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重臣筆頭の軍が

龍とぶつかったのは、

さくらが城に戻る道を半ばほど戻った頃だった。



後で聞いた話によれば、

戦は「戦」と呼ぶのも惜しいほど

一方的なものだったという。


山裾の狭間。

見晴らしのよさそうな丘。

川の曲がり角。


すべてを龍の方が

先に押さえていた。


こちらが軍を展開しようとしたときには、

すでに側面に矢。

退き道には馬印が回り込み、

正面には「さきほどまでは空だったはず」の旗が

静かに並んでいた。


「斬り結んだ覚えがないのに、

 戦が終わっていた」


敗残兵のひとりが、

茫然とそう漏らしたらしい。


重臣筆頭は、

かろうじて命こそ取り留めたが、

預かっていた兵の多くを失い、

旗印も槍も奪われていた。


「正面から正々堂々と、

 叩き潰されたわけではない」


「気づけば、足元をすくわれていた」


それが、

彼にとって何よりの屈辱だった。



敗北の報せが

天主閣に届いたのは、

それからほどなくしてだった。


殿は、

地図をちらりと見ただけで

大きく嘆くことはなかった。


「龍の牙が、

 どちらを向いているのか」


「これで、少し分かった」


小さくそう言い、

それ以上重臣を責めようとはしなかった。


(殿ならこう言うだろう)


さくらは、

その様子を見て思う。


(龍に、正面からぶつかりたいと望んだ時点で)


(もう負け筋は

 ほとんど決まっていたのです)


(あの重さを、

 真正面から受け止められるのは)


(……きっと私か、殿くらい)


口には出さない。

出してしまえば、

あまりにも傲慢な物言いになる。


ただ、

敗戦の地図の上に

龍と対面したときの感覚を

そっと重ねておいた。



その報せから

そう日を置かず。


別の文が、

北東の空の方角から届いた。


封は地味で、

印も小さい。


軍報というより、

噂話に毛が生えたような書きぶりだった。


> 「かの地の軍神、

酒と月を愛した龍は、

若くして病に倒れたと聞き及び候」




さくらは、

その一行を何度か読み返した。


(……病)


(戦ではなく)


(矢でも、刀でもなく)


(あの剛腕を、

 あの目を、

 あの戦の気配を)


(止めたのは、

 “病”という名の見えない何か)


拍子抜け、と言うには

あまりにも重い。


納得だ、と言うには

どこか腑に落ちない。


胸の奥に、

小さな穴があいたような感覚だけが残った。



殿は、

報せを受け取っても

顔色ひとつ変えなかった。


「そうか」


「ならば、

 龍の軍はこれから

 牙の抜けた虎のようになる」


冷たい言い方ではなく、

ただ事実として。


「龍殿と

 正面から戦って勝ったと

 名乗れる者は、

 結局この世にひとりも出なかった」


「それが、

 あの男にとって

 幸せかどうかまでは知らぬが」


それだけ言って、

文を脇へ置いた。



猿は、

さくらと別の部屋で

同じ文を読んでいた。


「……酒と月、ですか」


さくらが呟くと、

猿は小さく笑う。


「戦う者が

 最後に好むものとしては、

 悪くない取り合わせですな」


「酒で血の味を薄めて」


「月で、

 自分の立っている地面の狭さを

 忘れようとする」


「龍殿もまた、

 何かしら“飲み込めぬこと”を

 抱えておられたのでしょう」


さくらは、

あの一合を思い出す。


馬ごと吹き飛ばされて、

それでも真っ直ぐに笑っていた横顔。


「おぬしとまともにやり合うことにならなくて良かった」


あの言葉は、

今思えば自嘲も含んでいたのかもしれない。


(あの人は、

 自分がいつか

 “戦ではない何か”に負けることを)


(どこかで

 知っていたのかもしれません)



夜。


天主閣の高い窓から

空を見上げると、

丸い月が出ていた。


さくらはひとり、

大太刀を壁に立てかけたまま

縁に腰を下ろす。


(酒はあまり飲めません)


(戦の前に酔えば、

 刃が鈍る気がして)


(でも、

 月を見るくらいなら)


少しだけ首を傾ける。


湾の向こう。

かつて総本山が牙を伸ばしていた場所には、

もう静かな水面だけがある。


そのさらに右上の方角に、

龍がいた土地があった。


(戦場で死なれないのは、

 こちらとしては助かります)


(けれど、

 あれほどの剣と戦の匂いを持つ方が)


(病に倒れたと聞くと)


(“戦”というものそのものが

 急に軽く見えてしまうのです)


(刃ではなく、

 目に見えぬ熱一つで

 人は簡単に倒れる)


 


(殿が魔王と呼ばれ、

 私が鬼と呼ばれ)


(龍殿が軍神と呼ばれたとしても)


(みな、

 同じように病に伏し、

 同じように土に還る)


そう思うと、

背中に負った大太刀の重みが

いつもと少し違って感じられた。


(それでも、

 私は刃を振るうのでしょう)


(龍殿がいなくなったあとも)


(戦国の世が

 もう少しだけ続くなら)


(魔王の刃として、

 鬼として)


月は静かに、

変わらずそこにあった。


龍がどこで、

どんな空を見上げて息を引き取ったのか。


知る術はない。


ただ、

同じ月を見ていたかもしれない

ということだけが、


さくらにとって

不思議な慰めのように

胸の中に残った。

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