プロローグ
闇色のその人は、眼下に世界を見渡した。
「‥‥世界」
見渡す限りは大陸で、けれどはるかな向こうに海を臨む。
その人にとって世界とは大地のことで、海原を含むすべてではなかった。大地と、そこに属するすべてのものが世界だった。高く空までは世界だったが、海原の向こうは知らなかった。それで充分だった。
「わが姫が幸せになれない世界なら、いらない」
だからその人は呪いをかけた。己の魔力の全てを懸けて、その存在の全てを懸けて、大陸全土に呪いを放った。それは己に呪いをかけることでもあった。
「わが姫がいない世界に私はいらない」
「わが姫の傍らには私が侍る」
「これ以上あのお方の御心を傷つけることのないよう」
「愚かな争いなどなくなればいい」
「殺は厭うべきものだとあの方はおっしゃった」
「わが姫を争いの種にするくらいなら、世界はわが姫を忘れればいい」
「私だけが覚えておくから」
「あの方の眠りは誰も妨げられない」
「私が御身とその名を守るから」
呪詛のように続いた呪文は、一時途切れた。その人は魔力もほとんど底をついて、存在もほとんど薄くなったけれど、その意思だけは止まなかった。
「世界が、今よりあの方が望んだ姿になったなら」
「四公家が愚かな争いをやめるのなら」
「私はその時目覚める」
「その時はわが姫も幸せになれるから」
「再会を祈る」
カミナンド。クルサンド。カンタンド。バイランド。
その人はその身の残りを4つに分けて、それぞれの公領に向かって投げた。
そして、空高くそびえる尖塔の頂上、見渡す限り青空しか見えないその場所は、まったくの空となった。