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評定の間に、

その名がふわりと浮かんだ。


あの、

悪名高き男。


かつて将軍を殺した一味でありながら、

平然と名物茶器を差し出して

「従属」を申し出た男。


主君は、そのとき

「裏切ったなら、そのとき叩き潰せばいい」と言って受け入れた。


その約束を、

今果たそうとしていた。



「……動きましたな」


天才軍師が、

一枚の文を掲げる。


「名目上は、

 近隣の城への“指導”とありますが」


文官が、

静かに読み上げる。


「殿の旗に従うふりをしながら、

 独自に兵を集め、

 寺とも通じ、

 “次の乱”の種を撒いていると」


猿は扇子で膝を叩いた。


「悪名というのは便利なものですな」


「周りの国々も、

 あの男が討たれると聞けば

 誰も惜しまない」


主君は、

少しも表情を変えずに言った。


「平然と裏切る者を、

 一度は許した」


「もう一度許せば、

 それは私の方が“悪名高い”ことになる」


「だから討つ」


理由は、それだけだった。



天主閣の上から眺めると、

その男の領地は

湖の向こうに小さく見えた。


石山と町の間に

ねじれるように築かれた城。


寺とも城ともつかぬ配置。

商人とも兵ともつかぬ人々。


「……蛇の巣のようですね」


さくらが呟く。


猿が頷く。


「殿に従うと見せて」


「将軍とも、寺とも、

 商人とも繋がり」


「どちらが勝っても

 自分だけは生き残るつもりだったのでしょう」


「殿は、

 そういう“逃げ場だけを増やす者”を

 いちばん嫌われる」


さくらは、

その言葉に静かに頷いた。


(婿殿は、

 裏切ったというより

 自分の筋の中で動いていた)


(狸殿も、

 己の国を守るために

 計算づくで手を打っている)


(この男は――)


(ただ、

 裏切ることそのものを

 生き延びる術にしている)


頭でそう理解するほど、

胸の中で冷たいものが固まっていく。


(殿がこの男を討つのは、

 きっと遅すぎるくらい)



やがて、

討伐軍の編成が決まった。


・主君直轄の兵

・猿の城から出る兵

・台所の商人たちからの兵糧の支援


戦の大きさは

北の名門ほどではない。


だが意味は重い。


「“何度も裏切っても、

 最後に膝をつけば許される”」


「そう思う者を、

 ここで断ち切る戦です」


天才軍師の言葉に、

さくらは大太刀の柄に触れた。


「……私は、

 前に出ます」


「この男の兵は、

 寺のときと同じく“民の顔”を

 平然と盾にするでしょう」


「鬼が出た方が、

 かえって分かりやすい」


猿が笑う。


「鬼を自称してくださるとは」


「殿も助かりますな」


「魔王と鬼が討ちに来たとなれば、

 他の国々も下手に真似をしづらい」


「“あそこまでしなければならぬ相手だった”と

 皆の心に刻まれます」


さくらは、

その皮肉をそのまま受け取った。


(魔王と鬼)


(たしかに、

 この男を討つには

 ちょうど良い名かもしれません)



出陣の日。


湖畔の道を、

兵の列が進む。


男の城は、

寺の伽藍と町屋を巻き込んだ

奇妙な構えをしていた。


「城のようで、寺のようで、

 商家のようで」


文官が、

目を細めて言う。


「責任だけは

 どこにも残らぬように

 作られておりますな」


さくらは、

城を見据える。


(ここは、

 寺ではなく城)


(殿が寺を燃やしたときと違い)


(迷う余地のない“討つべき場所”)


桃の匂いが、

風に乗って前へ流れていく。


城内の誰かが、

その匂いに気づいて

顔を上げたかもしれない。


「鬼娘が来たぞ」


「魔王の刃が来たぞ」


そうした声が、

噂よりも早く

城の中を駆け巡ろうとしていた。



さくらは、

大太刀に手を添えながら

心の中でひとつだけ区切りをつける。


(寺を焼き、

 将軍様の城を攻め)


(次は、

 何度も裏切る男を討つ)


(殿の刃として、

 筋だけを見て振るう)


飲み込むのに時間がかかることは

相変わらず多い。


それでも、

「ここは迷ってはならない」と

はっきり分かる戦もある。


今回は、そのひとつだった。


湖面を渡る風が、

冷たくなり始めていた。

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