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策士と呼ばれる男が、
猿のもとに来たのは、
西への城移りから、そう遠くない頃だった。
◆
最初に見たとき、
さくらは拍子抜けした。
小柄でも、大柄でもない。
痩せても太ってもいない。
武者のような傷もない。
僧のような静けさもない。
どこにでもいる文官のようでいて、
どこにもいない顔だった。
ただ一つだけ、
はっきりしていたのは――
目が眠っているようで、
いつも何かを数えていること。
猿が笑って言った。
「某より、
よほど腹黒い男ですよ」
「策士と呼ばれております」
男は軽く頭を下げた。
「腹の黒さは、
猿殿には及びませぬ」
口調は丁寧なのに、
言葉だけは少しだけ尖っていた。
(あ、この人は…)
第一印象で、
さくらはうっすらと感じた。
(“仲良くなってはいけない種類”の人だ)
(でも、
戦の場では頼りになる)
◆
いくつかの小さな戦を共にした。
西の国の端で、
三本の矢の一族が支配する
支城と支城の間をくぐる時。
・どの村の年貢が重いか
・どの町の酒が薄くなっているか
・どの寺の鐘の音が弱っているか
策士は、
そういうものばかり見ていた。
戦場でも、
彼はあまり前に出ない。
代わりに、
戦う前と後の「形」を
執拗に整えた。
・勝ったあとの兵の動かし方
・負けたふりをするときの退き道
・矢文を送る順番
「ここで矢を一本折れば、
あちらが一本を自ら下ろす」
「この城を落とすより、
この城に不満を抱えている者を
一人焚きつけた方が早い」
「血を見る前に済むなら、
それに越したことはないでしょう」
そう言いながら、
目はまるで楽しそうだった。
(ああ)
(この人は)
さくらは、
何度目かの「作戦成功」の夜に
気づいてしまった。
(何かのために策を練るのではなく)
(“策を練ることそのもの”が
目的の人なのだ)
◆
夜営の火のそばで、
猿と策士が話していることがあった。
「西の国は、
父の形を息子たちが守っているだけ」
策士が、
火の先を見つめたまま言う。
「守る者は、
攻める者より綻びが多い」
「攻める者は、
目の前だけ見ていればいい」
「守る者は、
昔の顔と、
今の民と、
これからの子の顔まで見なければならない」
猿が笑う。
「守る者を増やすのが、
殿の役目ですな」
「攻めるのは、
我らの仕事として」
策士は首を振る。
「いえ」
「いずれ殿も、
“守る側”に回らねばならない」
「そのときに、
どこを切り捨てて、
どこを残すか」
「今から考えておかねば」
その言い方に、
どこか愉悦が混じっている。
(この人は、
国が平らになる日を
本気で待っている…というより)
(“平らになっていく過程”を
見たいのだ)
(私が、
戦そのものより
“刃の重さ”が好きで)
(殿が、
天下そのものより
“筋”を通す瞬間が好きなように)
◆
さくらは、
静かに自分の胸の内を見つめる。
(私は、
誰かのために戦っていると思っていた)
(殿のため)
(国のため)
(戦の少ない世のため)
(でも本当は)
(剣を振るうことそのものが好きで)
(剛力をきかせて相手の刃を受ける
その瞬間が欲しくて)
(“戦う”のではなく
“戦っている自分”を
どこかで求めている)
その自覚は、
あまり気持ちのよいものではない。
策士を見ていると、
それがよく分かる。
彼は、
誰かのために策を練っているようでいて、
実際には「策が成功する瞬間」こそを
一番楽しんでいる。
(似ている)
(私と、この人は)
どちらも、
外側に掲げる理由とは別に、
「戦の形」そのものを
内側で欲している。
◆
ある夜、
珍しく二人だけで
言葉を交わすことがあった。
陣の少し外。
川の音が遠くに聞こえる。
「策士殿」
さくらが呼ぶと、
男は振り返った。
「はい、鬼娘殿」
軽く笑う顔。
「あなたは、
何のために戦っているのですか」
唐突な問いだったが、
策士は驚かなかった。
むしろ、
待っていたように答えた。
「“戦が終わった後”を
見てみたいからです」
「殿の天下が、
この先どんな形になるのか」
「どの国が残り、
どの名が消え、
どの寺が鐘を鳴らし続けるのか」
「それを、
なるべく自分の描いた線の上で
見ていたい」
さくらは、
少しだけ目を細める。
「……そのためなら、
戦そのものは
どうでもよい?」
策士は肩をすくめた。
「どうでもよくはありません」
「戦があるからこそ、
策が要る」
「策が要るからこそ、
某の居場所がある」
「“あるべき天下”を夢見る人もいれば」
「“戦のない世”を願う人もいる」
「某はそのどちらでもない」
「“あったはずの無数の線”の中から、
今この線を選び取ったのだと」
「いつかそのとき、
静かに笑えればそれでよいのです」
その答えを聞いて、
さくらは胸の中で笑った。
(やはり、この人は)
(戦の外側を欲しながら、
戦の中に居場所を作っている)
(私が、
平穏な世を願いながら
刃を離せないように)
◆
天主閣の殿。
西の城の猿。
そこに新しく加わった策士。
それぞれが、
違うものを見ている。
・天下の形
・人の器と得
・線と線の交わる先
そしてさくらは、
そのどれとも違う場所で
刃の重さと、
戦場の匂いを嗅ぎ分けている。
(似ているようで、
少しずつ違う)
(違うようで、
どこか同じ)
(だからこそ、
この戦は続いていくのでしょう)
西の空は、
少しずつ赤く染まり始めていた。
三本の矢の国へ向かう道は、
まだ長い。
その道の上で、
さくらは何度も
自分と策士の似たところと違うところを
静かに撫で分けることになるのだろう。




