表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

94/121

92

重臣たちが集まったのは、

まだ焼け跡の匂いが残る城だった。



かつて殿が座した上段は、

急ごしらえの畳と几帳で整えられている。


東の名だたる武将たち。

城持ち、国持ち、陪臣上がり。

老いた者も、脂の乗った者も、

一同に会していた。


(あの方のいない評定……)


さくらは、

一歩下がった位置から

静かに場を眺めていた。


殿の座だけが、

ぽっかりと空いている。


誰も、

そこに腰かけようとはしなかった。



やがて、

誰かが切り出した。


「今後、どうするかだ」


低い声。

かつての重臣のひとり。


「殿はおらぬ」


「だが、天下の道は

 途中まで拓かれておる」


「このまま散り散りに

 国に引きこもるというわけにもいかぬ」


別の者が続ける。


「まずは、

 殿の仇を討ったことを

 世に示さねばならぬ」


「逆臣の首は、

 寺の門前に晒したと聞くが――」


そこまで言って、

視線が自然と一点に集まった。


猿だ。



猿は、

上段より少し下、

だが誰よりも目立つ位置に座していた。


いつものように

扇子を持っている。


ただ、

その面持ちは

いつもより硬い。


「逆臣を討ったのは、誰か」


老いた重臣のひとりが、

わざとらしく問うた。


「殿が討たれたと聞きながら、

 誰が真っ先に軍を返し、

 誰が寺を攻め、

 逆臣の首を挙げたのか」


わざわざ問うまでもないことを、

言葉にしてみせる。


猿は、

頭を下げもしなければ

胸を張ることもせず

ただ淡々と答えた。


「某にございます」


静かな声だった。


「西の国を従えたのち、

 そのまま軍を返し」


「殿を討った逆臣を打ち破り、

 首級をここに持ち帰りました」


「それは、

 殿に拾われた者として

 当然の務めにて」



ざわ、と

小さな波が立つ。


誰も、その事実を否定できない。


西の大国を従属させた直後、

一日も置かず

神速の行軍で都に戻り、

逆臣を討った。


その間、

他の重臣たちは――

それぞれの領地で兵を整え、

噂に耳を澄ませるしかできなかった。


(仇討ちをしたのは誰か)


(それは、猿殿だ)


