王宮魔導師が一生かける難解術式、Excelなら1秒で終わるんですが?
「アズサ! 緊急事態だ! 今すぐ魔法庁の『魔法予算・一律5%削減案』を作成してくれ! 期限は明日の朝だ!」
……上司である財務卿の叫び声に、私は持っていたハーブティーを机に置いた。
時計は17時。定時まであと30分。
「5%削減? 騎士団の魔導具維持費も、王立学院の研究費も、下町の結界維持費も、全部一律ですか?」
「そうだ! 国王陛下が急に『隣国への祝賀会に金を使いたい』と仰りだして……。数千枚の予算申請書を全部書き直すんだ! 」
財務卿は頭を抱えて震えている。
この国の予算管理は、地獄だった。
各部署から上がってくる「羊皮紙の申請書」を、文官たちが手作業で集計し、計算間違いがあれば最初からやり直し。
「条件が変わったらどうなるか」という試算なんて、この世界には存在しない。
まさに、前職で「社長の思いつき」に振り回され、一晩で数億円規模の予算表を組み直させられた、あの悪夢の再来だ。
私の名前はアズサ・タナカ。27歳。
前職は、某有名IT企業の、事務兼ディレクター。……いや、「便利屋」と呼んだ方が正確だろう。
ブラック企業という言葉すら甘く感じるほどの、限界労働。毎日が「定時(午前2時)」退社。上司のパワハラ、クライアントの無理難題、そしてバグだらけのシステム。
「明日、死ぬかもしれない」
そう思いながら、カフェイン錠剤をエナジードリンクで流し込んでいた日々。
そんなある夜、私はデスクで意識を失い、気づけばこの異世界――グラン・マギカ王国に召還されていた。
聖女としての素質を期待されたが、鑑定の結果は「スキル:Excel」。
「チッ、ハズレか」
第一王子にそう舌打ちされ、私は王宮の片隅にある「魔導管理課」に事務員として放り込まれた。
(すいませんね。大したスキルもないOLで)
だが、私にとって、それは「ハズレ」どころか、人生最大の「アタリ」であることを後に知る。
***
「アズサ! まだ起きてるの?」
私のデスクに、同期の文官、エルナが駆け寄ってきた。
彼女の目は真っ赤で、ひどいクマができている。
「ええ、まあ、少しだけ。……この魔法予算の削減案を作らないといけないから」
「信じられない……。魔法管理官が何人かかって作った資料よ? それを一人で一晩で終わらせろなんて、絶対に無理よ! 」
エルナは、私の前に積まれた羊皮紙の山を見て、絶望的な声を上げる。
特定の地域、期間、予算で記録を探すのに、文官たちは数日がかりで、一枚一枚めくって確認している。
それは、前職で、数万行のデータを、いちいち目視で確認していた、あの「地獄のデバッグ」の日々を思い出させた。
「Excel」を知らない世界。
それは、私にとって、何よりも「地獄」だった。
「ああ、Excelがあればな……」
私は、思わず、前職で最も愛用していた、最強の相棒の名前をぼやいた。
その瞬間。
『――スキル「Excel」が、発動しました。』
私の脳内に、機械的な音声が響き渡った。
「え?」
呆然とする私の視界が、一瞬で変貌した。
羊皮紙の山が、青白い光を放つグリッド(セル)に見える。
空中に、「A, B, C...」というカラム名と、「1, 2, 3...」という行が現れた。
そして、私の頭の中に、「fx」という文字と、数式バーが浮かぶ。
「こ、これは……!」
私は、震える手で羽ペンを動かす。
だが、その動作は、私の意図を超えて、ショートカットキーの操作へと変換された。
「スキル『Excel』……! そうか、これ、Excelそのものなんだ!」
私は、羊皮紙を一枚一枚めくる代わりに、頭の中で数式を組み、羽ペンを空中で操作した。
「=SUM(C2:C5000)」
私の唇から、呪文のように関数の名前がこぼれる。
その瞬間、山積みの羊皮紙が、まるで生き物のように勝手に動き出した。
予算の合計が、瞬時に一つにまとまる。
「え、ええええええ!?」
隣にいたエルナが、椅子から転げ落ちるほどの叫び声を上げる。
「な、何!? 今、何が起きたの!? 魔法!? でもアズサは魔力が……!」
「魔法じゃないわ。ただの『SUM関数』よ。……次に一律5%カット」
私は数式バーに呪文を打ち込む。
=B2 * 0.95
オートフィル(指をスッと下ろす動作)一つで、数千行の予算案が一瞬で書き換わった。
「条件付き書式、発動。……予算が足りなくなり、結界が崩壊する危険がある箇所を『赤』で塗りつぶせ」
パッ、と視界の一部が真っ赤に染まった。
下町の貧民街の結界維持費だ。ここを5%削れば、魔物が侵入して街が滅ぶ。
「……やっぱり。一律カットなんて素人のやることね」
私はさらに指を動かす。
「=VLOOKUPで、不要な宴会費と、無駄な魔導具の在庫データを参照。……こっちの『使われていない予備費』から削れば、市民の生活は守れる」
「ア、アズサ……? 何をしているの? 空中で指を踊らせて……」
「『ピボットテーブル』展開。部署ごとの集計完了。目標削減額に対して、最も影響の少ない予算配分を逆算……。はい、出ました」
発動からわずか10分。
私は空中に浮かぶ「確定したデータ」を、机の上の白紙の羊皮紙へと「一括出力」した。
