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メメント・モリ

まっ赤な糸

作者:

どうやら俺は花京より先に目覚めたらしく、瞼を開くと花京が俺の腕の中ですやすや寝息を立てていた。

昨日はあのままソファで寝てしまった。眼鏡も掛けていたままで、時計の針が読める。まだ朝の四時半。早過ぎる目覚めだった。

花京を見る。生まれたての赤子のような、穏やかな表情で眠っている彼女は、何か夢を見ているようで、突然くすくすと笑い出した。きしょくわる。


「う…ん…、みゆき…く…、」


俺の夢かよ。

おい、なに笑ってんだよ、俺の夢なんか見てんじゃねえよ。変な夢だったら承知しないぞ! おまえ!

それからしばらく、花京の寝言を適当に聞き流しながら横になっていたが、どうしても二度寝をする気分にはなれなくて、休日だったのもあって、やれやれと俺は身体を起こした。

身体のあちこちが痛かった。

ちゃんとベッドで寝るべきだった。


朝食を作るにはまだ早いから、先に洗濯を済ませよう。ついでに今着ているスウェットも洗ってしまおうと、脱ごうとすると、スウェットの右裾に、花京の血がどっぷり染み混んでいるのに気が付く。

花京の血は酸化して、赤黒く変色していた。

傷が消えても、流れた血は消えないように、昨日起こったことも、忘れようとしたって消えない。

花京がどうしてあんな身体であるのか誰にもわからないのに、花京が永遠に死なない身体だなんて保証は何処にも無い。

何度生き返ったって、次は生き返らないかもしれない。

たったの一傷が花京の身体にとって致命傷で、再生せずに死んでしまうかもしれない。

永遠なんて、誰にもわからないから。


「……シャワーを浴びよう、」


ぽつりと独り言を呟くと、服を脱ぎ捨てて浴室に駆け込んだ。

あのとき、あの白い手首から血がとめどなく溢れているのを見たとき、とてもとても怖かったんだ。

俺はきっと、花京がああなってしまうのが恐ろしかった。

俺は花京が好きだから。

言葉なんかじゃ言い尽くせないほどに花京が好きだから。

花京は俺のような普通の人間とは違うから、だから安心なんてできない。何が起こったって不思議じゃない。ある日突然消えてしまうかもしれない可能性だってあるんだ。

言わば彼女は不死の病なのだから。


(花京がいなくなったら、俺は、)


それから三十分、シャワーを頭から被り続けた。

打ち付ける水で、止まない思考を掻き消すように。



「おはよう、深幸くん。」


朝の六時頃。朝食を作っていると、目を覚ました花京が現れた。

「おはよう。」と返すと、彼女は大きな欠伸をひとつして、いつも通り「今日の朝ごはんなに?」とすぐに聞いてきた。


「お好み焼き?」

「それは昨日の昼に食べただろ、パンケーキだっつの。」

「やった。」


花京は嬉しそうに手を打った。

右手首に、うっすら赤い線がまだ残っている。それはなんとなく、赤い糸のように見えた。


「……朝食作ってる間に風呂入って来いよ。」

「深幸くんは?」

「もう入った。」

「ふぅん。」


花京はなんだか意味あり気に唸ったあと、部屋から着替えを持って脱衣所へ入って行った。しばらくして、シャワーの音が聞こえる。

俺はパンケーキを焼きながら、またぼんやりと考える。

赤い糸のはなし。

運命の二人を結ぶ赤い糸、なんてちっとも信じちゃいないしくだらないとさえ思う。けれど、あの右手首に残った赤い線みたいなものが、俺と花京を繋いでいるのは確かだった。そと思うと、皮肉だった。


