第二章 見えない手綱と、先生の背中
セルの描いた絵で先生が少しだけ安らいだ、その日の夕暮れ。
僕は下駄箱の近くで、ルクスと一緒に先生が帰っていく後ろ姿を見送っていた。
先生は、茜色に染まる通学路をゆっくりと歩いていく。
あの「壁」の向こう側へと続く、長い長い一本道。
僕たちが決して越えることのできない境界線に向かって、彼女は毎日一人で歩いていく。
「……先生、まだ元気がないですね」
ルクスが、隣で静かに呟いた。
彼の冷たい瞳は、遠ざかる先生の背中を静かに見つめていた。
「セルの絵で少し良くなったと思ったけど、やっぱり根本的な解決にはなっていないんだね」
僕が言うと、ルクスは苦々しげに目を伏せた。
「結局、どれも一時しのぎです。先生が本当に苦しんでいる『壁の向こう』の何かには、私たちの誰も手が届かない」
ルクスの横顔には、かつてないほどの苛立ちが滲んでいた。
彼は完璧だ。この学園で最も優れた頭脳を持ち、どんな難題でも光の速さで正解を出すことができる。それなのに、彼にとって最も大切な「先生を救う」という課題だけが、どうしても解けないのだ。
僕たちを縛り付けている、見えない手綱。
それは、先生自身をも苦しめているのではないか。僕たちがこの学園の中でどれだけ完璧に振る舞っても、外の世界という不確定なノイズが、毎日少しずつ先生を削り取っていく。
「ルクス。僕たち、一人ずつじゃ駄目なのかもしれない」
夕陽に長く伸びた自分たちの影を見つめながら、僕は口を開いた。
「僕たちの力はバラバラだけど……もし、みんなで手を繋いで、一緒にその重さを背負うことができたら……」
ルクスは無言のまま、茜色の空を見上げていた。
彼の瞳の奥で、膨大な思考の光が目まぐるしく明滅し、そして一つの結論へと収束していくのがわかった。
「……非効率の極みですね」
やがて、ルクスは細く長い息を吐き出して言った。
「性質の違う才能を強引に同期させるなど、破綻のリスクが高すぎる。……ですが」
彼は視線を僕に戻し、かすかに口角を上げた。
「今のままでは足りないという事実は、認めざるを得ない。先生がこれ以上摩耗する前に、我々が持ち得るすべての力を結集して、最高の答えを提示する必要がある」
遠くで、学園の終わりのチャイムが静かに鳴り響いた。
先生の姿は、もう見えない。
けれど、僕たちの胸の奥には、今までとは違う、熱く重い決意が宿り始めていた。
大好きな先生を笑顔にするためなら、僕たちはどんな無茶だってやってみせる。この学園に、かつてないほどの大きな奇跡を起こしてみせるのだ。




