プロローグ
誰の背中にも羽があるのなら、その羽をへし折ってやりたい。
夢を語るその唇を鋭い針で縫い付けてやりたい。
無邪気に笑うその姿を私に見せるな、醜悪だから。
人間なんて気持ち悪い。
そうやって私は、人の不幸を祈り願い嘲笑いながら生きてきた。そんな生きかたではけして幸せになれないと後ろ指を指されるけれど、それでもそんな生きかたしかできないのだから余計なお世話である。
そもそも、幸せとは何だ。幸せなんて個々それぞれのものであるとあんなに謳われているではないか。それなのに、「そんなことでは幸せになれない」。
なんだ、この茶番は。
己の幸せだと思うものが他人に肯定されなければそれは幸せではないのか。そんな幸せならこちらから願い下げである。
そもそも、人間は幸せに固執しすぎなのだ。幸せに躍起になり、内心では何を考えているかわからないくせに、さも幸せそうに振る舞う。幸せに憑りつかれているとさえ錯覚するその姿は実におぞましい。幸せからの解放、それこそが真の幸せであるのではないか。
きっと、私は性悪にカテゴリされるのだろう。それとも皮肉屋、卑屈、根暗か。こう見ると結構な数の私がいるではないかしら。まあ、そんな奴らとお近づきになりたいだとか、仲間になりたいだとかそんなことは絶対絶対絶対に、絶対に掛ける100をつけたいくらいありえないのだけれど。
同族嫌悪なんてもってのほか、同族に分類されることさえ嫌だね。
君もだろう?
共感なんて薄っぺらなもの、いらないさ。
そうそう、最近は中二病と言う言葉が流行ったようだ。中学二年生における、つまりは13歳14歳の思春期真っ只中の少年少女達がそれぞれの個性を主張しようと間違った方向へと努力してしまう様だとかを指すらしい。
私のことを中二病と揶揄する輩にも出会ったことがあるけれど、それは間違った見解だ。中二病は青臭くて恥ずかしくて、素敵なものだ。甘酸っぱくすらある、青春じゃないか。私に当てはまっているのはせいぜい恥ずかしいってくらいだぜ。
まあ、恥ずかしいと言う定義すらもあやふやではあるけれど。己の視点と他人の視点の相違点。そうなると、中二病って言葉自体、他者が選定して成り立っている言葉になってしまうのか。
私が言うのもなんだけど、何様のつもりなのだろう。
まあ、自論を永遠と述べることは容易いことではあるけれど、一般的に言って悪意に満ちた語りは面白くはないのだろうし、他人の思考を押し付けられるのは不快でしかないだろう。
そもそも、この辺で収拾をつけなくては物語が一向に進まない。
私の物語、ではないんだぜ。
私はただの語り手なのだ。
吃驚仰天、この私が語り手だって?役不足もいいところだ、いやいや全く。
それでも、始めてしまったなら終わらせなくてはならないのさ。
ではでは、しばしお付き合いを。
途中で匙を投げるのも可能だぜ、君がいなくても物語は勝手に終焉に向かっていくものだから。
熱い友情、白熱するバトル、甘酸っぱい青春なんて期待しないで、どうぞお得意の嘲笑を。