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城門の前で、

太鼓が一度だけ鳴った。


それだけで、

空気が切り替わる。



最初の矢は、

城の内側から来た。


音もなく、

闇から伸びた線が

こちらの盾板に突き刺さる。


「やはり、

 刀を収める気はないようですな」


猿がぽつりと言う。


殿は、

城をじっと見ていた。


「ならば、

 “乱の根”として扱うだけだ」


短く、それだけ。


命令は、

すでに出ている。


・城下への火を禁じること

・町屋に手を出さぬこと

・狙うのは、

 将軍の城と、その武装した者たちだけ


それ以外のものに

刃を向けた者は、

味方でも処罰される。


「魔王」と呼ばれながら、

筋だけは譲らないやり方だった。



門への攻めは、

北の名門の城のときと

そう変わらない。


楯車が進み、

丸太が構えられ、

弓隊が上を牽制する。


ただ一つ違うのは、

城の中から飛んでくる矢が

どこか弱々しいことだった。


「……本気で

 守るつもりはないのかもしれません」


さくらが呟く。


矢に殺意がないわけではない。

だが、

「ここを最後の場所とする」

という覚悟の重さが薄い。


(この城を守り切る未来を、

 誰も信じていない)


(それでも、

 将軍様に従って矢を射っている)


その中途半端さが、

かえって息苦しかった。



城内。


将軍は、

上段の間の畳に膝をついていた。


外のざわめきが、

障子越しに伝わる。


「……始まったか」


側に控える僧形の男が、

静かに答える。


「は」


「城下への兵も、

 抑えられております」


「殿の軍が

 町へ手を出さぬと聞いているのは、

 せめてもの救いにございましょう」


将軍はうなずき、

手元の刀の柄に触れた。


(ここで討たれれば、

 “将軍が討たれた乱”として

 語り継がれる)


(逃げれば、

 “将軍が逃げた乱”として

 笑われる)


どちらを選んでも、

いい話にはならない。


(わしの代で、

 どちらにせよ終わるのだ)


(ならば、

 せめて前に座っていよう)


逃げる先を、

最初から選ばなかった。



門が揺れる音が

城内に届いた。


一度。

二度。


閂のうち、

一本が折れる感触を

内側にいる者たちは

掌で受け止めていた。


「……開くぞ」


「ここまでだ」


誰ともなく、

そう漏れる。


槍の穂先が、

知らずのうちに下がっていた。



門の破れ目から

最初に入ったのは、

さくらではなかった。


階級も名もない兵たち。

盾を構え、

恐る恐る足を踏み入れる。


矢が数本飛んできて、

盾に刺さる。


反撃の矢が返される。


やがて、

「入れるぞ!」という声が

外へ響いた。


猿が振り返る。


「さくら殿、

 出番です」


さくらは頷き、

大太刀を軽く持ち直した。


門をくぐる。


空気が変わる。


屋根の線。

石畳の質。

壁の白。


どれも、

いままで攻めてきたどの城とも違った。


(ここが、

 将軍様の城)


(国の形を支えていた“表向きの上”)


桃の匂いが、

静かな回廊に広がる。


そこへ混じっているのは、

恐怖と諦めの匂い。



城内の抵抗は、

驚くほど弱かった。


もちろん、

刃を向けてくる者はいる。


廊下の陰から飛び出し、

「御所へは通さぬ!」と叫ぶ者。


上段の間へ続く階段で、

槍を横一列に構える者。


さくらは、

それらを一つ一つ

崩していく。


斬る、というよりは

「支えを抜く」感覚だった。


槍を折り、

刀を弾き、

膝を落とさせる。


息絶える前に、

彼らの目の中のものが

ふっと消えるのを見て取る。


(ここで死んでも、

 何も守れない)


(それを、

 皆どこかで知っている)


だからこそ、

必死さよりも

沈んだ静けさの方が

濃く漂っていた。



やがて、

上段の間の前に辿り着いた。


畳が一段高くなったその先に、

将軍が座している。


甲冑ではなく、

礼服に近い衣。


足元に刀が一本。


さくらは、

自然と大太刀を背に戻した。


ここで、

振り回すべき刃ではない。


「ここまでか」


将軍は、

さくらを見上げて言った。


「鬼娘よ」


その呼び名に、

さくらはわずかに眉を動かした。


(……ここでも)


