「そのガッコーの名前、なんだっけ?」
「鶺鴒」
リンカは相変わらずどこを見ているのかわからない顔つきでごく短く答える。
「街と同じ名前なんだね」
「せきれい市は鶺鴒学園のためにつくられた。当然」
名前が同じなのは当然、という意味だろうか。
リンカは口を開く時にもごくごく小さく唇を動かした。まるで筋肉を動かすのが面倒だといわんばかりだ。
だが、レンカはそれに全く頓着せずに話を続ける。
「ふうん。じゃあ、街の中央とか目立つ処にあるんじゃあないのかな、それ」
リンカはこくり、と頷く。
レンカとリンカは揃ってランカを見た。
「よし、わかった、こっちだ!」
地図をくるくると丸めた少女は、それを指揮棒のように振るって、ある方向を指した。
それが元来た方角だと気づいているのかいないのか。
リンカとレンカ、同じ顔をした少女は揃って小さなため息をつくのだった。
†
せきれい市の七割以上を占めるのが、鶺鴒学園。全国でも有数の巨大学園である。
壁の外――これは学園内の言い回しだが――の街と同じく、ブロックに区切られた区画が10×10。一区画が1㎞四方だから、100平方キロもの広大な敷地を擁することになる。
一区画はさらに100m四方のブロックに分かれ、道路部分に供出される部分を除くと一区画に81の小区画がある計算になる。
もちろん、小区画を二つぶちぬいたりしている場所も多いので、実際には完全に格子状になっているわけではないが、大きく俯瞰すると整然と区分けされた土地がどこまでも続いているように見えた。
幼稚園から大学院、研究施設までが各所に点在し、そこに通う学生・教員はもとより、その家族のための寮、居住区画が無数に存在する。
敷地内には医療施設や公園などが用意され、飲食店はもとより、大手デパートや家電量販店まで進出してきている。
車の走行は規制されているが、学内を走る路面電車及び地下鉄が交通機関として発達しているため、これも不便はない。
中央講堂の地下には、近隣の空港まで直通の地下鉄駅もあるから、入学以来『壁の外』に出たことがない、などという者もいるくらいだ。
その学園の高等部第三西校舎の屋上の鉄扉が、甲高い音でその身をきしませながら開かれていく。
ひょこっという感じで黒い頭がのぞいた。
扉の端から目だけをのぞかせて、きょろきょろと屋上を見渡す。何か見つけたら、すぐにでも鉄扉の奥に消えてしまいそう。
秋の、冷たいけれど心地よい風だけが吹く屋上に安心したのか、ようやく体ごと扉から現れたのは一人の少年。
淡い空色の胴衣と揃いのズボンは高等部の制服の一つ。
空色の中に白いラインを特徴的に使っているのは、鳥類のセキレイの色合いを参考にしているからだという。その割にはこの空色はなんなのだろう、と彼は時折思ったりしている。
セキレイを参考にするなら黒か灰色系統の色をベースにすればいいのに、と。
鶺鴒学園では中学以上の授業は単位制を採用しているから、この時間、空いているという学生もいないではない。だが、そんな学生は、お昼前の秋風きびしい屋上になんか寄ってくるわけもない。
いまだぬくぬくと部屋で寝ているか、既に学食で早飯に勤しんでいるのが普通だ。
そこで導き出される可能性は、一つ。
彼はこの時間も授業をとっているにもかかわらず、屋上に遊びに来ている。
……つまりはサボりだ。
屋上に数歩進み出て、ふと思い出したように駆け戻った。開け放しになった鉄扉の前に立ち、閉じようと手をかける。
と、再び蝶番がたてる耳障りな悲鳴。
彼は熱いものにでも触れたように腕をはなした。
腕組みをして、再び閉めようかどうしようか悩んでいる風情。
だが、しばらくぶつぶつと油の注されていない鉄扉について批判を加えたあとで、諦めたように屋上に向き直る。
腕を大きく動かして一つ深呼吸。
いま、ここには彼以外誰もいない。風雨と冬の雪にさらされてタイルが所々はがれた屋上は、いまこの時だけは彼のものだった。
満足げな表情を顔に浮かべ、うろうろと屋上を歩き回る。
しばらく経つとうろつくのに飽きたのか、低いフェンスと手すりの二重の防護をつけられた端に近づき、眼下を見おろした。
そこには整然とした街並みがあった。
山を切り崩し、森を切り開き、ひたすらまっすぐに、ひたすら平らかにされた土地の上に築き上げられた美しい調和の取れた街並み。
それは、一つの文化であり、一つの理想の結実だ。
だが、それに殺されたものたちはどこへ行ったか。
それに潰されたものたちは、消えてしまったのか。
何も遺さず、ただ、塵となってしまったのか。
次いで、彼は空を見上げる。
そこには、街のどこからも見える、天空の城がある。
この街の設計者、神月鏡の住む、空中庭園。
硝子で出来た浮遊する都市。何十トンもの土を、水を、木を、建造物をそのうちに孕み、高度1000mの天空に鎮座する。それを支えるのは、これも透明なたった八本の長い長い支柱だけ。
「そんなところにおさまって、神様きどりか」
吐き捨てるように言葉を押し出す。
その対象は誰なのかすぐにわかる。けれど、なぜそんなにも神月鏡を激しく思わねばならないのか。
それを尋ねる者はここにはいない。
少年は懐から、木の棒のようなものを取り出した。一面に精緻な彫刻が施されている。
彼は、手元を見もせずに、慣れた手つきでその彫刻の線の一つ一つを指でなぞっていった。
さあっ、と涼しい一陣の風が過ぎて、少年の黒髪をかきあげる。
とりたてて整った顔だちと言うわけでも、醜男というわけでもない。時折見せる、少年とは思えないような大人びた表情を捉えて、野性的な風貌と言われることもあるが、それも友人達に言わせれば、せいぜい『飼い馴らされかけた狼』といった程度。
だが、強い空気の搖籃に瞼を閉じることもなく上空できらめく建造物を見上げ続ける彼の眼の光を見るものは、はっと胸をつかれるような強烈な印象を受けるだろう。
それがいったいなんなのか、受け取るほうでもわからないような、未だ分化せざる少年の輝き。
夜光ハル。
空から見おろす城を激しくにらみつけている少年はそんな名前をしている。