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9.戦の終わり

――敵軍の先頭が崩れたのは、

“倒された”からではない。


理解できなかったからだ。


刀が折れ、

身体が裂け、

血が噴き、

倒れる。


その一連の流れが、

一息の間に起こる。


そこに恐怖は遅れてやって来た。


「……化け物だ!」


最前列の男が叫んだ。


それが合図のように、

兵の列が波打つ。


後ろから押され、

前に出る者ほど

死ぬ。


逃げようとする者は、

まだ出てこない。


戦場の慣性がそれを許さない。


だが――

全員が迷った。


目の前の女は、

一人で軍勢を刈り取っている。


(どうすれば……)


その迷い。

その一瞬の“動けなさ”。


そこで戦は決まる。


さくらは踏み込む。

敵の“隊”ではなく――

個に向かう。


一振りで二人。

体格差のある者は、

その重みだけが地に沈む。


太刀筋は美しく、

残虐さはない。


ただ、

畑の草を刈るときと同じような

当然の動きだった。


敵はそれを“戦闘”と理解できない。


「囲め!囲め!」


叫びが飛ぶが、

囲む前に死ぬ。


列が潰れ、

押し寄せる兵士たちが

互いの視界と進路を妨げ、

混乱の渦を作る。


その渦の中心で、

さくらは淡々と斬っていく。


(……一人で全滅させてしまう)


若侍は寒気と陶酔の境界にいる。


村人たちも、

戦を見るのではなく、

災害を見る眼になっていた。


敵兵が叫ぶ。


「後ろへ下がれ!陣を立て直せ!」


だが、

後ろの者が前へ押し、

前の者は死に逃げ道がない。


混乱は恐怖に変わり、

恐怖は殺気を奪う。


さくらの前には、

もはや“戦う者”はおらず――

逃げたい者しかいなかった。


だが、

逃げようと背を向けた瞬間、

その背が裂かれる。


さくらは容赦しない。


逃げる者を見逃す慈悲はない。

それが、

戦場で人を生かして災厄を生むと知っている。


紅い霧が増す。


汗の臭いと血の臭い――

そしてなぜか、

桃の甘い匂いがそれを浄化し、

不気味な静謐さを与えていた。


若侍は、

喉が震えるのを自覚した。


(……本当に一人で全滅させる)


その現実が――

味方の士気を異様に上げ、

敵の精神を冥府へ落とす。


前線に立っていた敵が、

とうとう武器を落とした。


「に、逃げろ……!」


それが最初の“逃げる”声。


次の瞬間、

その声が伝染した。


そろって、

敵兵が後方へ走りだす。


だが、

数は足かせとなり、


互いにぶつかり、

転び、

踏まれ、

斬られ、

叫びが重なる。


一人の女のために――

軍勢が、軍勢でなくなる。


風が変わった。


戦が、

「戦争」から「崩壊」へと

たった一人の手で滑り落ちていく。


若侍はその背中を見つめ、

身体の奥で、

不可解な確信が芽生えていた。


(この人はただの剣士ではない――)


この人は、

戦の形を変える存在だ。


---


――崩壊は、

戦場の音が消えることで訪れた。


叫びも、

刃鳴りも、

足音も。


ただ、

土に落ちる身体の音だけが

遅れて響いている。


敵軍は背を見せ、

逃げ惑い、

互いにぶつかり、

そのまま散り散りになった。


最後尾の者が

振り返った瞬間――

まだ、さくらが歩いているのを見た。


それだけで

残された抵抗心が折れた。


「もう……無理だ……!」


その小さな叫びが、

敗北宣言になった。


逃げる者たちは、

もはや戦を見ていない。


災厄から逃げるだけだ。



静寂が来る。


血の染みた土、

倒れた兵、

折れた刀。


それらを背景に、

風が穏やかに吹く。


その風が、

桃の香りを再び運ぶ。


戦の匂いに混ざっても消えない、

柔らかな香気。


村人たちは息を吐き、

信じられないものを見る眼で

さくらを見ていた。


(……本当に、一人で……?)


誰かが言いかけて、

言葉を失う。


若侍は歩み寄り、

さくらの背に遅れて追いついた。


剣に返り血はほとんどなく、

刀身は乾いて光るだけ。


その事実が、

斬撃の正確さを示していた。


(無駄な一太刀がない……)


若侍は胸を掴まれたように感じる。


村の中には、

戦が終わったのに

喧騒も安堵も起きない。


ただ――

静けさだけ。


子どもが泣くでもなく、

大人が叫ぶでもなく。


その静寂は、

さくらその人を

“恐怖ではなく、理解不能なもの”として

受け止めている証だった。


村の老人が、

震える声で言った。


「……助けて、いただいたのですか?」


さくらは振り返らず、

ただ一言。


「終わりました」


その声は、

勝利を告げる声ではない。


ただ、

現実を確認する声。


若侍はその横顔を見つめ、

気づく。


(この人は……戦を誇りにしない)


戦いは彼女にとって

行為であり、

使命であり、

呼吸の延長でしかない。


だから、

この静寂が似合う。


風が吹き抜ける。


その風だけが、

この村に“戦の終わり”を知らせていた。



だが――

この静寂は長く続かない。


死んだ兵の先に、

生き残りが逃げ延びた先に、

必ず報復がある。


この戦いは終わりではなく、

始まりの一撃にすぎない。


さくらはそれを知っていた。


だから刀を納めず、

ただ、

立ったまま風を待っていた。

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