その事実だけが、

場の空気を

静かに傾けていく。



ひとり、

癖の強い武将が噛みついた。


「猿殿」


「殿に拾われたのは、

 あなただけではない」


「わしらもまた、

 命を預けて戦場を駆けてきた」


「仇討ちを果たしたからといって、

 すべてを差配する権利が

 あなただけにあるとは思わぬが?」


言葉尻は

まだ礼を保っている。


だが、

嫉妬と焦りの匂いは隠せなかった。


猿は、

その言葉を真正面から受けた。


「仰る通り」


軽く頷く。


「殿に拾われたのは、

 某ひとりではござらぬ」


「皆がそれぞれに

 殿の戦を支えてきた」


「ただ――」


扇子が、

畳の上で小さく音を立てた。


「殿の仇を討つために

 軍を返したのは、某でございます」


「殿が焼かれたと聞き、

 西の国との交渉をその日のうちにまとめ、

 補給を繋ぎ、

 寺に打ちかかったのは某の軍」


「これは、

 誰も否定できまいと存じます」


声は静かだが、

一言ずつが重い。



重臣たちは、

顔を見合わせた。


否定はできない。

それをした瞬間、

自分たちが「何もしなかった側」に

押し込まれる。


猿は、

そこで一気に畳みかけることはしなかった。


あくまで、

淡々と続ける。


「殿の志は、

 まだ途中です」


「総本山と刃を納め、

 都を開き、

 西を従え」


「その先には、

 まだまだ多くの戦と、

 多くの策が必要でしょう」


「殿が生きておられれば、

 その先頭に立たれた」


「ですが今、

 殿はおられない」


扇子が、

ゆっくりとたたまれる。


「ならば――」


その先を、

誰もが分かっていた。



「殿の仇を討った者が」


猿は言った。


「殿の志を継ぐべきだと、

 某は考えます」


「殿の血筋を立て」


「そのうえで、

 天下をまとめる役目を負う者は」


「殿の恩を受け、

 殿のために最も汚れを被った者」


「つまり、

 この猿であるべきだと」


重臣たちの間を、

重い沈黙が巡る。


「……自ら言うか」


誰かが呆れたように呟く。


猿は、

わざと肩をすくめて見せた。


「誰も言わぬなら、

 某が言うほかありますまい」


「殿はもう、

 “わしを天下人にせよ”とは

 言ってくださらぬのですから」


自嘲とも、

挑発ともつかぬ笑い。



さくらは、

そのやり取りを聞きながら

胸の内で静かに整理していた。


(仇討ちをしたのは、猿殿)


(殿の刃として

 逆臣の首を落としたのは、

 この手と大太刀)


(だが、その道筋を引いたのは)


(補給線を結び、

 軍を返し、

 戦場を選び、

 評判を整えたのは)


(やはり猿殿だ)


殿が生きていれば、

きっとこういう場では

ひと声で場を収めたに違いない。


今は、その声がない。


(ならば)


(殿に最も近い線を引ける者が)


(殿の“代わり”ではなく)


(殿の“後ろ”に立つしかない)



策士が、

そこで一歩踏み出した。


「諸卿」


いつもの薄笑いを消し、

静かな声で。


「殿の仇を討った軍の将は、

 猿殿です」


「その軍に身を置き、

 逆臣の首をこの目で見た者として

 申し上げます」


「仇討ちを果たしたという一点だけでも、

 天下は猿殿を“殿の後継の一人”と見るでしょう」


「西の国を従えたという一点だけでも、

 他の誰よりも

 “殿の名を使える者”と見るでしょう」


「それを、

 ここで無理に押さえつければ――」


策士の目が、

鋭く光った。


「殿の死を巡って、

 もう一度戦が起こります」


「天下を二つ三つに割りかねない」


重臣たちの、

こめかみがぴくりと動いた。



ひとり、

年嵩の武将が口を開いた。


「……殿の血を

 無視するわけにはいかぬ」


「あの方の子を、

 表向きの主として立てる」


「そのうえで、

 猿殿を“政と軍の取りまとめ”とする」


「そういう形ならば、

 どうだ」


猿は、

深く頭を下げた。


「殿の血を押しのけて

 自ら主君の座につくほどの度胸は、

 某にはございませぬ」


「ただ、

 殿の血筋を守り、

 殿の名を汚さぬための政ならば」


「この猿、

 いくらでも汚れ役を務めましょう」


その言い回しが、

場の空気を決めた。



誰も、

「自分がその役をやる」とは言わなかった。


仇討ちをしていない者には、

言えなかった。


殿を焼いた寺に

自らの兵を向けていない者には、

言えなかった。


だから――

猿の独壇場になった。


形式上は、

殿の血筋が主君となる。


だが、

実際に天下の線を引くのは

猿であることを


この場にいる誰もが

はっきりと理解していた。



評定が終わり、

重臣たちが散っていく。


さくらは、

廊下で猿に声をかけた。


「猿殿」


振り返る瞳には、

疲労と高ぶりと、

それでもどこか寂しさがあった。


「殿の仇は、

 討ちました」


「そのうえで、

 殿の天下を継ぐ道も

 つけました」


さくらは、

ゆっくり頷く。


「……ならば、

 あとは“鬼の刃”が

 道を誤らせないように」


「この先も、

 あなたの背で刃を振るいます」


猿は、

少しだけ笑った。


「頼もしいことを」


「鬼娘殿に嫌われぬうちは、

 某もそう悪い道をは進みますまい」


廊下を渡る風の中に、

わずかに桃の匂いが混じった。


殿のいない評定。

殿のいない天下。


その中で――

仇を討った猿の声が、

ゆっくりと「次の主の声」に

変わっていく気配があった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