「い…っ、」


サラダに添えるトマトを切っている時だった。

指を切った。いつもなら絶対こんなことしないのに。

俺は傷をしばらく眺めた。当然だが血は止まらないし傷も塞がらない。俺はただの人間だから、それがあたりまえ。

それでも俺は傷からじっと目を逸らすことが出来なかった。何を考えていたのかわからない。何も考えていなかったのかもしれない。

時間が止まったみたいに其処は空白だ。

シャワーの音が止まるのを聞いて、俺はようやく其処へ絆創膏を貼った。花京には見られたくなかった。



風呂から上がった花京は、朝食が出来たと知ると髪も渇かさずにメシに齧り付いた。思ったことをそのまま口に出すやつだから、おいしいおいしいと言いながら、パンケーキを頬張っている。見てて飽きない。


「あれ。深幸くん、今日サラダにトマトは無いんだね。」

「うん、腐ってたから。」

「ふぅん。」


料理を食べ終わるのはいつも、花京が先で、俺は食べるのが遅い。食べる量も花京の方が多い。花京は食べることが好きだ。

だから、花京はいつも俺が食べ終わるまで、黙って俺を待っている。それが今日になってやけに気になってしまうのは、やはり、昨日のことがあったからだろう。だけど、それを花京に悟られたくは無かった。


「ごちそうさま。」

「ごちそうさま。お皿わたしが洗うよ。」


花京は俺のと自分の皿を、台所へ持っていく。花京の長く垂らした黒髪は、まだ濡れているままだ。

皿をすべて洗い終えると、花京は俺の目の前の椅子にまた座って、じっと俺の方に視線を寄越した。

いつもの俺なら、「何見てるんだよ、」とか「気色悪い。」とか、(思い返せば酷い内容を)言ったことだろう。俺のそんな言葉に、花京は笑っていたけれど、やはりそれは、自分の好きな女に言うべき台詞では無いのだろう。しかし、だからと言って、昨日の今日でいきなり態度を変えるのも不自然だ。

だけどそろそろ、この沈黙にも絶えられなくなってきた。


「何処か、出掛けたいとこ、あるか?」

「えっ?」


俺の言葉に、花京はあからさまに驚いたという感じだった。


「でも、深幸くん。今日学校は?」

「今日は日曜日だよ。」


相変わらず曜日感覚の無いやつだった。

まあ、俺と違って、花京は学校に言っていないから仕方ないかもしれないが。


「最近外に連れて行ってやれなかったから、行きたいところがあれば連れて行ってやるよ。」

「でも、いいの?」

「勿論おまえが良ければだけど、」

「行くよ行くよ行くよ! 深幸くんとお出掛け、本当に久し振りだなあ。」


花京は本当に嬉しそうに笑った。

花京が笑う瞬間は、花が綻ぶようで、見ている此方まで自然と口角が上がってしまいそうだといつも思う。そうは言っても俺は一度たりと、花京に笑みを返してやれた事はない。

もし此処で俺が笑い返してやることができれば、何かが変わるだろうか。なんて、滑稽な絵空事でしかなかった。


「じゃあ準備してくるね、」

「その前にちゃんと髪渇かせ、やってやるから。」

「うん、ありがとう深幸くん。」


花京は明るく言った。

昨日あったことなんて、些とも思わせない陽気さで笑う。

ドライヤーの風に、花京の黒髪がゆらゆらなびく様を、ずっと眺めていたい気分になった。

髪を乾かし終わると、花京は着替えると言って部屋に篭った。腕時計に目をやる。かれこれ三十分もなにをしているんだか。女心なんてわからない俺は俺で本を読んでいた。


「ごめんね、待たせちゃって。」

「いいよ、別に。」


やっと花京が部屋から出て来たので、俺は本を閉じて本棚に戻す。ようやく部屋から出てきた花京の服装は、群青と青の鮮やかなグラデーションのワンピースに、アイボリーのニットボレロを羽織っている。さらに頭には、やつのお気に入りのカンカン帽を被っていた。ややワンピースの丈が短いのが気に入らなかったけど。花京には、青がよく似合う。


そうだ、今日は花京に指輪かネックレスか買ってやろう。

きっと今の格好に似合うと、俺が思った。


「じゃ、行こうか。深幸くん。」


差し出された右手を、俺は取る。

右手首の赤い糸は、綺麗に無くなっていた。




花京と深幸は同棲しています。

深幸は高校三年生、花京は深幸の一つ下。

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