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北の城が見えた。


山の上に、

かつての名門と同じように

きっぱりと座っている。


石垣。

土塀。

高い天守。


そこに、新しい旗が翻っていた。


――正しき秩序。



まず、矢文が送られた。


城下に陣を敷き、

殿の名を書き連ねた文を

矢に括りつけて放つ。


「亡き主君の妹君を、

 こちらに戻されよ」


「兵を解き、

 城を明け渡すならば」


「あなたの首ひとつで済む」


静かな言葉だった。

しかし、譲らぬ線が一本通っている。


矢文は、

ほどなくして城の中へと運ばれた。



広間。


重臣筆頭の男は、

矢から文を外して黙読した。


そばには、

妹君も座している。


彼女の目が、

文に走る字を追い、


やがて静かに閉じられた。


(兄上の名は、もう使われていない)


(だが、

 兄上が拾った者の筆だ)


男は、

文をくしゃりと握りつぶした。


「……やはり、

 あやつの字だ」


唇の端に、

自嘲とも怒りともつかぬ笑いが浮かぶ。


「“首ひとつで済む”とは、

 都合の良い話だ」


「北の秩序は、

 わしの首だけで立っているわけではない」


顔を上げる。


「返答は、一つだ」


「――拒む」



妹君は、

その横顔を見つめていた。


(この人は、

 こういう人だった)


(兄上と同じように)


(退き所を知りながら、

 退かない人)


「わたくしのことは?」


ふと問う。


男は、

ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。


「……武士の妻なら、

 城を枕にする覚悟はあるのだろう」


正面からの答えではなかった。

だが、それで十分だった。


妹君は、

静かに頷いた。


(最期まで、

 あなたの側にいましょう)


そう決めた瞬間、

不思議と心は静まった。



南からの陣では、

矢文の返答を待つ時間が

重く流れていた。


やがて、

城の方角から

一本の矢が返ってきた。


矢には、

紙切れが巻かれているだけ。


広げてみれば、

墨一文字。


――「拒」。


殿は、

短く息を吐いた。


「そうか」


予想していた通りの文字だった。



さくらの胸中は、

むしろ冴えていく。


(説得で妹君を渡すつもりはない)


(楯にするか、

 共に死ぬか)


(どちらにしても)


(この城を壊しながら

 中から引き抜くしかない)


鬼娘の役目は、

はっきりしていた。



その夜、

軍議が開かれた。


「正面から攻めれば、

 北の城は骨が折れる」


誰かが言う。


「山裾に砦も多い。

 長引けば、

 雪の季節が来る」


策士が、

地図に指を滑らせる。


「正面は殿の軍が押さえる」


「さくら殿には、

 別口から入っていただきたい」


指先が示したのは、

城の裏手の崖だった。


「かつて名門が

 急ぎの連絡に使った小道がある」


「荷駄は通れぬが、

 鬼なら通れる」


殿がさくらを見る。


「行けるか」


さくらは、

迷いなく頷いた。


「行きます」


(鬼にしか行けぬ道なら、

 なおさら)



同じ夜。


北の城の一室で、

妹君は灯りを落とそうとしていた。


そこへ、

かすかな揺れが走る。


……風、ではない。


耳を澄ます。


石垣の向こう。

闇の底で、

何かが岩を掴む音がした。


ぎり、と硬いものが擦れる音。

微かな土の崩れる気配。


(……来た)


胸の奥で、

何かがわずかに震えた。


(あの人だ)


桃の匂いが、

記憶から立ちのぼる。


(さくら殿が、

 こちらに向かっている)


(わたくしを――

 生かそうとして)



さくらは、

崖の途中だった。


手に食い込む岩肌。

靴の裏を滑らせないよう

慎重に足場を探る。


背中には、

大太刀。


普通なら、

こんな場所で背負うものではない重さ。


それでも、

置いてはいかなかった。


(この刃がなければ

 壊せない扉がある)


(切れぬ縄がある)


下を見れば、

闇の底。

落ちれば終わるだけ。


上を見れば、

城の影。

伸びる石垣の縁。


(鬼だからこそ、

 行ける道)


自分にそう言い聞かせながら、

一手一手を確かめる。



石垣の縁に手がかかった瞬間、

ふいに別のものも掴んだ。


風の匂い。


冷え切った石の匂いに、

ほんのわずかな香が混ざる。


上から、

誰かが灯りを消したあとの

微かな香。


(……妹君)


さくらは、

息をひとつ整えた。


(死ぬつもりでおられるでしょうね)


(でも)


(ここから先は)


(わたしの勝手を

 貫かせてもらいます)


石垣の上に、

静かに鬼の影が現れた。

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