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城がひとつ、
またひとつと落ちていった。
◆
最初のいくつかは、
さくらのよく知る落ち方だった。
門を破り、
攻め手と守り手がぶつかり、
刃と刃が交わり、
叫び声と土煙の中で
城主の首か降伏の声が上がる。
その場では、
さくらの大太刀にも
きちんと役目があった。
前に出て、
突き崩し、
兵の士気を押し上げる。
そういう戦では、
自分が「殿の刃」であることを
はっきりと感じることができた。
◆
けれど、
西が深くなるにつれて
落とし方が変わっていった。
ある城を囲んだとき、
猿と策士は
ほとんど兵を動かさなかった。
「米を高値で買い占めましょう」
策士が、
軽く言った。
周辺の村々から、
米と麦と、乾物と。
金を惜しまず買い上げ、
倉に積む。
城下への荷は、
検問と称して引き返させる。
山の道には
見張りを置く。
矢も石も飛ばない。
ただ、
日だけが過ぎていく。
「……これでは、
城の者が飢えます」
さくらが言うと、
策士は頷いた。
「はい」
「飢えます」
「だから、
門が開きます」
あまりにも
当たり前のことのように。
◆
日が経つにつれ、
城から出てくる兵の顔つきが変わっていった。
最初は、
罵声と矢。
次に、
鬱屈とした怒り。
最後には、
目の下に隈を作り、
頬をこけさせた兵が
わずかな食い扶持を求めて
夜陰に乗じて逃げようとする。
捕まえても、
さくらは斬れなかった。
(飢えた兵と、
戦う意味はどこにあるのですか)
(これは、
もう「戦」ではなく)
(ただの“締め付け”)
ある夜、
城の方角から
かすかな泣き声のようなものが
風に乗って聞こえた気がした。
それが子どものものなのか、
女のものなのか、
兵のものなのか。
さくらには、
もう判別がつかなかった。
◆
城が門を開いた日。
城主はやつれ、
兵も疲れ切っていた。
矢も槍も
ほとんど使われていない。
ただ、
倉の米が尽きただけ。
策士は、
それを見て静かに頷いた。
「予定通りです」
猿も、
薄く笑った。
「兵をひとり動かさずに
城が落ちるなら」
「それに越したことはない」
「さくら殿の刃が出ずに済むなら、
なおよい」
褒め言葉のように聞こえた。
けれど、
さくらの胸には
ひどく薄い風だけが吹き込んだ。
(私の刃は、
今回出番がなかった)
(それは、
誉めるべきことなのでしょうか)
(それとも、
何かを置き忘れてしまったのでしょうか)
◆
夜。
陣の外れに立ち、
さくらは遠くの城を見た。
灯りは少ない。
開け放たれた門の向こうで、
人々が痩せた足取りで
行き来しているのが見える。
血の匂いはない。
鉄の匂いも薄い。
あるのは、
痩せた土と、
煮炊きの煙と、
空腹の息の混じった
淡い匂いだけ。
(戦が少ないのは
良いことのはずです)
(斬り合いが減ることを
私はいつも望んでいたはずです)
(なのに、
こうして干からびた城を見ると)
(胸が、少し寂しくなる)
理由は分かっていた。
(刃が、
そこに存在しなかったから)
自分が何もしていない場所で
城が落ちた。
さくらは、
そこに安堵ではなく
空洞を覚えていた。
◆
その夜、
猿と策士はいつものように
地図を挟んで話していた。
「これで、西の端の一本が折れました」
策士が、
淡々と言う。
「残るは二本」
「……さくら殿の顔が
あまり晴れませんな」
猿がちらりと
さくらの方を見る。
さくらは、
隠さなかった。
「正直を言えば」
「城の者を飢えさせて落とすのは、
あまり好きではありません」
策士は、
驚きもせずに頷いた。
「鬼娘殿の刃には、
血と火と叫びが似合う」
「この落とし方は、
たしかに“らしくない”」
「ですが」
彼は少し目を細める。
「刃が出番を持たない戦も、
どこかで必要です」
「鬼の大太刀が
振るわれずに済む城が
一つでも多ければ」
「いずれ来る静かな世に
少しだけ早く近づく」
さくらは、
ゆっくりと息を吐いた。
(分かっています)
(策士殿が言うことは
筋として正しい)
(飢えれば、
いつかは鍬や槍を捨てて
門を開けるしかない)
(そこで殿が
無闇に斬り捨てないなら)
(血の海になるより
良い結果になるのでしょう)
それでも、
胸の奥の寂しさは
簡単には消えない。
◆
幕舎を辞したあと、
猿がさくらを呼び止めた。
「さくら殿」
振り返る。
「刃の出番がなかったからといって」
「殿の刃でなくなったわけではありませんよ」
猿の声音は、
珍しく真面目だった。
「殿は、
“いつでも抜ける刃”を
手元に置いておきたい」
「抜かずに済む日が続くなら、
それに越したことはない」
「その“抜かずに済む日”を増やすのが
某や策士の役目」
「“いざという時”のために
刃を磨いておくのが
さくら殿の役目」
さくらは、
少し考えてから頷いた。
「……いざという時」
「その時が来たなら、
躊躇わずに振るうために」
「今は、
刃の重さだけを
確かめておきます」
(それでも)
幕舎を離れたあと、
心の中でふとこぼれる。
(刃の出番がない戦が増えるほど)
(私は“鬼”から
少しずつ離れていくのでしょうか)
(それとも、
いざという時のために)
(より深く“鬼”になっているのでしょうか)
答えは出ない。
ただ、
城の上に昇る薄い煙の向こうで
細い月が出ていた。
その光を見上げながら、
さくらは自分の大太刀の柄を
静かに握り直した。




