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評定の間の地図の上で、

そこだけが異様に濃かった。



湖の南。

広い湾に、舌のように突き出した陸地。


その先端に、

巨大な伽藍と土塁と石垣が

幾重にも塗り重ねられている。


「……ここが、総本山」


文官が、

墨の濃い部分を扇子でなぞる。


「寺とも城とも呼び難い……

 ひとつの“国”ですな」


天才軍師は、

淡々と数字を並べた。


「周囲には、

 信徒の町がびっしりと張り付き」


「内陸からは献金。

 湾からは船で無限に兵糧」


「攻め手は、

 陸からの一方向のみ」


「しかも、

 鉄砲傭兵を大量に抱えている」


「……魔王の天主閣と、

 どちらが“天に近い”か」


誰かが冗談めかして言って、

誰も笑わなかった。



殿は、

しばらく地図を見ていた。


湖からの風が、

紙の端をかすかに揺らす。


「周りには、もう敵はない」


ぽつり、と。


「総本山だけだ」


「……ここを残して

 世が静まったと、誰が信じる」


誰も何も言えない。


寺は祈りの場であり、

乱の火種でもあった。


「寺を焼いた」と囁かれる主君が、

その最たるものへ

ようやく目を向けた瞬間だった。



「総本山は、

 殿の天主閣と並び立つ“天”です」


天才軍師が、

静かに続ける。


「信仰の天と、

 武の天」


「殿はすでに、

 将軍という“上”を退けました」


「次は──」


「“天を二つにせぬ”という話ですな」


猿が、

重く扇子を鳴らした。


「二つの天があれば、

 人はどちらにも言い訳を運べる」


「“あちらの天がこう言った”、

 “こちらの天がこう許した”」


「……殿は、それを嫌われる」


殿は頷く。


「天は一つでよい」


「その一つが、

 私かどうかはどうでもいい」


「ただ、“二つあるふり”を

 許したままにはできない」



さくらは、

地図の上の黒い塊を見つめていた。


(……ここが)


(あの寺の“親”)


焼け落ちる末寺。

門前で刃を抜き、

逃げる者と武器を持つ者とを

見分けようとした夜。


(あのときよりも、

 はるかに大きく)


(はるかに厚く)


(はるかに、多くの人の願いと恨みとが

 折り重なっている)


頭では分かっている。


(この総本山は、

 刃と鉄砲を持ち)


(献金で傭兵を雇い)


(殿を倒すための“城”になっている)


(寺を名乗っていても、

 やっていることは

 城と変わりません)


それでも、

寺という言葉が心に引っかかる。


(……飲み込むのに、

 また時間がかかりそうですね)


自嘲めいた思いが

胸の奥で小さく転がる。



「さくら」


殿が名を呼んだ。


顔を上げる。


「総本山を討つ」


「お前には、

 前に立ってもらう」


さくらは一瞬だけ目を閉じ、

すぐに開く。


「命じられれば、

 どこへでも」


「私は、殿の刃です」


殿は頷き、

一拍置いて言葉を重ねた。


「寺そのものを全て焼くつもりはない」


「刃を持つ者と、

 火縄を握る者と、

 金で乱を煽る者」


「そこだけを斬る」


「……できる限り、だが」


それは、

寺を焼いた男の言葉とは思えないほど

細く、慎重な線引きだった。


さくらは、

胸の中の棘が少しだけ丸くなるのを感じる。


「承知しました」


「刃を向ける場所を、

 見極めます」


(殿が“できる限り”と言うなら)


(私も、“できる限り”の線を探す)


(鬼と呼ばれても)


(鬼の中に、

 一本くらい線を持っていても

 罰は当たらないでしょう)



評定が終わり、

廊下に出ると猿が並んだ。


「総本山」


「難儀な相手ですな」


「猿殿にとっては、

 どう見えますか」


さくらが問うと、

猿は少し首を傾げた。


「……“城”として見れば、

 包囲できぬ城」


「“寺”として見れば、

 止めどない信仰が

 兵糧の代わりになる場所」


「“町”として見れば、

 献金と商いで肥え太った

 台所そのもの」


「つまり、

 どこから見ても厄介ですな」


それでも、と

猿は口元だけで笑った。


「ただ一つ」


「“唯一の敵”というのは、

 案外やりやすい」


「皆の目が

 同じところを向いている」


「殿も、

 さくら殿も、

 某らも」


「それだけで、

 今までよりずっと戦いやすい」


さくらは、

その言葉に小さく笑った。


(敵が一つ)


(魔王の天主閣と並んで

 天に手を伸ばす、もう一つの塔)


(どちらか一つを選べと言われれば)


(私は迷わず、

 こちら側に刃を置きます)


たとえ、

飲み込むのに時間がかかっても。



総本山を描いた地図の上で、

墨の黒が静かに濃くなっていた。


そこに向けて、

近いうちに軍が動く。


寺とも城とも呼べぬ巨大なそれと、

魔王の天主閣。


天を挟んだ二つの形が、

ようやく真正面から

ぶつかろうとしていた。

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