(私の名は鬼なのですね)


「殿の刃として、

 参りました」


静かにそう答える。


背後で、

猿や他の侍たちの気配が

控えている。


だが、

誰も前へ出ようとしなかった。


ここは、

さくらの場だと

自然に決まっていた。



将軍は、

手元の刀に指を添えた。


「わしの首を取りに来たのか」


さくらは

少しだけ首を振る。


「殿は、

 将軍家の“形”を壊すと仰いました」


「ですが、

 将軍様のお命を

 必ず奪うとは仰っていません」


将軍の目が、

わずかに細められる。


「……逃がす、と?」


「山を下り、

 どこかの寺にでも入れと?」


「殿のお考えは

 私には測りかねます」


さくらは正直に言った。


「ただ、

 ここで血を流さぬ道も

 残しておられるように感じます」


(寺を焼いたのと同じ人の言葉とは

 思えないかもしれませんが)


(燃やすと決めた場所と、

 残すと決めた筋は

 殿の中で違っている)


それを、

さくらは最近ようやく

自分の言葉にできるようになっていた。



将軍は笑った。


「魔王が、

 情けをかけると?」


「鬼娘が、

 首の前まで来て刃を下ろさぬと?」


「世も変わったものだ」


笑いには、

少しだけ苦味と安堵が混ざっていた。


「わしは、

 もともと剣の人間ではない」


「ここで切り結んでも、

 見苦しく血を吐くだけだろう」


「それなら、

 首を差し出した方が

 筋は通るかもしれん」


そう言って、

刀の柄から手を離した。


「だが」


将軍は少しだけ姿勢を正した。


「一つだけ、

 魔王殿に伝えてほしい」


さくらは、

静かに頷く。


「聞き届けます」


「“上”を壊したあとは、

 必ず“秤”を残せとな」


「力のある者が

 好き勝手に振る舞えるだけの世なら、

 それは乱と変わらん」


「わしは将軍として

 乱を止められなかったが……」


「“上”という名を被って

 せめて秤の真似事はしてきたつもりだ」


「それを全部焼くのなら、

 代わりに別の秤を置け」


「そう伝えてくれ」


その言葉は、

不思議とまっすぐだった。



さくらは、

深く頭を下げた。


「必ず」


(殿が魔王と呼ばれようと)


(鬼娘と呼ばれようと)


(その耳に、

 この言葉は届かせなければならない)


刃ではなく、

言葉として。


 


その日、

将軍は首を落とされることはなかった。


位と印を剥がれ、

髪を落とし、

遠い山寺へ送られることになった。


表向きには

「自ら隠棲した」と。


都の人々は、

それをどう受け取ったか。


「魔王が将軍を追い出した」と

囁く者もいれば、


「乱を招いた将軍が

 山へ下った」と

安堵する者もいた。


ただ一つ確かなのは──


将軍の城の白壁の前に立ち、

そこで刃を抜かなかった鬼娘の姿を

見ていた者たちが

少なからずいたことだった。



夜。


城の外れで、

さくらはひとり空を見上げていた。


(魔王)


(鬼)


(将軍のいない国)


いくつもの言葉と、

いくつもの欠けた形が

頭の中を回る。


(殿のすることは、

 やはり正しいのでしょう)


(それでも、

 飲み込むのには

 もう少し時間がかかりそうです)


そう思いながらも、

大太刀を手放す気はなかった。


魔王と呼ばれる主君のもとで、

鬼と囁かれる自分が前に立つ。


その構図は、

もうしばらく変わらないだろう。


その先に

どんな「秤」が置かれるのか。


それは、

これからの戦と、

これからの静けさが

ゆっくりと形を決めていくのだろう。


さくらは、

胸いっぱいに夜の空気を吸い込んだ。


桃の匂いが

自分の内側だけに

かすかに満ちる。


それを確かめてから、

そっと目を閉じた。

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