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城の奥の一間で、

男はひとり座っていた。


足元には、

小さな箱が二つ。


ひとつは空。

かつて、名物茶器を入れて

魔王のもとへ運ばせた箱。


もうひとつは、

まだ重みを残している。


中には、

「もう一つ」の名物茶器。



外では、

太鼓の音が遠くなったり近づいたりしている。


籠城の兵が叫び、

寺から流れてきた僧兵たちが怒鳴り、

町人たちの悲鳴が

どこかで上がったり止んだりしている。


男は、

それらすべてを

障子の向こうの雑音として扱っていた。


(よくもまあ、

 ここまで来たものだ)


(将軍を殺したときも、

 寺と組んだときも)


(あの魔王は、

 笑って茶を受け取り、

 笑って許し)


(そして今、

 笑いもせずに

 城を囲んでいる)


箱の蓋を開ける。


わずかな光を受けて、

茶器の肌が鈍く光った。


「……お前だけは、

 渡せんのだよ」


誰にともなく、

そう呟く。



別の部屋では、

火薬が運ばれていた。


鉄砲用の樽。

倉に隠していた粉。

寺から流れてきた分も混じっている。


「こんなに集めて、

 何を……」


若い兵が問うと、

古参の一人が肩をすくめた。


「どうせ、

 あの御屋形のやることだ」


「最後に、

 派手な見世物を

 用意しているのさ」


誰も止めなかった。


止めるだけの信用を、

誰も持っていなかった。



茶器を手に、

男は立ち上がる。


足取りは軽い。

まるで、

茶会の席に向かうかのように。


火薬を詰めた部屋は、

城の一角にあった。


柱と梁に囲まれた

密な空間。


その中央に、

小さな台が置かれている。


「ここか」


茶器をそっと台にのせる。


指先が、

一瞬だけ震えた。


(命よりも、

 茶器の方が重いと

 皆に言われてきたが)


(命と茶器を

 一緒くたにして燃やせば)


(どちらが重かったのか、

 誰にも分からなくなる)


それは彼なりの、

皮肉な筋の通し方だった。



外から見れば、

ただ一つの櫓の窓から

煙が漏れ出したようにしか見えない。


中では、

火縄が静かに進んでいた。


火薬樽へ向かう線。

柱の根元へ向かう線。

梁の継ぎ目へ向かう線。


男は、

その中心に座る。


膝の前に茶器。

手は膝の上に置いたまま。


(魔王よ)


(お前に、

 この茶だけは譲らん)


(お前は天下を取るだろうが、

 この一服だけは

 俺のものだ)


そう思って、

小さく笑う。


爆ぜる音は、

意外なほど近かった。



ドン、と

腹の底に響くような音。


その一つが、

すぐに二つ、三つに連なり、

城の一角が

内側から破れるように膨らんだ。


外から見ていた兵たちは、

一瞬何が起きたか分からなかった。


「攻城兵器か?」

「いや、中から……?」


櫓の屋根が持ち上がり、

遅れて瓦が雨のように落ちてくる。


炎が吹き出し、

木と紙と人の匂いが

混じった煙があがる。


「火薬庫だ!」

「中で……爆発を……!」


誰かが叫び、

その声がかき消された。



さくらは、

前へ出ようとして足を止めた。


(……今の)


まるで、

山そのものが咳をしたような

重い衝撃だった。


「さくら殿!」


猿の声が飛ぶ。


「城の一角が吹き飛びました!」


「悪名高き者、

 自ら火薬に火を入れたと見て

 間違いありますまい!」


煙の向こう。

崩れた櫓の残骸。


(あそこで、

 終わらせたのですね)


(自分の手で)


さくらは、

大太刀の柄から手を離した。


斬る相手はもういない。



火がある程度おさまってから、

中が改められた。


炭になった木と、

割れた瓦と、

黒く焦げた何か。


「……人の形も、

 残っておりませぬな」


文官が、

鼻をおさえながら言う。


「ただ、

 これだけは」


瓦礫の中から

ひとつだけ拾い上げられたものがあった。


茶器の破片。


肌の一部だけが、

焼けただれながらも

まだ元の光沢を僅かに残している。


天才軍師がそれを見て、

薄く笑う。


「魔王に渡した茶と、

 自分で燃やした茶」


「どちらが“名物”として

 長く語られますかね」


猿は肩をすくめた。


「どちらも、でしょう」


「“魔王に茶器を献じて命を繋いだ男”と」


「“最後に茶器と共に爆死した男”」


「どちらの話も、

 きっと世の酒の肴になります」


さくらは、

破片には触れなかった。


ただ、

それを見て心の中で思う。


(殿は秤を求め)


(将軍様は秤を残せと言い)


(この男は、

 秤の皿そのものを爆ぜさせて

 逃げようとした)


(ならば……

 やはり討たれるべき“重さ”だったのでしょう)



後日。


都や台所の町では、

新しい噂が流れ始めていた。


「二つの茶器を持っていた男がいてな」


「ひとつは魔王に差し出して命乞いをし、

 もうひとつは火薬と一緒に抱えて

 自分で吹き飛んだそうな」


「命より茶を惜しんだのか、

 魔王に渡すのが惜しかったのか」


「どちらにせよ、

 ろくでもない終わり方だ」


笑い話にしながらも、

人々はどこかで分かっていた。


それは同時に、

「何度も裏切れば、

 最後はああなる」という

分かりやすい印でもあるのだと。



天主閣の一室で、

さくらはふと湖の方角を見た。


もう煙は見えない。


(寺を燃やし、

 将軍様を山へ送り)


(悪名高き男は、

 自分で火をつけて消えていった)


(乱の種を一つずつ

 焼いたり、

 山に埋めたり、

 自ら爆ぜさせたり)


(殿の周りから、

 少しずつ火種が減っています)


それでも、

胸の奥の重さは

簡単には軽くならない。


(私は鬼と呼ばれ)


(殿は魔王と呼ばれ)


(それでも、

 この先の世が

 少しでも静かになるのなら)


(この重さは、

 背負っていってもいいのかもしれません)


風が吹いて、

ほんのりと桃の匂いが広がる。


それはもう、

人を惑わせるためだけの匂いではなくなりつつあった。


自分の中の迷いと覚悟を

静かに混ぜ合わせるための匂いでもあった。

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