***
翌日の昼下がり。
私は、上司のデスクに、完璧に整理された、10年分の徴税報告書を置いた。
「……え?」
上司が、目を見開く。
「終わった? 何が?」
「予算削減案です。特定の予算名目、出費額でソートできるように、フィルタも作成しておきました」
私は、笑顔で、かつ完璧なビジネス敬語で説明する。
上司は、震える手で報告書を取る。
そこに描かれていたのは、彼らが数日がかりで作成していた、手書きの、非効率な表ではなく、驚くほどシンプルに、かつ論理的に整理された、新しい「スプレッドシート」だった。
「な、……なんだこれは! これでは、特定の記録が、数秒で見つかるではないか!…!」
上司は、口をパクパクさせ、信じられないという表情で、報告書と私を交互に見る。
彼には、私のやったことが、神の啓示か、悪魔の囁きのように聞こえただろう。
それもそのはずだ。
私がやったのは、複雑なデータを、私が最も得意とする「スプレッドシート」に翻訳し、それを関数で整理しただけなのだから。
前職の、バグだらけのシステムに比べたら、この世界のデータ管理なんて、小学生のパズルだ。
「ア、アズサ、お前、一体……」
上司の言葉を遮るように、私はもう一つ、束ねた羊皮紙を差し出す。
「それと、こちら。先ほど外交官から要求された、魔導回路の仕様変更の修正です。……あ、念のため、マクロも組んでおきました」
「は? 魔導回路の……修正? ……あ、おい、待て! お前、どうやってこれを?」
上司は、私が作った「ピボットテーブル」のような魔法配列を見て、さらに顔を青くする。
魔法の呪文を、Excelのカラムに展開し、論理式で最適化したのだ。
魔導師たちが頭を抱える難解な魔法配列を、私は「スプレッドシート」で表化した。
彼らにとって、それは魔法以上の「奇跡」だった。
「え、ただの分類と検索、あと論理式ですが?」
私は、不思議そうに首を傾げる。
その日から、私の「無双」が始まった。
魔導師たちが頭を抱える難解な魔導書の解読?
「=SUBSTITUTEで文字を置換し、=TEXTで整形すれば、瞬時に終わるわ」
無礼な他国の外交官が突きつけた、難解な古文書の解読?
「え、これ、ただの文字化けしたCSVデータですよね? =CLEANで瞬時に直せますよ」
私は、完璧な笑顔で、外交官を論破し、追い返す。
魔王軍の襲来よりも、「金曜18時の仕様変更」の方が怖かった私にとって、この世界の「ブラック」なんて、ただの「チャコールグレー」だ。
そして、ある日。
私は、国王陛下と第一王子に、玉座の間に呼び出された。
「アズサ・タナカ。お前の功績は、もはや無視できない。お前の有能さは、この国の宝だ」
国王陛下が、厳かに告げる。
その横で、かつて私を「ハズレ」と呼んだ第一王子が、気まずそうに目を逸らしている。
「そこで、お前を『王宮特別補佐官』に任命し、私の直属の部下としたい。お前には、この国の全ての事務作業を、お前のやり方で効率化してもらいたい」
国王陛下は、満足げに笑う。
隣にいる宰相は、私に「ブラック企業」の香りがする、新たな雇用契約書を差し出そうとしていた。
……王宮特別補佐官? 国王陛下直属?
つまり、……「年中無休・24時間労働」の、スーパーブラック職場への誘いだ。
私は、笑顔で、宰相の手から契約書を、……
――受け取らずに、一歩、下がった。
「国王陛下、お言葉ですが」
私は、玉座の間に響き渡る声で、はっきりと告げる。
「お断りします」
「……え?」
国王陛下も、王子も、宰相も、呆然とした声を上げる。
「私は、定時で帰って、あっちの角のパブでエールを飲むって決めてるんで。失礼します」
「て、定時……? パブ……?」
「はい。前職の教訓で、『残業は悪』だと学びました。私の『Excel』スキルは、私が『楽をするため』のものであって、国王陛下のために、ブラック労働をするためのものではありません。……あ、もし、私のスキルが必要であれば、私の『時給』で、外注として承ります。……Excelは、外れスキルじゃありませんから」
私は、完璧なビジネス笑顔で、一礼する。
呆然とする国王陛下たちを背に、私は、颯爽と玉座の間を後にした。
「おい、待て! アズサ! 補佐官になれば、莫大な報酬が……!」
背後で宰相の声が聞こえるが、無視だ。
お金よりも、地位よりも、今の私にとって大切なのは、「定時退社」という、前職では決して手に入らなかった、最強の聖遺物なのだから。
私は、王宮の門をくぐり、沈みかけた夕日に向かって、大きく背伸びをする。
「よし、エールを飲みに行こう!」
元限界OLの、本当の無双は、これから始まるのだ。
定時という名の、絶対的な結界を守り抜く、その無双が。
「fx」の文字が、夕焼け空に、静かに輝いていた。
皆様のリアクションが多ければ、ぜひシリーズ化して続きを書いていきたいと思っております。
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「異世界転生おばあちゃん ~王子を孫扱いしていたらなぜか溺愛されています~」連載中です。
人生80年の知恵と図太さで異世界を無双していくおばあちゃん(見た目は少女)のラブコメディです。




