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葬儀が終わった夜。


重臣筆頭の男は、

自分の城の一間で、

ひとり座っていた。



灯りは一つ。

油の減った行灯が、

畳の上に頼りない輪をつくっている。


部屋の奥には、

新たに迎えた妻がいる。

亡き主君の妹。


今日はさすがに、

疲れたといって早く床に入った。

障子一枚隔てた向こうから、

かすかな寝息が聞こえる。


(殿の血を、

 この身に受けた)


本来なら、

それだけで胸を張れるはずだった。


(それほどに信頼されていたはずだ)


(……だったはず、なのだがな)


行灯の火が揺れるたび、

男の眉間に刻まれた皺が

別の影を落とす。



評定の光景が、

何度も頭の中を巡る。


喪服の猿。

いや、もう猿とは呼べぬ。


皆の前で、

亡き主君の志を継ぐと宣言し、

仇を討った将として

重臣たちの視線を一身に浴びていた男。


(仇討ち……)


(確かに、あれはあやつの手柄だ)


(わしはその間、

 何をしていた)


問いを向けると、

答えは分かっている。


兵を整え、

国を守り、

東西の動きを探っていた。


「正しい」と教えられてきた

大名の務めを、

きっちりと果たしていたつもりだった。


だが、

人の口に上るのは

「守った者」の名ではない。


「討った者」の名ばかりだ。



しかも、その男は

かつて自分の下にいた。


同じ席にいても、

猿というあだ名で笑い合っていた。


身分でいえば、

元は百姓上がり。

こちらは先祖伝来の武家。


(それが今では、どうだ)


(西の国を従えた功)


(仇討ちの軍勢)


(評定をまとめ、葬儀を仕切り)


(亡き主君の妹を娶ったのはわしだというのに)


妻の寝息が、

やけに遠く聞こえた。


(わしは、

 “殿の縁者”という名札だけか)


(あやつは、

 “殿の後継”の顔をしておる)



「自惚れるなよ……」


誰に聞かせるでもなく、

口から零れる。


あの評定の席でも、

思わず立ち上がりかけた瞬間があった。


「殿の志を継ぐのは自分だ」と

白昼堂々言い切ったときだ。


(なぜあのとき、

 わしは声を上げなかった)


拳が、

膝の上でぎゅっと握られる。


理由は分かっている。


・仇討ちをしていない

・西を従えていない

・亡き主君の最期の場にいなかった


そのすべてが、

あの場で自分の舌を縛った。


(……だからこそ、癪に障るのだ)


(本来、

 あの席で殿の名を口にすべきは)


(このわしであったはずだ)



さくらの顔も浮かぶ。


あの鬼娘。

長い黒髪。

大太刀。

桃の匂い。


西の戦でも、

龍との一合でも、

逆臣討ちの戦場でも、

常に一番槍のように名が上がるのは

あの女だ。


(殿の刃)


(そして今は、

 あやつの刃)


それが、

傷口に塩を塗り込む。


(鬼までもが、

 あやつを「殿」と呼ぶのか)


(わしを差し置いて)



信じていたものが、

少しずつ崩れているのを感じる。


・上座に座り続けてきた年月

・先に殿に仕えた年数

・血筋

・縁戚


そういうものが、

一夜でひっくり返された気がした。


(実力主義、か)


亡き主君が口にしていた言葉。


その恩恵を受けてのぼったのは、

自分も同じはずだった。


槍働き。

城攻め。

幾つもの戦で

先鋒を務めてきた。


(だが、

 いつの間にか)


(「下から上がってきた者」の方が

 実力主義の象徴として語られる)


(わしは、

 “昔からいる側”に押し込まれている)


それが、何より耐え難かった。



障子の向こうで、

ふと寝返りの気配がする。


妻の静かな息。

亡き主君とよく似た横顔が

脳裏に浮かぶ。


(殿)


胸の奥が、

きゅうと締めつけられた。


(わしは、

 あなたの妹を娶り)


(あなたのために槍を振るってきた)


(そのわしが、

 なぜ今――)


殿のいない世で、

自分だけが取り残されていくような

奇妙な孤独があった。



やがて男は、

行灯の火を少しだけ絞った。


暗がりの中で、

静かに心を整える。


(感情で動けば、愚か者だ)


(わしは愚かではない)


(あやつの腕も、

 鬼娘の刃も、

 策士の知恵も)


(すべて承知している)


だからこそ、

なおさら許しがたい。


(このまま黙って

 従っているだけの器ではないと)


(いつか、

 誰かに見せねばならぬ)


それが「誰か」は、

まだはっきりしない。


亡き主君か。

己の家臣か。

世の目か。


ただ、

胸の奥でくすぶる火だけが

消えずに残っていた。



その夜、

男は何も決めなかった。


ただ、

決めないままではいられぬと

知ってしまった。


新たな殿が

葬儀で影を伸ばしたその日、


同じ場にいた重臣筆頭の男の影もまた、

別の方向へゆっくりと

歪み始めていた。

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